The story of Cipherail ― 第八章 陰謀の王都


     6

「国王陛下におかれましては、式典に先立ち、王族会議を御所望です。どうぞ、鷹の間までお越し下さい」
 祭日の朝、久しぶりに訪れた王宮の居室で、何をするでもなく長椅子に身を預けていたトランスは、使者の言葉に眉根を寄せた。
「王族会議だと?」
 それは、後継者問題が起こった時や罪を犯した王族を裁く時に招集されるものであり、前回はイージェント即位の際に開かれていた。
 窓際の円卓に掛けていたルアンダは、手元の杯に茶を注いでいる侍従のカリシュにちらりと視線を走らせると、わざとらしく相槌を打った。
「まあ、何事でしょう」
 まさか将来の布石とした噂がこの日、現実になるとは思わない。しかし、王族会議が開かれる理由を他に見付けることもできなかった。
「さあ、リグストン、参りましょう」
 侍従相手に遊戯盤に興じていた息子を促すと、ルアンダは颯爽と部屋を出た。


 サイファエール王宮がリオドゥルクの丘に現在の姿を現したのは、第五代トーカンス王の御代である。しかし、鷹の間は、始祖クレイオスの代から王宮の中央に位置し、常に彼らを光の方へ導いてきた。白大理石の床の中央には黒大理石で翼を広げた大鷹が描かれ、それを緋色の絨毯が環状に取り囲んでいる。その上に、肘掛けと脚に大地に這う木の根のうねりをあしらった椅子が人数分置かれてあった。奥の壁にはサイファエール最古の白銀鷹旗が掛けられ、幾世代に渡る歴史と伝統と誇りと忠誠を静かに語っている。
 王弟夫妻の後に続いてリグストン夫婦が入室した時、部屋の奥で明るい声が上がった。
「シューリア!」
 駆け寄ってきたひとりの少女に、シューリアはほっとした表情を浮かべると、小さく礼をした。
「シャルラ様、お久しぶりにございます」
「シューリアこそ元気だった?」
 十三歳になるシャルラは、イージェントの三番目の娘で、その愛らしさから『王宮のミスレの花』と呼ばれていた。焦茶色の強い巻き毛を肩から垂らし、満面の笑顔を浮かべた彼女は、こぼれ落ちそうなほど大きな黒い瞳で従兄の娘を見下ろした。
「わー! シリル、少し見ない間にまた大きくなってる!」
 すると、席に座ろうとしていたルアンダが、シューリアに冷たい視線を向けた。
「会議に子どもなど。途中で泣き出したらどうするのです」
「も、申し訳ありません」
 その時、シャルラの後から付いてきていた少女がシューリアの前に立ち、ルアンダの視線からかばった。
「でも、シリルも王族の一員ですもの。会議に出る権利はありますわ、叔母上」
 口元に皮肉げな笑みを浮かべ、そう言い返したのは、シャルラの四つ年上の姉で第一王女のエウリーヤであった。目に鮮やかな金髪の下で、父と同じ天色の瞳が不敵な光を放っている。長女らしく毅然とした態度は、母譲りのものであった。
 さらに、十五歳になる第二王女のダリアが後に続いた。気丈な長女と天真爛漫な三女に挟まれ、あまり目立たない彼女だが、母メルジアの生き写しのような容貌で、心の強さは姉妹一と言われている。
「それに、お父様はそんなことで怒ったりしませんわ。泣き出したら、私たちが隣の部屋に連れて行きます」
 姪たちの静かな反論を受け、ルアンダは興ざめしたように腰を下ろした。
「……お好きになさい」
 姉妹たちは互いに目配せを交わすと、シリルを連れて和気あいあいと自分たちの席に戻った。
 しばらくして、衣擦れの音とともに国王が王妃とともに姿を現した。先王の弟ラースデンが立ち上がると、他の者もほぼ同時に席を立つ。
「陛下、この度は在位二十五周年、誠におめでとうございます」
「おめでとうございます」
 和する声は十一。白銀鷹旗の掛かる壁側を上座に、左手から王妃メルジア、第一王女エウリーヤ、第二王女ダリア、第三王女シャルラ、先の王弟妃サラーナ、先の王弟ラースデン、上将軍ゼオラ、リグストン妃シューリア、準上将軍リグストン、王弟妃ルアンダ、王弟トランスと居並ぶ。リグストンの娘シリルは、ダリアとシャルラの間で、従姉たちを真似て、かわいらしく礼をした。
