|呪|滅|の|言|霊|

第四話 しみの生まれる処


 砂色と空色の二色しかない世界を、青年と少年を乗せた黒いサンドバイクが走り抜けていく。
 途中、立ち寄ったオアシスで、ケンカをふっかけてきたチンピラから、青年が巻き上げた代物である。
 二人乗りの仕様ではなかったが、長い座席は青年と青年のズダ袋とロップ少年の小さな尻に丁度いい大きさであった。
 まだ新車だったらしく、エンジンの調子は非常に良かった。
「なあ、にーちゃん」
 バイクの後席で、少年が青年を見上げた。
 パイナップル頭が風にさらされて、今は鶏冠のようになっている。
「にーちゃんの名前、何ていうんだ?」
 しかし、青年の答えはない。
 風とエンジン音で聞こえないのかと思い、もう一度耳元で叫んでみたが、やはり青年は真っ直ぐ前を向いたままだった。
「なんでムシするんだよっ」
 少年が青年の背中に拳を押しつけると、青年はサングラス越しにようやく少年を見た。
「別に無視してるわけじゃない」
「じゃあ、なんで黙ってるんだよ」
「教えられないから黙っていただけだ」
 青年の愛想のない返事に、少年は目を吊り上げた。
「なんで! もしかしてお尋ね者なの? それとも賞金首?」
 先日、銃弾に倒れながらレスキュー隊を拒んだことを思い出し、少年は少し迷惑げに顔を歪めた。
 しかし、幸運にも青年の首は、縦には振られなかった。
「違う」
「じゃあ、何なのさ。にーちゃんのこと、何て呼べばいいのさ」
 はぶてたように後席で反っくり返る少年をバックミラーの中に見て、青年は小さく溜息を付いた。
「今みたいに呼べばいいだろう」
「……あっ、そうか」
 目を瞬かせ、納得といった体で手を打った少年だったが、ふいにまた眉根を寄せた。
「――いや、待って。じゃあ、迷子になったら、誰を捜してくださいって言えばいいのさ?」
「自分で戻ってこい。じゃなきゃ置いていく」
「そんなあ!」
 少年が鬱陶しそうに答える青年の背にしがみつくと、彼はきつい口調で言を重ねた。
「オレに付いてくるのはかまわないが、オレの邪魔をするのは許さない。それが嫌なら爺さんのところに帰れ」
 一瞬、怯んだ少年だったが、ここまで来て引き返すわけにも行かない。
 腕組みをして、それを精一杯突っぱねる。
「帰らない! オレはにーちゃんと一緒に行くって決めたんだ!」
「じゃあ、せいぜい迷子にならないよう気を付けるんだな」
 子どもだろうと何だろうと容赦しない物言いに、少年が口をへの字に曲げていると、青年はわざわざバックミラーを少年に向けて言った。
「返事は」
「……わかったよ」
「『わかったよ』?」
「わかりました!」
 ミラーに向かって怒鳴りつけると、少年はつまらなそうに周囲の景色に目を遣った。
 少年が生まれ育ったマイロタウンから出るのは初めてのことだったが、こう景色が変わらないのでは、半日で飽きてしまう。
 後席で手持ち無沙汰になった少年は、青年の胸ポケットから携帯用の地図を引っ張り出した。
 それを、風で飛ばないよう車体に押しつける。
「ねえ、これからどこに行くのさ。ホラッドタウン?」
 地図上で現在地を割り出し、自分の方位磁石と照らし合わせて、進行方向にある町の名前を挙げた。
 ホラッドタウンは、少年の生まれ育ったマイロタウンとは違い、緑に囲まれた穏やかな町である。
 森の奥にある滝が美しいことで知られており、彼らが今いる位置からは、二日ほどかかる距離だった。
「今のところはな」
「今のところお?」
 相変わらず愛想のない返事に頬を膨らませると、少年は再び青年の革のジャンバーを引っ張った。
「なあ、にーちゃん」
「……今度は何だ」
 青年の眉間にしわが寄ったのは見ないでもわかったが、少年はかまわず彼に尋ねた。
 基本的な質問を今しておかなければ、後からは改めて訊けそうにもないと思ったのだ。
「にーちゃんは、なんで旅をしてるのさ」
「………」
「また教えられない?」
