The story of Cipherail ― 第五章 双頭の鷹


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 王都の街路には、枯れ落ちた葉が一面に敷き詰められていた。人々が思わず首元を隠すような冷たい風が吹いても、場所によっては葉の下からまた葉が現れるだけで、庭掃除を仕事とする者たちにとっては溜め息の尽きない日々である。
「葉っぱが落ちるときって、木はやっぱり痛いのかな?」
 馬上で街路樹を見上げ、ファンマリオが言う。その横で、クレスティナはくつくつと笑った。
「私たちの毛が抜けるのと同じことだと思いますよ」
「そっかー、そうだよね。痛かったら大変だよね。エイベストスとか、ミールの治療どころじゃなくなっちゃうよね」
 禿頭の侍医長の名を上げ、ファンマリオはひどく得心した様子で頷いた。配下の者の何とも言えない視線を背に感じて、クレスティナは、彼女には珍しく慌てて言い繕った。
「わ、私は適切な例を挙げたはずだっ」
 新年まで残すところひと月あまり。王太子コートミールは依然、小康状態を保っており、宮廷内では早く後継問題に決着をつけたいという人心が働いて、ますます王太子の即位を危ぶむ声が上がっていた。連日の貴族会議は紛糾し、罵声が飛ぶこともあるという。
 コートミールの次に王位継承権を有するのは、双子の弟たるファンマリオである。彼にはそんな気などさらさらないのだが、このまま王太子の病状が快方へ向かわねば、そうなるのは必至である。その圧力を幼い心なりに感じ、押し潰されそうになる不安とともに時を過ごしていたのだが、この日の朝、クレスティナの提案が彼の心を久しぶりに躍らせた。イデラ港まで馬で遠出をしようというのである。ファンマリオが港へ行くのは、テフラ村から王都へ来て以来のことだった。
 イデラ港は現在、上将軍トランスの指揮の下、変革の季節を迎えていた。海軍新設事業の一環で、護岸が再整備されつつあるのだ。
 王都の中を流れるララ運河の河口、港内としては最北部に位置する基地の造船所では、連日、手斧や木槌の音が鳴り響き、その周辺でも衣食住に関わる棟が建設され、祭りのような騒ぎとなっていた。運河の上流からは、郊外の山から切り出された大木が次々と荷揚げされ、人馬が一体となって各現場に持ち込んでいく。炊き出し場の上空では鴎たちが虎視眈々と食料を狙い、夕方には木くずを鼻腔に吸い込んだ大工たちが酒場で酒の滝を浴びるのだ。
 二ディルクほど木の匂いの漂う現場を視察した後、旧海上警備隊の詰め所へ移動した一行は、そこで遅い昼食を取った。二階の露台は海に突き出すように建ててあり、海上を往く船の姿がよく見えた。
「王都へ来る時に乗った船も、もとはああいう風に造られたんだねっ。ちょっとだけだけど、手伝えてうれしかった! いつ海に浮かべるのかな。その時には僕も見たいな!」
 面包を口に放り込みながら、興奮冷めやらぬファンマリオはまくし立てた。
「海軍事業は国家の重大事です。進水式の際には、お嫌でも必ず出なくてはいけませんから、ご心配には及びませんよ」
 そう言ったのは、陸側の縁に立っていたパウルスである。周囲を注意深く監視しながら、時折、会話に参加していた。
 時期が時期だけに、王子に何かあっては困ると、クレスティナの上官で第一大隊を預かるラルードは、この遠出に難色を示した。だが、近衛兵団長トルーゼは、王子の気晴らしの必要性を認め、城門を出ることを許してくれたのだ。上官のためにも、そして何より王子のためにも、その安全は死守しなければならなかった。
「その時には、ミールも一緒だといいな……」
 不意の呟きが、潮風を遮ってしんみりとした空気を呼んだ。ファンマリオは円卓を立つと、露台の先端に立って水平線を見つめた。
「……ねぇ、クレスティナ。ここから船に乗ったら、テイランまでどのくらいかかるの?」
「そうですね。カルマイヤ廻りですから、ふた月くらいでしょうか」
「そんなにかかるんだ……」
 天色の瞳が愁いを帯びる。クレスティナは小さな背を追って、席を立った。
「……行ってみたいですか、かの地へ」
「うん……」
 呆然と呟いた後、ファンマリオははっとしたように顔を上げた。
「――あ、サイファエールだったら、父上の治めていた場所だったら、どこへでも」