「うむ。この日を迎えられたのは、皆々のおかげに他ならぬ。感謝する」
 国王の言葉に王族たちが恭しく頭を垂れる。顔を起こした時、さっそくゼオラが口を開いた。
「――で、陛下、敬愛する従兄上、今日はいったい何事です?」
 すると、隣席のラースデンが目を吊り上げた。
「これ、まだ老いた父に口の利き方を教えさせる気か。物事には順序というものがあるのだ」
「失礼。戦場で順序を追っていては、命がいくつあっても足りませぬので」
「おやめなさい、二人とも。見苦しい」
 睨み合う父子を、妻であり母であるサラーナが諫めるのを見て、国王は小さく笑った。
「まあまあ。叔父上、確かにゼオラの言い分も一理あります。式典の時間も迫っておりますし。さあどうぞ、お掛け下さい」
「むう……」
 ラースデンがしぶしぶと腰を下ろし、他の者も国王の目線に促されて、それぞれ席に着いた。
「……さて、今日、急に集まってもらったのは、皆に会ってもらいたい者がいるからなのだ」
 自分は立ったままの国王の声に、鷹の間の扉が重々しく開く。一様に訝しげな表情を浮かべていた王族たちが、一斉にそちらを見遣った。
「失礼致します」
 入ってきた青年の姿を見て、扉の近くに座っていたゼオラが目を丸めた。
「おぬし、イスフェル! いつ王都へ戻ったのだ!?」
 しかし、イスフェルはそれに目礼しただけで、すぐに国王に向かって姿勢を正した。
「陛下、お連れ致しました」
 内心で眉根を寄せながら、ゼオラはイスフェルの後から入ってきた者たちに視線を移した。どこか名のある貴族の子弟なのだろうか、七、八歳の見知らぬ双子の少年は、白と蒼と金を基調に、刺繍をふんだんに施した豪奢な衣装を纏い、どこか緊張した面持ちで身を立たせている。後に立つひとりの女性は、意匠こそ派手ではなかったが、まるで花嫁のような純白の絹服を纏っていた。
(む……?)
 ふと首を傾げて、ゼオラは無言のまま目を見張った。
(まさか……だが、よく似ている……)
 双子たちの衣装が、成人の儀を行った時のイージェントの肖像画のものと同じような気がしたのだ。たとえ気のせいでも、王族の色である蒼が使われているのは事実だった。ルアンダも同じ疑問を抱えていたようで、その瞳が険しくなっているのを、ゼオラは見逃さなかった。
「うむ、御苦労であった。さあ、ここへ」
 イージェントが右手を掲げて三人を導く。軽く背中を押して送り出そうとするイスフェルを、コートミールとファンマリオがほぼ同時に見上げた。それにしっかりと頷いてやると、子どもたちは安心したように父のもとへ歩を進めていった。
 イスフェルが退出し、扉が閉まるのを見届けると、イージェントは大きく息を吸い込んだ。イスフェルやその仲間たちが大切な人々を無事に王宮に送り届けてくれ、ウォーレイや他の者たちが調査や足場固めに奔走してくれた、その尽力努力に、彼は今日から報いていかなければならないのだ。まず、この王族会議から――。
「皆の者、紹介しよう――」
 ウォーレイがイスフェルを授かった日、トランスがリグストンを授かった日のことが、ふと胸によぎった。表にはあまり出さなかったが、メルジア同様、彼もまた、王子を欲してやまなかった。
「我が息子コートミール、並びにファンマリオだ。そして、その母レイミア」
 途端、王族たちの顔から表情が抜け落ちた。国王が何を言ったのかわからなかった様子で、王妃以外、全員が目を点にしている。
「この三人とは、九年前のマラホーマ遠征で生き別れとなったのだが、運命的にも今回の遠征で再会を果たすことができた。本日、レイミアを正式に我が側室に迎え、この者たちをサイファエールの王子とする」
 時間神が呼吸するのを忘れたらしく、鷹の間から幾つもの気配が消えた。初めて会う父の親族たちの様子がおかしいので、双子が不安げに母を見上げると、彼女は唇を引き結び、少し強張った表情で人々を見ていた。