 先程とは反対に、ミラーを使って少年に顔を覗き込まれ、青年は観念したように黒い頭を振った。
「……探し物をしてるんだ」
「探し物? 何を探してるの?」
 しかし、やはり肝心なところは語られなかった。
「さあな」
「なんだよ、また秘密? オレだって少しは役に立つぞ?」
「無理だ」
「なんでえ!?」
 その時、急に青年がハンドルを右に切り、少年は振り落とされないよう慌てて手すりに掴まった。
「曲がるなら曲がるって言ってよ! 舌咬んじゃったじゃんか!」
 喚いた後、左に顔を向けた少年の目に、遠く地平で煌めく街の灯が見えた。
「……なあ、ホラッドタウンへ行くんじゃなかったのか?」
 すると、青年はあからさまに首を竦めた。
「それがわからないから、おまえには無理なんだ」
「はあ……?」
 青年の言葉には、とにかく主語がない。
 自分で言い出したものの、少年は青年と旅を続けることに早くも自信をなくし始めた。

     ■□■

 ホラッドタウンへの道筋から外れて二時間後、青年は岩山の麓にある小さな村落にサンドバイクを寄せた。
「ここ……?」
 少年はバイクから降りながら、困惑げに首を傾げた。
「……こんな村に探し物があるっていうのか?」
 少年が訝しく思うのも無理はなかった。
 点々と立ち並んだ小さな家は、壁は剥がれ落ち、屋根には穴が見られ、半ば砂に埋もれかけている。
 家を囲っていたと思われる植物はカラカラに干上がり、殆どが根元で折れてしまっていた。
 色彩も茶色と灰色ばかりで、マイロタウンの最下層とほぼ同じ状態である。
 構成する物質が金属か砂かの違いであった。
「……なんか老人と子どもばっかで、にーちゃんみたいのがいないな」
 村の中へ入っていく青年の後に続きながら、戸口からそっと彼らの様子を窺っている村人たちを見て、少年は呟いた。
 指をくわえた幼子、腰が曲がり髪を真っ白にした老婆、うつろな視線を彷徨わせている中年の男――。
 この村には、若さや活気というものがまるで存在していないようであった。
 その時、突然、青年が立ち止まり、前を向いていなかった少年は、青年の背中に思いきり顔をぶつけてしまった。
「な、なに……?」
 打った鼻の頭を撫でながら、少年が顔を上げると、おそらく村の実力者が住んでいると思われる、ひときわ大きな家の前に立っていた。
 しかし、その家さえ他の家と同様に色彩を失い、大きな屋根が建物自体を押し潰してしまいそうである。
「この家に何かあるのか?」
 しかし、少年の声など耳に入っていない様子で、青年はそのままその家の横を通り過ぎた。
「おい!」
 眉間に思いきりしわを寄せると、少年はうんざりしたように溜息をついた。
「なんなんだよ、もう」
 引き返してバイクの場所で待とうかとも考えたが、青年の目的を突き止めたかったので、少年は仕方なくまた歩き出した。
 ひとつには、村人の無言の視線に独りさらされるのが怖かったのだ。
 青年を追っていくと、岩山の切り立った壁に出くわした。
 以前、鉱山でもあったのか、二人の左手に坑道を塞いだような跡が見られる。
 しかし、青年はそちらではなく、右手にぽつんと立っている、木製の箱のような物に近付いていった。
 かなり大きな箱で、少年がすっぽりと入れるほどの大きさがある。
 壁すれすれに建てられており、正面には何かの紋様と、子どもの握り拳が入るほどの丸い穴が空いていた。
 それに向かって、青年が手をかざす。
 少年が不思議そうに見ていると、青年はなぜか周囲に耳を澄ませ、最後に木箱の上に手を置いた。
「やはりここか……」
 そういう彼の表情は、いつになく険しいものだった。
「これって……なんだ?」
 木箱を指しながら少年が期待せずに尋ねると、青年は初めてまともに答えを返してきた。
「祠だ」
「ホコラ?」
 その時、
「おい」
 突然、背後からかかった声に二人が振り返ると、そこには杖をついた一人の老人が立っていた。
 真っ白な髭が胸の中程にまで伸び、見えている肌はシワだらけで砂にまみれていた。