 一所懸命に自分に尽くしてくれている者たちの前で、イスフェルのことばかりを想っている自分を恥じたのだろう。八歳の気遣いにクレスティナは目を細めると、風に弄ばれた黒髪を後ろに払った。
「そのうちまた、旅ができますよ。そしてきっと驚かれます。この国の美しく豊かなことに」
「うん……!」
 その時だった。石畳を高らかに蹴る音がして、詰め所の前で馬が止まった。手綱を握っているのは、王宮で留守番をしていたクレスティナの部下だった。
「小隊長はいずこ!」
 その声にクレスティナが露台から顔を覗かせると、彼は馬を下りて大股で外階段を上って来た。そして、そこに王子の姿を見付けると、跪き、喜色満面叫んだのである。
「王太子殿下が、王太子殿下が目を覚まされました!」
 一瞬の静寂の後、大歓声とともに近衛の帽子が宙を舞った。


「ミール!」
 王宮へ駆け戻ったファンマリオが旋風のように寝室の扉をくぐると、彼の兄コートミールは、母レイミアや侍従たちに囲まれて、寝台に半身を起こしていた。
「マリオ……」
 久しぶりに自分の名前を呼んでくれたその人は、かつて住んでいたマスデラルトの孤児たちよりも痩せ細っていた。しかし、ひと月以上閉ざされていた天色の瞳は今、生気を取り戻し、まっすぐと自分を見つめている。
「ミ……」
 大きな感情の塊が腹から喉に突き上げ、ファンマリオは言葉を失った。一瞬にして盛り上がった涙が、怒濤の滝のように頬を伝う。
「ミール……!」
 ファンマリオはそのまま寝台に駆け寄ると、そこへ突っ伏して号泣した。
「よかっ……よかった、ミール! 目を覚ましてくれて、ホントによかった……!!」
 すると、コートミールは細くなった腕を引きずるように動かすと、ファンマリオの髪を撫でてくれた。
「マリオ、おまえの……おまえの声、聞こえたぞ」
「え……?」
 ファンマリオが泣きはらした顔を上げると、コートミールは柔らかな笑みを浮かべて虚空を見つめた。
「聞こえたんだ。『待ってる』って……」
 それは、二十日ぶりに対面した際、意識のないコートミールの耳元でファンマリオが囁いた言葉だった。
「ミール……」
 ファンマリオは目をぎゅっと閉じると、唇を強く引き結んだ。かつて、これほどまでに思ったことはなかった。やはり自分たちにはイスフェルが必要なのだ、と……。
 その時、ふいに背後から優しく肩が叩かれた。振り返ると、そこにはやはり目を潤ませた母レイミアが立っていた。
「さあ、マリオ。もうミールを寝かせてあげましょう。貴方が帰ってくるのを、ずっと起きて待っていたのですよ。しばらくはまだ、ゆっくり休まなくては」
 しかし、ファンマリオは首を横に振った。
「ううん、僕、もう少しだけここにいるよ。母上の代わりに」
「え……?」
 レイミアが怪訝そうな顔をすると、ファンマリオは立ち上がり、彼女の頬を撫でてきた。
「母上も、ずっと看病で疲れてるでしょ? 少し休んだ方がいいよ。ミールは僕が看てるから」
「マリオ……」
 すると、寝台の上のコートミールも、弟の言に賛同したように頷いた。
「母上。私はもう少し、マリオと話をしていたいです。だから、その間に少し休んできてください。でも、少しだけ・・・・ですよ?」
 二人の――そう、二人の息子の優しさを久しぶりにひしひしと感じて、レイミアは目頭が熱くなった。
「ミールまで……。わかりました。では、少し休ませていただきますからね。でも、ミール。マリオとおしゃべりするのは、せめて横になってからにしなさい」
「はい」
 侍従に手伝ってもらって身を横たえたコートミールは、これでいいかと視線で了解を得てきた。それに深く頷いてやると、レイミアは息子二人の額に軽く口づけし、部屋を出た。あっさりと引き下がったのは、彼女自身、コートミールの覚醒で気が抜けて、今まで無視してきた疲れがどっと押し寄せてくるのを感じたからだった。
(陛下の時のこともあるし、まだ油断はできないのだけど……)
 長い廊下を歩きながら、レイミアはふと、先ほどのコートミールの様子を思い出した。ファンマリオを撫でてやる姿が亡き夫の姿そっくりで、胸が熱く、そして痛かった。
(ミールの様子を見て、また神殿にお礼参りに行かなくては……)
 自室に戻り、侍女たちを下がらせた後、寝台に入りながらそう思った。その時だった。
「レイミア様」