 と、ふいにシリルが椅子から転げ落ちた。室内の不穏な空気に、母親のもとへ戻ろうとして、足を滑らせたのだ。両脇にいたダリアとシャルラが慌てて抱き起こしたが、幸い落ちたことに驚いただけで、泣くようなことはなかった。そして、それが人々を我に返らせた。最も立ち直りの早かったのは、第一王女のエウリーヤだったが、あまりのことに、先程ルアンダを黙らせた威勢の良さは消え失せている。
「ちょ、ちょっと、ちょっと待って下さい、お父様。では、その……こ、この者たちは、私たちの……その、お……弟だと……?」
「……さよう」
 父の重々しい返答に対して場違いに明るい声を上げたのは、末娘のシャルラであった。
「弟!?」
 彼女は大きな黒い瞳を爛々と輝かせると、シリルをダリアに任せ、席を立った。床の黒い鷹の上を横切り、少年たちの前に立つと、興味深げにその顔を覗き込む。
「まあ、あなたたち、双子なのね!? どっちがコートミールでどっちがファンマリオ?」
 これには双子の方も驚いてしまった。気の強いコートミールが、しどろもどろで答える。
「オ、オレがミールで、こっちがマリオだよ」
「そう! 私はシャルラよ。よろしくね。それから――」
「シャルラ!」
 事態をまるで理解していない妹を、エウリーヤが鋭く叱咤する。しかし、シャルラはそれを気にも留めなかった。
「今叫んだのが一番上のエウリーヤ姉様よ。その隣がダリア姉様。エウリーヤ姉様、なあに?」
 悠長に振り返る妹の顔を、エウリーヤは針でも投げつけるかのように睨み付けた。
「なあに、ではないわ! 大事な話の途中なのっ」
 そこで、シャルラはようやく自分以外の人々の表情がエウリーヤとほぼ同様であるのに気付き、あからさまに頬を膨らませた。三人姉妹の末っ子である彼女は、弟か妹が欲しくて仕方がなかったのだ。姉たちと遊ぶと、いつも年下の自分が損をしているような気がしていた。だから、シューリアがシリルを産んだ時も、自分に妹ができたようで、とても嬉しかったのだ。
 シャルラがすごすごと自分の席に着いたのを確認すると、エウリーヤは早速、天色の瞳を父親に向けた。
「陛下――いえ、お父様。いったいどういうことなの? こんな、突然に、こんな……」
「すまぬ」
「!!」
 ほぼ即答に近い形で謝罪され、エウリーヤは言葉を失った。これまで、父親が彼女たちに謝罪するような行為をしたことはなかった。いや、国王なのだから、したとしても簡単に謝罪するようでは困るのだが。
「母様っ……」
 状況に窮して、エウリーヤは母親に加勢を求めた。父のこの仕打ちに、最も腹を立てているはずである。しかし、彼女の思惑は見事に外れた。母メルジアは、目を吊り上げている娘に、静かに首を振ったのである。
「エウリーヤ。これは、この数か月、私が最も望んだ結果なのです」
「え……?」
「すべては私のせいで――」
「メルジア」
 言葉を遮った夫を、メルジアは黒い瞳に意志を込めて見返した。
「いえ、陛下。私は償わなければならないのです」
「……すまぬ」
 レイミアを愛したことに後悔はないが、そのためにメルジアをひどく傷付けてしまった。国王という身分が複数の妃を持つことを許されているとはいえ、それを当然のごとく受け入れることはイージェントにはできなかった。彼としても、自分の妃は一生メルジアだけだと思っていたのだが、運命とは恐ろしいものである。
「……すべては、私の浅はかな行為が引き起こしたこと――」
 メルジアは立ち上がると、二歩ほど部屋の中央に向かって歩み寄った。
「九年前のマラホーマ遠征の際、陛下は一時、戦場で行方不明となられました。その時、崖から落ち、お怪我をなさった陛下を助けて下さったのが、このレイミア殿なのです」
 その時、ゼオラはカイザール城塞の中庭にあった、古ぼけた記念碑のことを思い出した。城塞の兵士に城内を案内してもらっている時に見かけたのだ。
「まさか、カイザール城塞の碑の……?」
 ゼオラの疑問に、国王が頷きを返す。しかし、碑文を思い浮かべたゼオラは、再び首をひねった。
「いや、しかし、彼女は死んだはず……」