 ぎょろついた目がどこか爬虫類を思わせる。
「ヨソ者が何の用じゃ」
 しかし、青年の無愛想はここでも健在であった。
「爺さん、この祠は?」
 自分の用だけがすべてといった様子の青年に、老人はあからさまに表情を険しくした。
「おまえたちには関係ないじゃろう」
 その答えに青年は肩を竦めると、いきなり木箱に回し蹴りを喰らわせた。
 凄まじい音とともに、木箱が中途から吹っ飛ぶ。
「お、おい!」
「貴様、いったい何をするんじゃ!」
 突然の暴挙に目を丸くする二人を後目に、青年は木箱の中を覗き込んで、ひとり頷いた。
「……やっぱりな」
「な、何がやっぱりなんだよ」
 少年が横合いから首を突っ込むと、木箱は崖側には木材が張られておらず、直接触れられる岩肌に亀裂が入っているのが見えた。
 時折、黴臭い空気がそこから吹き出してくる。
 おそらくその奥は左側の塞がれた坑道に繋がっているのだろう。
「爺さん、ここで何があった」
 断定的に発された青年の問いに、老人は奇妙に顔を歪めた。
「なに……何じゃと?」
「この祠は、何のために建てられた?」
「………」
 まるで既に答えを知っているかのような青年の鋭い視線に、老人は苦々しげに口を開いた。
「……五十年前、この奥で死んだミホルバのためじゃ」
「『死んだ』? 殺された、の間違いじゃないのか」
 それに少年が息を呑むのと、老人が一歩踏み出すのが同時だった。
「貴様……いったい何者じゃ」
 しかし、無論、その問いに青年が答えるはずもない。
「何者って……にーちゃんはただの旅人だよ」
 まるで口の中に虫が入ったかのような顔をして、少年は代わりに答えた。


「なあ、にーちゃん。本当に行くの……?」
 青年が蹴って拡げた亀裂の穴から顔だけ突っ込み、少年はランプに火を付けている青年に尋ねた。
「怖いのなら外で待ってろ」
 振り向きもせず言うと、青年はランプをかざして奥の様子を窺った。
 案の定、亀裂の奥は坑道に繋がっており、奥から湿った空気が流れてくる。
「怖い!? このロップ様が暗がりを怖がるとでも――うひゃっ」
 首筋に地下水の落下を受け、少年は四つん這いのまま間抜けな声を上げた。
「ただの水だ」
「わかってるよっ。まったくもう、何が何だか全然わかんないよっ」
 不平を鳴らしながらも、少年は穴を通り抜けて立ち上がった。
「待ってろ」と言われても、青年が戻ってくる保証は何もない。
 知らない間に置いて行かれるのは御免被りたかった。
 服の埃を払い、深呼吸したところで、少年は思いきり顔を歪めた。
「何だ、この臭い。マイロタウンのドブ水を凝縮したような臭いだ。いったい何の臭い?」
「おまえの言う通り、ドブ水の臭いだろうよ」
「こんな場所にドブがあるの!?」
 しかし、青年はそれには答えず、ひとりどんどんと奥へ進んでいき、少年は慌ててその後を追った。
「にーちゃん、地図もないのに道がわかるの? ちゃんと戻れるのか?」
「迷子になりたくなきゃ、ちゃんと付いて来るんだな」
「わ、わかったよ」
 もしランプの光が陽光ほどのものであったら、少年はきっと気付いただろう。
 青年の顔色が蒼白になっていたことに。
「ねえ、にーちゃん。まだ行くの……?」
 坑道の壁には天井にまで木材が張られ、しっかりとした造りになっていた。
 それでも奥へ進むに連れ、木の腐敗が進み、崩れかけたところが目に付くようになってきた。
 少年が横になって初めて通れるほどの細い道、広間のような場所、崩れた階段、どこに続いているのかわからない横穴を散々通り、もはやひとりでは決して脱出できないだろうと少年は思った。
「着いたぞ」
「えっ?」
 にわかに青年が立ち止まり、少年は目を凝らして辺りを窺った。
 しかし、少し広い空間のようだが、闇がわだかまっていてよく見えない。
 青年が壁に掛けっぱなしになっていた松明に火を付けて回り、ようやくその場所の様子が浮かび上がった。
 そこは円形の空洞になっていて、壁は岩が剥き出しになっていた。