 寝台の脇から男のくぐもった声がし、レイミアは驚いて飛び起きた。
「だ、誰っ!?」
「どうか、お静かに願います」
 そう言って天蓋の陰から姿を現したのは、紫がかった赤い髪の青年だった。侍従のような白い外套を纏っているが、その不敵な笑みを浮かべた顔に見覚えはなかった。
「なっ何者です!?」
 レイミアは枕の下に隠しておいた懐剣を手探りで掴むと、鞘から引き抜き、跪いている青年に突き付けた。だが、彼が表情を変えることはなかった。
「驚かせてしまって申し訳ありません。王太子殿下のご生母の寝室に押し入るような真似はしたくなかったんですが、これをお渡しするよう主から頼まれまして」
 幾分軽い調子で言って青年が差し出してきたのは、一通の封書だった。初めての事態に、レイミアの胸の鼓動が跳ね上がった。
「あ、主とは……?」
「それをこの場で申し上げることはできません」
 不審に思いながらも、レイミアはおそるおそる青年から書状を受け取った。青年の言は主人の意か、差出人の名どころか宛名さえも書かれていなかった。
「では、私はこれにて失礼いたします」
 青年の声に、レイミアははっとして顔を上げた。しかし、既に彼の姿はなく、それどころか室内のどこにも人の気配はなかった。
「いったい、どこから……」
 王家の非常事態に、ただでさえ近衛兵団の警備は堅固になっている。それをかいくぐって来たとなると、王太子の安全が決して充分なものではないということになる。
(トルーゼ殿に言った方がいいのかしら……。――何にしても、この書状を読んでみなくては)
 もはや休息どころではなかった。レイミアは寝台の横に腰を掛けると、そのまま素手で封を切った。


 それから三日の後、レイミアの姿は、王都の北、トレス山腹にある月神ミーザの神殿にあった。そこは、かつて王妃メルジアが故郷から追放したレイミアへの謝罪のために建てた神殿である。レイミアは王都へ来てからそのことを知り、この神殿を心のよすがとするようになっていた。無論、この度の王太子の件でも快癒の祈祷に何度も足を運んでおり、先日の手紙の主がこの神殿を指定して極秘に面会したいと書いてきたことに、己の行動を監視されていたようで、少なからず衝撃を受けた。
「すみませんが、しばらく一人にしてもらえますか」
 護衛の近衛兵に声をかけると、レイミアはひとり、神殿内にある廟へ向かった。そもそも廟へはメルジアが許可した人間しか立ち入りを許されず、いくら近衛でも追従することはできない。――すべて、謎の手紙の差出人の指示通りだった。
『サイファエール王家の存続について、お話ししたき議あり――』
 書面にあったその文言は、純朴なレイミアの意志を容易に奪った。「王家の存続」という言葉の対極には「王家の断絶」がある。そしてそれはつまり、息子たちの死を意味するのだ。彼女に無視できるはずもなかった。
(この中に、いったい誰が……)
 覚悟を決めると、レイミアは廟の扉を押し開いた。そして、暗がりの室内を見渡す。廟は五ピクト四方の広さで、三方の壁には子を授かった女性の胎内の様子が時を追って描かれ、天井にはそれを支配する月の聖官ミーザの姿があった。部屋の中央には白銀鷹旗の掛けられた祭壇があり、常ならばその前で立て膝を付いて祈りを捧げるのだが――。
「誰か……いるのですか……?」
 室内に人の姿はなく、レイミアは沈黙に耐えかねて口を開いた。扉の花蔦の格子窓から差し込む晩秋の陽光が、彼女の表情に色濃く陰影を付けていた。その時。
 突如、祭壇の白銀鷹旗が盛り上がった。息を呑むレイミアの前で、それは人型に起き上がり、そして――。
「ト、トランス殿……!」
 そこから現れ出た人物に、レイミアは驚愕のあまり後ずさった。彼女の背が、廟の扉を叩く。
「お久しぶりですな、レイミア殿。王太子が意識を取り戻したとか。とりあえず、お祝いを申し上げる」
 口の端に薄い笑みを湛え、王弟トランスは手ずから白銀鷹旗を祭壇にかけ直すと、ゆっくりとレイミアのもとへやって来た。やがて彼の顔にも花蔦の影が映る。
「……驚くことはない。こういう社でも、抜け道が用意されているのが常だ」
 祭壇の寸法に合わない登場の仕方に目を疑っているレイミアに、トランスは飄々と言ってのけた。そもそも王家の者が、出入り口が一箇所しかない場所を造ることなど稀なのだ。