「そうさせたのは、私です」
 皆が目を見張る中、メルジアは淡々と自分の罪を語った。嫉妬に駆られ、夫に先んじて使者を送り、レイミアを親と引き離してしまったこと。自分が偽装したレイミアの死を信じて落胆する夫を、見て見ぬ振りをしたこと。結果、レイミアが宿していたサイファエール王家の子を、野に埋もれさせるところだったこと――。
「……なんと、信じられぬ……。貴女様ほどの賢き女性が……」
 メルジアはかつてレイスターリアの王女であり、今はサイファエールの法でその地位を保障された女性の中の女性なのだ。それが身分の低い妃のような振る舞いをし、結果的にサイファエールから直系の王子――まだ定かではないが――を奪おうとしていたとは。
 ラースデンの唸りに、メルジアは項垂れた。自分の罪を、子どもたちは勿論、親族たちにさらしてしまうのは屈辱的なことである。おまけに、その中には最も聞かれたくない相手が含まれているのだ。しかし、彼女がその汚名を着てしまいさえすれば、双子を夫の子と認めてもらえる道のりは、かなり短くなるに違いなかった。
 ふと左手に触れた温もりにメルジアが我に返ると、いつの間にやってきたのか、ファンマリオが心配そうに彼女を見上げていた。
「義母上、また泣いてるの……?」
「――マリオ殿……」
 メルジアは溢れそうになる涙をぐっとこらえると、ファンマリオを安心させるために小さく微笑んで見せた。数日前、謝罪に赴いた白薔薇宮で、彼女は子どもたちを見て思わず涙してしまった。自分が彼らの母親にしたことを正直に話すと、少年たちは「母さんが怒ってないから、ボクたちも怒らないよ」と優しく言ってくれたのだ。彼らのためにも、これ以上、無様な姿をさらすわけにはいかなかった。
 ファンマリオの頭を撫でている王妃の姿を見て、イージェントが驚いたようにレイミアを振り返ると、彼女は小声で「会いに来て下さったのです」と告げた。いつの間にか芽生えていた女たちの友情に、彼は言葉を失った。そこへ、冷水を浴びせるかのような声を発したのは、王弟トランスだった。
「陛下」
 彼は椅子から立ち上がると、メルジアと同じように二歩ほど歩み出、正面から兄王に対峙した。
「陛下がいかような女性を側室に迎えようと、それは陛下の御自由でございます。なれど――」
 トランスは突如、双子に鋭い視線を向けた。
「この者たちは真実、陛下の御子なのです? 急に王子とするとおっしゃられましても、我がサイファエール王家の血を引いているという証拠がなければ、私たちはおろか、臣下の誰も納得できませぬ」
「そうです! この者が誠実なる陛下を欺いているやもっ」
 今まで口を挟む余地を与えられず、しかし突然の落胤発覚で怒りが頂点に達していたルアンダが、水を得た魚のように刺々しい声を上げる。あからさまに差された指が自分の方を向き、レイミアは思わず息を呑んだ。それは、即座に子どもたちに伝わった。
「母さんは人をだましたりしないぞ!」
「そうだよ! そんなの、悪い人間のすることだ!」
 双子の反撃を真っ向から受け、ルアンダの表情がいっそう険しくなる。
「ミール、マリオ、やめなさい」
 母親の言葉に不服そうな彼らに、ルアンダは「威勢の良いこと」と嫌味を返した。
 その時、エウリーヤから何事か耳打ちされたダリアが立ち上がり、双子の前に立った。
「さあ、二人とも、隣の部屋へ行きましょう」
「え、でも……」
「お母様にはあとでまたすぐに会えるわ。だから、ね?」
 このあたりになると、事情を察したシャルラが目を嬉しそうに輝かせ、扉の前で待ちかまえていた。無論、その手にはシリルの小さな手も握られている。
「うん……」
 双子が王女たちに連れられて部屋を出て行った瞬間、イージェントは彼にしては珍しく厳しい面持ちで弟の妻を見つめた。
「……ルアンダ殿、誤解しないでもらいたい。レイミアは小さな幸せを望んでいた。それを取り上げ、無理にここへ連れて来たのは、余なのだ」
 卑しい微笑みが、ルアンダの口元に滲む。