 中央には窪みがあり、わずかに水が溜まっている。
 が、湧水と呼べるような透明感はまるでなく、まさしくドブ水のような色合いであった。
 多少の苔があるところを見ると、昔は泉でも湧きだしていたのかもしれない。
 黴臭い臭いはいっそうひどく、もはや鼻を覆わずにはいられなかった。
「ここって……?」
 訝しげな少年に、青年は意外な答えを返してきた。
「言霊の泉だ」
「言霊の泉……!? そこでお祈りした願いは必ず叶うっていう、あの言霊の泉?」
「そうだ」
 少年は信じられないというふうに首を振った。
「あの話って本当だったんだ。でも……」
 中央の窪みに近付き、少年はヘドロのような水を覗き込んだ。
「……この水、湧き水っていうよりドブ水だよ? さっき背中に落ちた地下水は、別に普通の水だったけど……」
 願いを叶えるどころか呪いをかけそうな『泉』に、少年は困惑した。
 しかし、それも次の青年の声で吹き飛んでしまった。
「おい、その足下の骨を取ってくれ」
「……今、何て?」
「それだ、その白いの」
 青年の指先を追っていって、自分の足下を見た少年は、文字通り飛び上がった。
「わあー!!」
 そこには人が倒れ込んだ姿そのままに人骨が並んでいた。
 どうして今まで気付かなかったのだろうかと思うほどである。
「やっぱり怖いんじゃないか」
 青年の呆れたような声に、少年は拳を握って反論した。
「だだだだって! 骨だぞ!? 鳥でも牛でも豚でも羊でもなく、人間の!」
「人間の骨が特別だと言うなら、黄金に光っていてもいいはずだがな」
「はあ……?」
 少年が呆然とする中、青年は無造作に頭蓋骨を掴むと、少年に向かって差し出した。
「……なに?」
「これを持って真っ直ぐ立つんだ」
 少年は息を呑むと、パイナップル頭を精一杯振った。
「――や、やだよ! 冗談じゃないよ!」
「少しは役に立つんじゃなかったのか?」
「役に立つよ! 頭蓋骨持って立つ以外ならね!」
 途端、青年の鋭い視線が突き刺さる。
「いいから言われたとおりにしろ。さもなきゃ置いていくぞ」
 ひとりではこの洞窟から絶対に出られないと悟ったばかりである。
 少年は観念して頭蓋骨を受け取った。
「うええええ……これって、その、さっき殺されたとかって言ってた人の骨?」
「ああ」
「な、なんで殺されたの……?」
 少年の問いに、青年は残りの骨を見下ろすと、淡々と語った。
「ミホルバの家はこの泉の番人の家系だったんだ。そして彼も、その役目を父親から受け継いだ――」
 ある日、ひとりの男が言霊の泉の噂を聞きつけ、村へやって来た。
 彼はマイロタウンでのし上がりたいと考えており、その野心の達成をこの泉の前で願った。
 そして、その願いは成就した。
 そこまではよくある話だったが、彼が人々の前で泉の存在を語ったことから悲劇が始まった。
 欲に眩んだ者たちが怒濤のごとく村に押し寄せ、泉に群がったのだ。
 来る日も来る日も吐き出される人々の暗い願いに、泉の番人であったミホルバは危惧の念を抱き、しばらく洞窟への立ち入りを禁止すると言い出した。
 しかし、時既に遅く、泉に受け入れられなかった闇の言霊たちは人々の心を暗く冒し、人々はミホルバを殺そうと企んだ。
 彼さえいなければ、泉をもっと広げ、願いをもっと聞いてもらえると思ったのだ。
 夜、村人に手引きされた暗殺者に胸を刺されたミホルバは、辛うじて洞窟の中に逃げ込むと、その入口を自ら塞いだ。
 そして、泉のほとりで孤独に息絶えたのである。
 まだ若かったミホルバには子どもがおらず、番人の家系は途絶え、泉の再興は絶望的なものとなった。
 人々は夢から覚めたように、早々に村から立ち去り、言霊の泉が洞窟の奥にあったことを語るのは、村人たちの間で禁忌となった。
 しかし、人の欲望とは恐ろしいものであった。
 ミホルバが最期の力を振り絞って塞いだ坑道の横に小さな亀裂を発見すると、村人はそこに祠を建て、何かある度にその祠――その奥にある泉――に向かって、願いをかけた言霊を吹き込むようになったのである。
