The story of Cipherail ― 第八章 陰謀の王都


     7

 翌朝、イスフェルが双子の部屋を訪ねると、彼らは部屋の中央にかかしのように立たされ、その周りでは王家御用達の仕立屋が採寸の真っ最中だった。ファンマリオは職人たちの様子を興味深げに見ていたが、コートミールはどこか不機嫌そうだった。
「ミール様、マリオ様、おはようございます」
 イスフェルが挨拶すると、コートミールが「あっ」と声を上げ、早速不満を漏らした。
「イスフェル、これ、いつ終わるの? 父さんが馬をくれるって。早く見たいのに」
 疲れたように背筋を丸め、肘をだらしなく伸ばしているコートミールを見て、イスフェルは困ったような笑みを浮かべた。
 つい昨日まで二人の存在は極秘だっただけに、彼らは王子として必要な服をまるで持っていない。昨日の正装は、背格好が同じ貴族の子弟の型紙をもとに、白薔薇宮のノスターシャが寝る間も惜しんであつらえてくれたものである。今採寸している服ができるまでの間に着る服は、イスフェルの母ルシエンが宰相である夫の依頼を受けて密かに調達した物だが、無論、正確な大きさではない為、どこかちぐはぐした感が否めない。平民の子どもとして過ごすには勿体ないほどだが、彼らはもはや王族なのだ。さらに、王子の存在を一日も早く人々に浸透させるためにも、当分は彼らをできるだけ表に出すようにしなければならず、その時に着る衣服の製作は、最も急がなければならない事項のひとつだった。
「ミール様、馬に乗るには、馬に乗るための服が必要なのです」
 イスフェルの言葉に、コートミールは天色の瞳を見開いた。
「えー! そうなの!?」
「そうです。ですから、ちゃんと姿勢を正して、彼らの仕事がしやすいように協力して差し上げて下さい」
「わ、わかった!」
 途端、背筋を伸ばし、隣のファンマリオの手が邪魔だとばかりに、コートミールは手を伸ばした。それを見て、窓側に控えていた侍従のカレサスが苦笑しながらイスフェルのもとへやって来た。
「イスフェル殿、宰相補佐官をやめて、侍従になられませんか?」
 その困惑した表情は、イスフェルが来るまでの苦労を物語っていた。
「何をおっしゃっているんです。お聞きしましたよ。お二人の筆頭侍従に内定されたそうですね」
 すると、カレサスはいっそう困ったような顔をした。
「今回のことが発覚した時、私は侍従としての使命感で、必ずレイミア様とお子様が王宮に戻れるようにしようと誓いました」
「生意気を申し上げますが、御立派なことです」
「けれども、実際にそうなって、その功を認められて筆頭侍従になれと言い渡されて……」
「……何です?」
 カレサスの歯切れの悪い物言いに、イスフェルは少し不安になった。もともとあまり面識のない人物であるから、昨日の王族を前にしながらの毅然とした姿と今の姿のどちらが基本なのか、図りかねたのだ。
「私には兄弟がおらず、幼い時からずっと本の虫でした。ですから、二十近くも年齢の離れたお二人を――そう、お二人もです! お世話しなければならないと思うと、なかなか……」
「他に侍従は?」
「陛下の侍従の中で私が一番若いのですが、その私が筆頭侍従なのですよ。他には……」
 首を振るカレサスに、イスフェルは内心で天を仰いだが、あることに気が付いた。
「では……その、ミール様とマリオ様の侍従の人事は――」
「ええ、私が一任されております。まあ、人選に余程の誤りがない限りは」
 カレサスは一度双子に視線を遣って進行状況を確かめると、その後、イスフェルを隣室に誘った。
「――実は、そのことで折り入って御相談があるのです」
 カレサスは今の自分にあまり人脈がないことを語ると、王立学院を出て間もないイスフェルに、彼の友人かまたは在学中の者で、侍従に向きそうな人間がいないかと尋ねてきた。年上の、それもあまり親しくない相手に、突然重要な話を持ちかけられてイスフェルは面食らったが、二、三、思い当たる人物があったので、その名を口にした。そんな彼に、カレサスは丁寧に礼を述べてきた。ちょうどその時、仕立屋が作業を終えたことを報告に来、イスフェルは双子たちの部屋に戻ろうと踵を返したが、再びカレサスによって呼び止められてしまった。振り返ると、カレサスは今まで以上に真剣な面持ちで、イスフェルを見ていた。
「カレサス殿?」
 訝しげなイスフェルに、カレサスは慎重に言葉を選びながら言った。
「……イスフェル殿、私は今の侍従長と宰相と近衛兵団長の関係を尊敬しています。お互いを尊重し、見事な和を保っていらっしゃる」
「得難いものを得たと、以前、宰相閣下がおっしゃっておられました」
 イスフェルの言葉に、カレサスは深く頷いた。