「……まさか、それを証拠とおっしゃるおつもりではございませんでしょう?」
「王弟妃! 陛下に対し奉り、失礼であろう。控えよ」
 身内のそれも女性ということもあり、ゼオラの声は極めて抑えたものだったが、それをいいことに、ルアンダは彼を睨み返す有様だった。
「……証拠はある。カレサス!」
 国王が叫ぶと、再び扉が開き、今回の事件の発端となった侍従が入ってきた。年齢は二十代後半といったところか、淡い卵色の外套を纏い、肩までの銀の髪を後ろでひとつに結んでおり、深い森を思わせる瞳には知性の光が宿っていた。
 彼が思い立ってレイミアの故郷を訪ねなければ、彼女が生きていたことも、サイファエールに王子を授かっていたことも、歴史の中に埋もれてしまっていたに違いない。跪き頭を垂れるカレサスに、国王は穏やかに声をかけた。
「そなたがレイミアの故郷で調査してきたことを報告してくれ」
「御意」
 青年は衣の音も立てずに立ち上がった。彼はマラホーマ遠征の最中、証拠集めに再びダーズワールの村を訪ねていた。そこで出会ったレーテという女性が、レイミアの妊娠を知っていたのだ。
 九年前の戦いの折り、レイミアはイージェントの看病のために、三日間、村に帰ることができなかった。レーテはレイミアの隣の家に住んでおり、レイミアを妹のようにかわいがっていたこともあって、戦に巻き込まれたのではないかとひどく心配したという。レイミアが無事に戻り、戦もサイファエールの勝利で終わり、村に平和が戻った頃、レイミアの母親がレーテのところへ相談に来た。娘が見合いをしたがらないというのだ。レーテが早速、レイミアのところへ行くと、彼女は絶対に嫌だとの一点張りだった。理由を訊いても決して答えようとしなかったが、レーテにはひとつ思い当たる節があった。行方不明になって以来、レイミアがよく物思いに沈んでいるのを見ていたのだ。
 レーテがあの三日の間に本当は何があったのかと尋ねると、レイミアは相変わらず何も言おうとしなかったが、その顔は紅く染まっていた。レイミアが思いつめている様子なので、軽く「その男と結婚したいって母さんに言えばいいじゃない」と言うと、レイミアは思わず「無理なの!」と叫び、途端、泣き出してしまったという。
 しかし、それからふた月もしたある晩のことだった。レーテが作りすぎた夕食をお裾分けにレイミアの家を訪ねたところ、その料理を見て、レイミアが吐き気を催したのだ。その様子を見たレーテは、自分の経験で、それがすぐに悪阻であることがわかった。レーテは問いつめたが、レイミアは「もうどうしようもないの」とただただ首を振るばかりだった。レイミアが「川に落ちて死んだ」のは、その翌日のことである。
「レーテは貴女様のお力になれなかったことを、とても悔いていました。ですから、貴女様が生きていると聞いて、涙を流して喜んでいましたよ。自分が話すことで貴女様が幸せになるならと、昔のことを丁寧に話してくれたのです」
 レイミアは思わず顔を覆った。レーテに咎人のような思いを味わわせるくらいなら、真実を打ち明けてから村を出るべきだったかもしれない。しかし、相手にとっては一介の村人など消すにたやすいことなのだ――自分がそうだったように。それを思えば、やはり言うことはできなかった。
「ではやはり、あの子どもたちは……」
 ラースデンが乾いた呟きを漏らした時、国王がレイミアの背に手を当てて言った。
「レイミア、今日はそなたにも会わせたい人物がいる」
 これほど王族以外の人間が鷹の間に何度も出入りした日も、かつてなかっただろう。落ち着かない様子で入ってきた二人の女性を見て、レイミアが声を上げた。
「ローザさん! ラナ・フォール!!」
 呼ばれた二人はレイミアの姿を見付けると、破顔して彼女に駆け寄った。
「レイミア!」
 ローザと呼ばれたふくよかな女性がレイミアを抱きしめる。
「事情は聞いたよ。おまえ、辛かったんだねえ。頑張ってたんだねえ」
「ローザさん……」
「別れてからも、ずっとあんたのこと気になってたんだよ。ちゃんと元気な子産めたかなって……」