「……私をこのようなところへ呼び出して、一体どういうおつもりです」
 ようやく我に返ったレイミアは、精一杯の虚勢を張って、トランスに対峙した。目下の危険人物を目の前にして当然の行動であったが、トランスにはただ雛を守ろうとする母鳥の姿にしか見えなかった。
「ひとつ、確認したいことがありましてな」
「……何です?」
「王子二人は、真実、兄上の――サイファエール第十四代国王イージェントの息子でしょうな」
 決して短気ではないレイミアも、この問いには即座に眉根を寄せた。
「そのことなら、以前、鷹の間で申し上げたはずです」
「私も聞いたつもりだったのだが、妙な噂を聞き及びましてな。その噂の原因は、この神殿での――そう、まさに貴女の発言だ」
「わ、私の……!?」
 噂などに覚えのなかったレイミアは、容易に困惑した。
「貴女は王太子の回復祈願のため、何度かこの神殿を訪れていらっしゃる。この廟だけでなく、誰もが入れる礼拝堂で祈りを捧げることもあったとか」
「どうしてそれを……」
「愚問ですな」
 トランスとレイミアとでは、年齢が二回り近くも離れている上、そもそもの身分が王侯出身と平民出身とで違いすぎる。レイミアに亡き国王の側室として敬語は使っても、敬意を払ってはいないトランスだった。
 レイミアは、軽くあしらわれて唇を噛んだが、ふとトランスの密書を持ってきた青年に思い至った。やはり、彼女の行動は監視されていたのだ。
「祈りを捧げる中で、貴女は『卑しい私がかいた愚かな欲の結果ならば』と懺悔していたそうですな」
「………!」
「『愚かな欲』とは、いったい何ですかな」
 トランスに見据えられて、レイミアはあからさまに視線を反らした。敵方に一番知られたくない事実を気取られていたとは、己の浅慮が呪わしかった。
「そ、そのようなこと……貴方に言う必要はありません」
「私が今日、貴女をここへお呼び立てした理由をお忘れですかな。その上での質問なのだが」
 しかし、沈黙したままのレイミアに、トランスは溜め息を吐いた。
「……おわかりでないようですから、説明して差し上げましょう。亡き陛下が認知なさったにもかかわらず、貴族たちは再び王子二人の出自について、疑い始めたのですよ。貴女の言う『愚かな欲』というのが権利欲ではないのか、と。貴女が鷹の間で明言したことは、偽りだったのではないか、と」
「そ、そんな……!」
 レイミアは裾子を掴むと、トランスに向かって叫んだ。
「私は嘘など申し上げておりません!」
「では、『愚かな欲』とはいったい何なのです?」
 迫るトランスの気配に圧されて、レイミアは再び俯いた。動揺を露わにした藤色の瞳が、落ち着きなく床の上を彷徨う。やがて観念して、彼女は声を絞り出した。
「王都へ……王都へ来たら、大変なことになるのはわかっていました。だから、一度は逃げました。でも、逃げ切れなかった……!」
 テフラ村の家を捨てたレイミアと息子たちを、イスフェルが単身で追ってきたのだ。見知らぬ夜の森を、彼女たちの安全を重んじて。
「……迎えに来てくれた方たちの為人を知り、彼らから説得を受けるうちに、私の考えは次第に変わっていきました。陛下のため、王家のため、王国のため――でも、最終的に王都行きを承諾したのは、そんな畏れ多いことが理由ではなかったのです。私はただ――私がただ、陛下にお会いしたかったから……」
 レイミアは嗚咽とともに涙をこぼすと、その場に崩れ落ちた。
「けれど、そんな思いで王都へ来たせいで、宰相殿が亡くなり、イスフェル殿が貴方に刃を向けることになってしまった。陛下も亡くなって、ゼオラ殿も行方知れず。挙げ句の果てにコートミールまで……。すべて、すべて私が王子たちを連れて王都へ来たせいで……!」
 女の慟哭に、トランスは深い吐息を漏らした。
「フン……見事なほど、『愚かな欲』ですな」
 政変に女ありとはよく言われることだが、まさにそうだった。そして、女の原動力が愛憎という、厄介なものであることも。
 そして、トランスはふと思った。もし、レイミアの存在が王都に伝わらなかった時のことを。その場合、イージェント崩御の後、王位を継いだ自分は、いったいどんな政を行ったのだろう、と。それまでの鬱憤を晴らすかのように、暴政を行っただろうか。それとも、かつて兄や親友と共有した夢を改めて追っただろうか。