 泉がミホルバの血を吸い、腐っているとも知らず……。
 青年は、優れた言霊師として、遠く離れたところからでも言霊の匂いやその囁きを感じることができる。
 今日まで洞窟に吹き込まれた相当な量の言霊は、しかし、成就を見ずに彷徨い続け、村の中はおろか砂漠の真ん中にまで流れ出した。
 そして、バイクの上の彼の第六感に引っかかったのである。
(くそったれが。問答無用で吹き飛ばしてやりたいぐらいだ)
 耳元で銅鑼が鳴るように喚き続ける言霊たちに、青年は顔を歪めた。
 そうしたい衝動を抑えるのに、彼は先刻から砕身していた。
「――今の話、さっきのじいさんに聞いたの?」
 洞窟に入る前、青年は老人と話をしていたが、祠を蹴り飛ばし、また亀裂の穴を蹴り拡げたこともあって、かなり険悪な雰囲気だった。
 時間もほんのわずかで、そこまで詳しく聞けたとはとても思えなかった。
 案の定、青年は首を振った。
「……いや、本人から」
「本人って……」
 少年はぎゅっと目をつぶると、今や両手で持った頭蓋骨を掲げた。
「これ……?」
「ああ。爺さんには今の村の状態を訊いただけだ」
 いつ頃からかは忘れてしまったが――と老人は語った。
 若い者たちは何かから逃れるように次々と村を出ていき、捨てられた子どもや体の弱った老人たちだけが村に残された。
 昔は豊かだった村はわずかにもその面影を留めず、あとはすべてが砂に帰すのを待つばかりだという。
「にーちゃんってさあ……」
 少年は上目遣いに青年を見ると、おそるおそる口を開いた。
「……ほら、あの、シューキョーの親玉、とか……?」
「バカを言え」
「じゃあ……レーノーシャ?」
 普通、頭蓋骨と話をしたと平然という人間がいたら笑い飛ばすところだが、状況が状況だけに、少年はそうすることができなかった。
 一方、見当違いの肩書きを呼ばれた青年は、盛大な溜息を漏らした。
 このまま少年と旅を続けるのなら、いつかは言わなければいけないことだった。
「……もういい。わかった。教えてやる。オレは言霊師だ」
「コトダマシ……えっ、言霊師!?」
「そうだ」
 その貴重な存在を目の前にし、少年は思わず頭蓋骨を落としそうになった。
「言霊師ってその、つまり、歩く言霊の泉ってことだよね?」
「おい。オレを侮辱しているのか?」
 一瞬、青年の凍てついた蒼い瞳が紅く煌めいたように見え、少年は慌てて背筋を正した。
「――ううん。そんな、まさか」
「ならいいが。さて、無駄話は終わりだ。そのまま真っ直ぐ立ってろ」
「は、はい、ちゃんと立ちます。真っ直ぐにね」
 少年がまるで石膏のように身じろぎせずに立つと、青年は頭蓋骨の前に手をかざし、今度こそその瞳の色を変貌させた。
 その様子を間近に見て、少年は思わずつばを飲み込んだ。
「汝、我が言の霊を聞き、これに応えよ」
 丸天井に、青年の声がかすかにこだまする。
 しかし、反応はなく、青年は再び口を開いた。
「汝、神聖なる泉の守人の血を引くならば、我が言霊に応えよ」
 少年が早鐘を打つ心臓に苦しささえ覚えた時、ふいにどこからか呻き声のようなものが聞こえてきた。
「……れだ……誰だ……」
 四方の壁を見回した後、ふと少年は青年がじっと見つめている頭蓋骨を見た。
「同類さ。……ひどい有様だな」
「悲しい……悲しいことだ……彼ら……心は……に堕ち……」
 信じられないことに、声の主は、『彼』だった。
 実際に耳で聞いているのか、直接、脳に響いているのかはよくわからなかった。
「人間の愚かな運命だ」
「このま……では……我が泉……血泉と成り果て……まう……うか……どうか救って……」
 淡々と言葉を発する青年とは違って、声の主はひどく苦しそうだった。
 それも無理もない。
 もう五十年以上、闇の中で孤独に憎しみと悲しみを背負っていたのだ。
「救う? 泉を元に戻せば、また馬鹿どもが押し寄せるだけだ。今度は番人もいない」