「ええ、ラナ・フォールが助けてくれたから……」
 ローザに抱きしめられたままレイミアが顔を上げると、神官服を纏った女性が目に涙を滲ませながら頷いた。
「まさか貴女にこのようなところでお会いできるとは」
 そこで、カレサスが唖然としている王族たちに、客人を紹介する。
「ピローフ隊商のローザ殿、シンベデル神殿のラナ殿でございます。ローザ殿は九年前、お一人で旅をしようとしていたレイミア様を一時、隊商に預かって下さった方です。そしてラナ殿は、レイミア様がマスデラルトで身を寄せられた神殿で、お産に立ち会われた方です」
 ローザは即位記念式典で商売をするため王都に来ており、ラナは複名を廃し、数年前に王都の神殿に仕えるようになっていた。
「お二人とも、よくいらして下さった」
 国王の言葉に、二人は身を正すと、深々と礼をした。
「ローザ殿、そなたがいてくださらなければ、レイミアは旅の途中で命を落としていたかもしれぬ。本当に感謝する」
「いえ……いえ……」
 ローザは恐縮しきった様子で、もう一度頭を下げた。彼女にしてみれば、小さな親切心と同情でレイミアを預かっただけである。それが九年もの時を経て、まさか王宮の真ん中で国王に礼を言われる事態になるとは思いも寄らなかった。
「ラナ殿、日記は見付かっただろうか」
 国王の少し不安げな声に、ラナはにこやかに微笑み、懐から古びた書物を取り出した。
「はい、ここに」
 そして、栞を挟んでいた頁を開くと、そのまま国王に差し出した。国王はそれを受け取ると、それをエウリーヤに差し出した。
「読んでくれるか?」
 どこか不満げにそれを受け取ったエウリーヤだったが、最初の数行を走り読みして、はっと顔を上げた。双子たちが生まれた日の日記だった。父がそれを自分に読んで欲しいと言った心の内を察して、エウリーヤは静かにそれを読み始めた。
「……『六月二十八日。筆を持つ手が震えている。今日は素晴らしいことがあった。レイミアがついに出産したのだ。以前からラブロ医師の診断で双子ということがわかっており、お産はかなり大変なものになると心配していたが、レイミアはその苦しみに堪え、見事子どもを産み落とした。四つの天色の瞳は、この世のものとも思えないほど澄んでおり、その産声は神にも届かんばかり、握りしめた拳が何とも愛らしい。レイミアも健康そのもので、これまで時折見せていた淋しげな表情はまるで消え失せ、子どもたちを見つめる眼差しは清らかでありながらどこか力強いものとなっていた。
 名前は以前、神官長に決めていただいた通り、先に生まれた方をコートミール、後に生まれた方をファンマリオとした。レイミアは父親のことを何ひとつ語らないが、神官長はおそらく高貴な御方の子ではないのかと、立派な名を与えたという。女独りで育てていくのは非常に厳しいことであるのに、彼女の決心はデラス砦の守りより難いらしく、子を得た今となっては、もはや誰もそれを打ち崩すことはできないであろう。
 神よ、どうかあの弱き存在に大いなる光をお与え下さい』――」
 読み終えて、エウリーヤは大きく息を吐き出した。
「……なるほど、もうひとつの証拠は、あの天色の瞳だな」
 ラースデンの言葉に、にこりと微笑む。
「――私がお父様の娘である証拠と同じものだわ」
 彼女の父は、国王でありながら、家族への説明責任をきちんと果たそうとした。エウリーヤにとって、それだけで充分だった。ふいに伸びてきた母の手が彼女の手を撫で、エウリーヤはそれを強く握り返した。
「証拠はまだありますわ」
 突然のサラーナの言葉に、皆の注目が集まる。
「貴方、お気付きになりませんの? あの御子たち、貴方の下の甥っ子の幼い頃によく似ていますわ」
 誰もが脳裏の家系図を辿っていき、結果、その人物に視線が集まった。
「――おお、確かに。おお、そうだ、似ておるぞ、トランスに」
 突如、ラースデンが興奮したように手を打った。
 顔だけではない。双子が母をかばおうとしていた姿は、昔、トランスが兄をかばおうとしていたものとまるで同じだった。