(――思えば、私も愚かな欲をかいたものだ。そもそも私には、玉座に夢などなかったものを……)
 自嘲気味に笑うと、トランスは改めてレイミアを見た。権利欲にまみれた彼の妻とも、まさに王侯の姫といった王妃とも、そして亡き親友のたおやかな奥方とも違う、弱い憐れな娘。運命に翻弄され、涙をこぼしつつも、決して息子たちの前に盾となって立ちはだかり、引き下がろうとはしないであろう女。
「――もう一度、おっしゃって頂きたい。王子二人が、紛れもなく鷹の子であることを」
 すると、レイミアは濡れた頬を拭おうともせず、まるでトランスを睨み付けるように見上げた。
「必要とあらば、何度でも申し上げます。あの二人は間違いなく――」
「お名前も、おっしゃって頂きたい」
 一瞬の沈黙の後、レイミアはすっくと立ち上がった。その、人の子の母たる瞳に、迷いや偽りの影は皆無であった。
「私が産んだコートミールとファンマリオは、誓って、亡くなられたイージェント王の息子です」
「……結構。――大いに結構だ」
 トランスは大仰に何度も頷いた。
「それで、貴女は無論、コートミールに王位を継いで欲しいのでしょうな?」
「はい」
 意外なほど明快に返答したレイミアだった。
「私や王子たちがそれを自ら欲したことは、一度としてありません。しかし、王都へ来てしまった以上、そして王の子として名乗りを上げた以上、そう申し上げるしかありません。特に貴方には」
 王子に懸けた宰相親子のためにも、彼女は毅然とあらねばならなかった。
「何故、私が『特に』なのだ?」
「王子たちがいなければ、次の国王は貴方だったからです」
「フ、安直なことを」
 しかし、トランスの声は小さく、レイミアの耳には達しなかった。
「貴方は私をさぞお恨みなのでしょう? けれど、そもそも貴方が背臣との誹りを受けるようなことをなさらなければ、国を混乱させる庶出の落胤などに、陛下や宰相殿がお手を伸ばさずに済んだのです」
 呆気に取られるとは、こういうことをいうのだろう。トランスは表情を硬直させてレイミアを見た。まさかそんな言葉を彼女の口から聞くとは、思いも寄らなかった。今まで、堪えに堪えてきたものが、突如、爆発した。
「すべて……すべて、このトランスのせいだと!? そもそも、陛下と王妃の間に王子が生まれなかったのも、すべて!!」
 どす黒い闇を吐き出すかのようなトランスの声音に、レイミアは自分の失言に気付き、慌てて口を噤んだ。たとえ庶出だろうと、直系の王子の存在が明るみになれば、必ず迎えは寄越されていただろう。我慢していた恨みつらみが、仇敵を前にして思わず出てしまった。
 長い沈黙が廟内に満ちた。互いに毒を吐き出して、心を占めるのは空虚な思いだけだった。
「……なにゆえ、私をこのようなところへお呼びになったのです……?」
 先に口を開いたのは、早く王宮へ――王子たちのもとへ帰りたいと願ったレイミアの方だった。そんな彼女に、トランスは淡々と返した。
「取引をせねばならない」
「取引……? 私は、そのようなこと――」
「では、貴女の子が死んでもよいのか?」
 レイミアは目を剥いた。
「何を……!」
「私は宰相を殺した人間を知っている」
「な……!」
 驚いてばかりのレイミアに、トランスが一層追い打ちをかける。
「時に、王太子の熱病は、本当に偶然なのですかな?」
「ま、さか、あれも謀略だと……!?」
「宰相、宰相補佐官、上将軍と都合よくいなくなっているというのに、呑気なことを」
「そんな……いえ、でも、トランス殿のおっしゃっていることが真実とは限りませんわ」
 トランスは首を竦めるしかなかった。
「随分と嫌われたものですな」
「では、なぜ宰相殿を殺した輩を知りながら、イルビス将軍におっしゃらないのです! そもそも、貴方が犯人の可能性だって――」
「そうさな。私も共犯の域に入るやも知れぬな。なぜなら宰相を殺したのは、私の妻ルアンダだからだ」
「………!!」
 もはやこれまでとばかりに、トランスはレイミアの前に立ちはだかった。
「貴女と私の利害は一致している。貴女は王太子を国王としたい。そして、私は――」
 王弟トランスの壮絶な真意に、レイミアはただ雷に打たれたように立ちつくした。

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