「……えは……おまえは……」
「オレに守人をしろと?」
 青年がおかしげに笑うと、声の主は沈黙した。
 彼がその『器』ではないことを察したのだ。
「わかったようだな。オレにはできない」
「なぜ……へ来た……なぜここへ……」
「『なぜ』? ここを潰すためだ」
 青年があっさりと言い、少年は驚いて彼を見上げた。
 彼の目的がそれだったとは。
「潰す……我が泉を……?」
「じゃなきゃ血泉とするかだ。泉の命運は番人のおまえが決めろ」
「考えるま……もない……これ以上……が侵されて……いられない……」
「……わかった」
 言葉と同時にかざした手に力を込める青年に、少年は頭蓋骨をそれということも忘れて胸に抱え込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! にーちゃん、泉を潰しちゃうの!?」
「言ったはずだ。オレの邪魔をするなと」
 時折、青年の瞳の中で、紅い炎が揺らめく。
 少年は勇気を振り絞って、それに対抗した。
「でも、でも、この人はどうなるの? この人の居場所、なくなっちゃうよ!?」
 青年の口の端に、少年には気付けないほどの笑みが滲む。
 居場所など、彼自身はとうに失っていた。
 遠いあの日、自分の不用意で愚かな一言によって。
「少年……私のことは……いいのだ……私もまた……共に生まれ変わる……」
 少年の小さな胸の中で、主が言葉を発する。
 少年は抱きしめる腕にいっそう力を込めた。
「でも……でも……!」
「いい加減にしろ」
 雷鳴のごとき青年の声が少年を打つ。
 おそらく次に刃向かえば、青年はもう彼を見捨ててしまうだろう。
 少年は目にいっぱいの涙を溜めながら、頭蓋骨を青年の前に差し出した。
 その頭蓋骨に、青年は存外優しげな言葉をかけた。
「……今まで、御苦労だったな」
「おまえは……流れるか……その力ゆえに……」
「……それがオレの運命だ」
「そうか……よかろう……血力を……おまえに……」
 死してなお泉を守っていたミホルバが、自分の目の前で消えていこうとしている事実に、少年の心は張り裂けんばかりだった。
 双眸から溢れた涙が頬を伝わり、頭蓋骨の上に小さな泉を作る。
 その時、ふいに『彼』が少年に話しかけてきた。
 青年を憚って、少年の心に直接に。
(少年……)
(――ミ、ミホルバ……?)
 瞬きの後、少年がぎこちなく頭蓋骨を見下ろすと、『彼』は暖かみのある声で先を続けた。
(少年……最後に……きみの願いを……叶えよう……)
(え……?)
(その代わり……彼のことを頼む……)
(か、彼って、にーちゃんのこと……?)
 少年が眉をひそめると、『彼』はゆっくりと頷いた――ように見えた。
(そうだ……彼は……闇の言霊師……彼にこそ……居場所が必要だ……)
(や、闇……?)
(どんな時も……彼の傍に……)
(ミホルバ……)
『彼』の言うことの半分もわからなかったが、その優しさに溢れた想いに、少年は強く頷いた。
(さあ……きみの願いを……彼が私の力をすべて吸い取ってしまう前に……)
 ふと顔を上げると、頭蓋骨にかざした青年の手が白く光っていた。
 青年が『彼』の力を自分の内に取り込んでいるのだ。
 もう時間がないことを悟って、少年は目を綴じ、心の中で『彼』に向かって跪いた。
(……じゃあ、お願いするよ……。にーちゃん、オレの名前、まだ一度も呼んでくれないんだ……。自分の名前を教えられないから、その代わりにオレの名前も呼ばないみたいだ……)
 マイロタウンにいる時から、ずっと気になっていたことだった。
 名前を教えてくれとせがんだのも、そのためである。
 しかし、『彼』は意外な真実を少年に語った。
(名は……人や物に魂を与えるものだ……。言霊師にとって……名を教えるということは……相手に命を握らせるも同じ事……容易に教えられるものでは、ない……)
(じゃあ……じゃあ、にーちゃんは、誰からも本当の名前を呼んでもらえないの……?)