「あとで侍従長にも訊いてみるとよい。きっと首を縦に振るだろうよ」
 しかし、当のトランスは無表情を装ったままであった。代わりに、隣のルアンダが忌々しげな視線をサラーナに放つ。その時、会議が始まってから一言も発していなかったリグストンが、嘲るように呟いた。
「何を戯れ言を。子どもの顔など、どれも似たようなものだ」
 シリルという娘がありながら、人の親とも思えぬような彼の言葉に、ゼオラは苛立ちの表情を隠そうとしなかった。もともと表情を作ることは、彼の得手ではない。
「それはつまり、シリルはおぬしとシューリア殿の子ではない――ということにもつながるがな」
 しかし、その挑発に激昂したのは、夫ではなく妻の方だった。
「なっ何を!」
 椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がったシューリアを、彼女に物静かな印象しか抱いていなかったゼオラは、内心で驚きながら、軽口を詫びて落ち着かせた。が、今度は自分の両親に向かって同じ問いを発する。
「父上、母上。このゼオラは真実、あなた方の子どもで?」
 ラースデンはちらりとゼオラを見遣ると、軽く首を竦めて見せた。
「そう言われると、物証は何もない。が、向こう見ずな性格を考えると、私の子ではないのかもしれぬな」
「………」
 ある意味、墓穴を掘ってしまったかもしれない。しかし、ラースデンの軽口は、意外なところへ飛び火した。
「……自分の数々の浮気を棚に上げて、私を向こう見ずだと?」
 妻の氷のように冷たい言葉に、ラースデンは老体にもかかわらず息を止めると、国王に向かって必死で助け船を求めた。父に代わりエウリーヤが大叔母を宥めている間、イージェントは椅子に座っている弟を見下ろした。
「ゼオラの言うとおりだ。トランス、我が弟よ。我々が偉大なるフォトレル王の息子だという真実違いない証拠はあるか?」
「………」
 両親は彼らに愛情のすべてを注いでくれたが、だからといって、彼らの本当の子どもだとも限らない。両親の了承の有無にかかわらず、赤ん坊の折り、本当の子どもと自分が取り替えられた可能性がまったくないとは言い切れないのだ。ただそれが表に出ていないだけで、王宮というところは、血の魔物が巣くう場所でもあるのだ。
「人の出生など、疑い始めたらきりがない。九年前の戦場で余はレイミアを愛し、その十月後、子どもたちが生まれた。これ以上の議論は無用だ」
 話を持ち出したのはこちらであるが、もともと全員の快諾が得られるとは思っていない。国王が会議の終了を宣言しようとした時、気分を害していたサラーナが待ったをかけた。
「お待ち下さい、陛下。最後にひとつだけ、レイミア殿にお尋ねしたいことが」
 国王の了解を得て、サラーナはレイミアの前に立った。
「レイミア殿、私は先王フォトレルが実弟ラースデンの妻サラーナです。夫には異論があるようですが、あそこに座っているゼオラは真実、私たち夫婦の息子です」
 その言葉に、背後で吐息がふたつほど聞こえた。
「子を持つ母として、お尋ねします。あの双子の御子たちは真実、貴女と陛下との間にできた御子ですか?」
 それを聞いた時、レイミアはふとセフィアーナのことを思い出した。テフラ村で、あの少女は涙ながらに自分に訴えたのだ。双子がイージェント王の落胤であることは、レイミアにしか証明できない、と。
(そう、私はそのためにここへやって来たんだわ……)
 そう思った時、彼女の内に力が漲ってきた。それに促されるまま、レイミアは深く頷いた。
「……はい」
「あの、白銀鷹旗に誓えますか?」
「はい」
「正義を照らす太陽神の子としても?」
「はい。コートミールとファンマリオは、間違いなく陛下の御子です」
 レイミアの藤色の瞳に一寸の曇りもないのを見て取って、サラーナは安心したように頷いた。
「……いいでしょう。陛下、私は陛下の新しい家族を歓迎いたします」
「叔母上……」