「熱望していた王子をやっと得たのですから、その関係は良き伝統として今後も引き継いでいきたい」
「それは……私もまったく同じ意見です」
 イスフェルは、ここに来てようやく、なぜカレサスが重要な人事の件について彼の意見を求めたかを察した。実際に侍従の人選で困っていたのもあるのだろうが、重要な事項でイスフェルを頼ることで、カレサス自身にイスフェルに対する敵意はなく、むしろ良好な関係を望んでいることを、この上なく強く示してきたのだ。落胤の存在を明確にした者、その落胤を実際に迎えに行った者と、彼らの関係は本来、微妙なものである。しかし、敵にそこを突かれ、せっかく得た王子を失うことがあっては決してならないのだ。
(……案外、抜け目がないな)
 その頼りなげな様子に一瞬、肝を冷やしたが、イスフェルはカレサスをとりあえず信用することにした。どのみち双子が世間に受け入れられない限り、お互いに未来はない。
「早いうちに、お二人の周りを固めて下さい。私にできることがあれば、いつでもお役に立ちましょう」
「ありがとうございます」
 双子の部屋を出て廊下を歩きながら、イスフェルは、宮廷内の勢力図が一夜のうちにも急激な変化を見せていることに改めて驚きを覚えた。昨夜の晩餐会で、国王がレイミア親子のことを公表した時、貴族たちの表情は見事なほど二分した。つまり、三割と思っていた王弟派は、昨今の噂も手伝ってか、五割に増えていたというわけである。しかし、晩餐会が終わる頃には、双子が意図せず愛嬌を振りまいたこともあって、その五割はあっという間に一割近くにまで減っていた。無論、それは表向きのことではあるが、イスフェルが歩いているだけで、今までどこか敵意を感じさせていた者たちが、擦れ違う時ににこやかな笑みを向けて来る。王弟派だと豪語していた者たちに至っては、慌てて駆け寄って来、イスフェルの手を無理矢理握ってくる者もいた。
(皆が味方の振りをしてくるが、本当の味方が誰か、しっかりと見極めねば……)
 いくら国王や新しい王子たちの傍にいるとはいえ、イスフェルもうかうかとはしていられない。父の言った戦いは、今始まったばかりなのだ。


 執務室に戻ったイスフェルは、午前中のうちに遠征の残務処理を済ませると、午後からようやく日常業務に戻った。とはいえ、落胤公表の余波か、書記官室はどこか浮き足立っており、イスフェル自身にも貴族たちの目通りが殺到して、殆ど何もできなかった。何よりも歯痒かったのは、昨夜のうちに学院時代の友人たちと約束していた剣舞の稽古に行けなかったことである。イスフェルが長らく王都を留守にしている間に、剣舞が宮廷の男たちの間で流行となっており、友人たちがわざわざ教えてやると言ってくれたのだ。無論、落胤発覚の翌日で忙しいことはわかっており、ユーセットにも最初から諦めろと言われていたのだが、彼としては剣舞を教わることは勿論、友人たちに双子のことを話してやりたかったのだ。
 太陽が西の山際に沈む頃になって、イスフェルはようやくユーセットの入れてくれた茶で人心地ついた。今日ばかりは書記官たちも早々に退出し、セディスがやれやれといった面持ちでイスフェルの向かい側に腰を下ろす。
「……今日、王弟殿下は登城されなかったらしいな。今年の式典で王位継承者が決まる、か。ある意味、その通りになったわけだ」
「もはや皮肉を言っている場合ではないぞ。あの女狐が、思い余って何をしでかすかわからん。ミール様とマリオ様は勿論、オレたち自身も気を付けなければ」
 ユーセットの言葉にセディスが頷いた時、扉を叩く音と同時に、シダが入ってきた。「ここはおまえたちの溜まり場ではないぞ」と、もはや口癖のようになっている言葉を懲りずに言おうとしたユーセットだが、シダが普段にもましてニヤニヤした表情を浮かべていたので、その機を逃してしまった。代わってセディスがシダを見て眉根を寄せた。
「何だ、気持ち悪い」
「いや、やっぱりなーと思って」
 そう言って、シダはいっそうニヤニヤしながらイスフェルを見た。
「……何だ」
 イスフェルがシダを見上げると、シダは空いた椅子にどかっと腰を下ろし、愉快この上ない様子で口を開いた。
「おまえ、巫女殿とウワサになってるぞ」
 しかし、それに驚いた者は、誰ひとりとしていなかった。早耳のユーセットとセディスは既に知っていたらしく、呆れた様子で沈黙を守っていた。当のイスフェルは――彼の場合は知らなかったのだが――驚く以前にその意味を理解していなかった。
「噂? どんな」
 昨今の王都の噂といえば、即位記念式典で王位継承者が発表されるというものである。それに自分と少女がどう関係があるのかと、イスフェルは目を瞬かせた。そんな友人に、シダは大いに失望した。
「はあ? ウワサって言ったらウワサに決まってるだろ」