 青年の孤独を身近に感じ、少年は息を呑んだ。
(少年よ……だから、決して……彼から離れるな……彼の魂は……寂しい……彼をこれ以上……孤独にしてはならぬ……)
 少年は、もはや涙を止めることができなかった。
 彼は親に捨てられたが、代わりに愛してくれる人がいた。
 しかし、青年には誰もおらず、名前さえ呼んでもらえないのだ。
「約束するよ、ミホルバ……」
(頼んだぞ……ロップ……)
 その時、青年の力強い声が響いた。
「泉の精よ、浄き水に還れ」
 持っていたものがふっと軽くなったような気がして、少年がはっと顔を上げると、それまで濃緑だった窪みの水がみるみるうちに透明になり、それに感化されるように空気が澄み渡っていった。
 しかし、それも一瞬のことであった。
「滅!」
 次の瞬間、突き上げるような揺れとともに地響きがし、少年は思わず地面にへたり込んでしまった。
「う、わ、わわわわ! なになになになに!?」
 うろたえる少年の腕を青年が掴み上げる。
「早く外に。崩れるぞ」
「ええ!?」
 二人は今、洞窟の中である。
 このままでは崩れ落ちた岩盤の下で生き埋めになってしまう。
 少年は何とか立ち上がると、青年に引きずられるように走り出した。
「もっと早く走れ!」
「こっこれで精一杯だよっ! うわっ」
 落ちてきた岩に足を取られ、少年は前方に大きく倒れ込んだ。
「くそっ」
 青年は舌打ちすると、見かけによらない力で少年を担ぎ上げた。
 そのまま出口に向かって疾走する。
「わわわわ、わーっ!」
 顔のすぐそばを大きな岩がかすめる。
 頼りのランプも今はなく、暗がりに地鳴りが不気味に響いた。
「あっ出口だ!」
 前方に光が漏れているのを逆さの視界で見付け、少年は歓喜の叫びを上げた。
 青年は先に少年を外に出すと、すぐさま自分も脱出を図った。
 しかし、抜け切らぬ彼の足に、落下してきた岩が直撃した。
「ぐっ」
「にーちゃん!」
 中で何が起こったのかをすぐに察し、少年が慌てて駆け寄ると、青年は銃で撃たれた時のように首を振った。
「だ、大丈夫だ……」
「またオレのせいで……」
 幸い、抜け出せないほど大きな岩に挟まれたわけではなかった。
 青年は匍匐前進して穴から完全に出ると、身を起こした。
「ただの打ち身だ。ロップ、おまえは何ともないか」
 不意打ちだった。
 しかし、少年は、それを決して聞き逃さなかった。
 にわかに固まった少年を見て、青年が顔をしかめる。
「……何だ」
「ううん、何でも……へへっ」
「ヘンな奴だな」
「へへっ」
 気味が悪そうに首を竦める青年に、少年は泣き笑いの表情を浮かべた。


「ねえ、にーちゃん。この村、どうなっちゃうの……?」
 サンドバイクに乗りながら少年が尋ねた時、村の子どもがひとり、村の入口まで走り出てきた。
「父ちゃん……!!」
 少年が驚いて視線の先を見ると、夜の帳の奥からひとりの男がゆっくりと姿を現した。
 続いてひとり、またひとりと、若い者たちが砂漠からやって来る。
「な、なに……?」
 しきりと首を傾げている少年の背後で、青年はふっと笑った。
「悲しみから解放されたんだ」
 そしてバイクに跨ると、強くグリップを握りしめた。
 再び二人の旅が始まった。

inserted by FC2 system