 サラーナに倣い頭を垂れるラースデンとゼオラに、国王は安堵の表情を浮かべた。が、無論、それは一瞬のことであった。


 鷹の間を出た途端、トランスはウォーレイと出くわした。いや、ウォーレイが彼を待っていたのだ。
「……私が昨日、お屋敷をお訪ねした理由が、これでわかっていただけたと思います」
 その言葉にトランスは一瞬、ウォーレイを睨み付けると、ふっと皮肉げな笑みを浮かべた。
「妾腹の、それも双子など! 結局、災いの種を蒔いただけではないか。おぬしの夢もろくなものではないらしい」
「少なくとも私の夢は、あと殿下が来て下さるだけで叶います」
「まだ言うか。この際、この場で私を殺したらどうだ? そうすれば後が楽になる」
 だが、ウォーレイは挑発には乗らなかった。彼はあくまで、王弟と和解がしたいのだ。
「私も陛下も、いつも執務室で殿下を待っています。それだけは忘れないでください」
 そう言い置いて、ウォーレイは即位記念式典のために去っていった。しばらく廊下に立ち尽くしていたトランスだが、ふと横顔に視線を感じて振り返ると、少し離れたところから、ルアンダが彼を半ば睨み付けるように立っていた。
「……何だ」
 すると、ルアンダは彼のそばまでやって来、蔑むように夫を見遣った。
「私が貴方でしたら、このような事態には決してなりませんでしたわ」
「では、どうなっていたのだろうな。きっとこの壁もその壁も、あの壁も、紅く染まっていただろうな」
 どかっと、トランスはルアンダの眼前の壁を殴った。
「王弟妃でありたいなら、王弟である私を少しは敬うことだ。このサイファエールで、私を差し置いて陛下に楯突くことは許さぬ」
 吐き捨てるように言い、去っていく夫の背を、ルアンダは冷笑とともに見送った。
(誰が王弟妃でなどありたいものか。もう、これ以上は待てぬ。想像通り、この壁も、いや、あの鷹の間ごと、紅く染めてやろう……!)


 扉の向こうで、《太陽神の巫女》の玲瓏たる声が響いている。
「……やれやれ、オレは相当運が悪いらしいな」
 イスフェルはくすりと笑うと、背後を振り返った。
「大丈夫ですか?」
 すると、ファンマリオが困っている仔犬のように、眉根を寄せた。
「イスフェル、ボク、なんだかこわいよ。さっきのぞき見したら、おっきな人がいっぱいいたんだ」
 イスフェルは声を殺して笑った。扉の向こうは即位記念式典の真っ最中である。文武百官が立ち並び、イージェント王の御代を称え、自分たちの忠誠を新たに誓っているはずだ。
「心配ありません。私が付いています」
「……うん」
 それでも俯き気味なファンマリオをコートミールが小突く。
「さっき義姉上と頑張るって約束しただろ。行かなかったら、父さんの子になれないぞ」
「わ、わかってるよ!」
 その時、中の様子を窺っていたカレサスが、イスフェルを見た。
「イスフェル殿、そろそろです」
 三人が緊張に大きく息を吸い込んだ時、重厚な音とともに、蒼の間の扉が開いた。目の前から、端に山吹色の房が付いた灰色の絨毯が、玉座まで延々と続いている。そしてそこには、微かに笑みを浮かべた新しい家族が三人を待っていた。
「さあ、胸を張って」
 三人は、そのままイスフェルに先導されて、居並ぶサイファエールの忠臣たちの間を静かに進んでいった。国王に王子が存在すること、その母親を側室に迎えることが既に告げられていたため、大きな混乱はなかった。あるとすれば、この後に行われる晩餐会で、貴族たちに公表した時である。
 イスフェルは玉座の下で止まったが、三人はそのまま上に向かって階段を上っていった。イージェントは息子たちの小さな肩に手を乗せると、彼らに正面を向かせ、そして叫んだ。
「サイファエールの王子コートミールとファンマリオである!」
 すると、文武百官が一斉に拳を胸に当てて応えた。
「我らの王子に忠誠を! サイファエールに栄光を!!」
 その大音声は、蒼の間の天井に描かれた青空にいつまでも響いていた。

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