 それでも首を傾げているイスフェルに、セディスが横から哀れっぽく助け船を出す。
「つまり、『イスフェル様は巫女殿がお好きなのよ』」
 それを聞いて、ようやくイスフェルはシダがニヤついていた意味を理解した。と、同時に、遅ればせながら、反論の声を上げる。
「なっ、何を言ってる! セフィはただの友だちだ。セディス、変な声を出すなっ」
 変な声と言われて、セディスはむっとしたようにイスフェルを睨んだ。
「昨日の女たちの声を真似したんだ。女を遠ざけているおまえが、衆人環視の中で巫女殿をかばったりするから、こんなウワサを立てられるんだぞ」
「昨日の女たち」というのは、昨夜の晩餐会に出席していた貴族の令嬢たちのことである。ゼオラやイスフェルと親しく話をしていたセフィアーナを妬んで、少女をひどく蔑む言葉を口にしていたのだが、その時、偶然通りかかったイスフェルが、わざわざそれに諌言を発したものだから、姫や若い女官たちの間では、昨夜から王子の出現よりその話題で持ちきりだった。
「だが、あの者たちはセフィを――」
「口さがない女たちなど、放っておけばいいんだ」
 セディスにぴしゃりと言われ、イスフェルは押し黙った。不服は勿論あるが、確かにあのような女たちにいちいち反応するのも馬鹿らしい。そんな彼を見て、シダが再びにやりと笑った。
「……ムキになっているところがますます怪しい。言っちまえよ。好きなんだろ?」
 手元の茶杯に中身が残っていれば、きっとシダの顔に引っかけていただろう。
「ここは宰相補佐官の執務室だぞ! そんなくだらない話は許さんっ」
 すさまじい剣幕で怒鳴りつけると、イスフェルは大股で部屋を飛び出した。朝から仕事や貴族たちの対応に追われた挙げ句、束の間の休息さえくだらない話題に潰されたのでは身が持たない。彼はこれでも新人なのだ。そんな彼の背中に、シダのまるで悪気のない声がぶつけられる。
「おい、どこ行くんだよー」
「おまえたちのいないところだ!」
「オレたちのいないところにおまえの居場所なんかないぞー」
「うるさいっ」
「きゃっ……」
 その時、前を向いていなかったイスフェルは、廊下を曲がってきた人物とぶつかりそうになってしまった。
「あっ、申し訳――……セ、セフィ?」
 角を曲がって来たのは、間違いなくセフィアーナだった。あまりの間の悪さに、イスフェルは狼狽して思わず後ずさった。一方のセフィアーナも、普段とは違うイスフェルの怒鳴り声に、瑠璃色の瞳を見開いていた。
「ど、どうかしたの……?」
「あ、い、いや、何でも――」
「あっ、巫女殿! ちょうど良かった!」
 遠くからセフィアーナの姿を見付けたシダが嬉しそうに声を上げる。怪訝そうな少女の前で、イスフェルは後方を睨み付けた。
「おまえは向こうに行ってろ!」
「なにー!?」
 イスフェルが半ば本気で苛立っていたので、別れの挨拶に来たセフィアーナは、訪ねる時機を間違えたと少し後悔した。
「イスフェル……?」
「ああ、ごめん、何でもないんだ。きみこそ、こんなところでどうしたんだい?」
「ああ……あの、お別れを言いに来たの。あなたに……」
 イスフェルは一瞬、真顔に戻り、それから小さく苦笑した。
「――ああ……そうか。式典が終わったから……」
 白薔薇宮で、クレスティナがそう言っていたのを思い出す。
「ええ。……あの、今、話せる……?」
 イスフェルは頷くと、セフィアーナを中庭へと連れて行った。噂が流れているというので、あまり人目に付く場所には行きたくなかったが、かといって執務室に戻るのも格好が付かない。
 新緑の季節、中庭の花壇には色とりどりの花が咲き誇っていたが、夕暮れ時ということもあって、どこか生気に欠けていた。人々の往来の激しい場所を避け、木の陰になっている長椅子に腰を下ろすと、早速、セフィアーナが口を開いた。
「明日の朝、ここを発つの。本当はまだ居たいんだけど、聖都のデドラス様から早く戻るようにってお手紙が来て……」
「デドラス? 《月影殿》の? 《太陽神の巫女》の世話は、今年は《月光殿》がするのではなかったのかい?」
 イスフェルのもっともな指摘に、セフィアーナはわずかに表情を曇らせた。
「ええ……その辺の事情はよくわからないのだけれど……」
「そうか……。ああ、今年の《太陽神の巫女》の力は絶大だから、王都に奪られるのが嫌なのかな」
「イスフェルったら」
 ひとしきり笑った後、なぜか二人とも無言になってしまった。一緒にいられたのはわずかな時間だったが、そのわずかな時間こそ、この数か月の中で最も大切な時間だった。
「……見送りには行けそうもないから、今、お礼を言っておくよ」
 イスフェルは今夜、大貴族の晩餐に招かれている。その場所が王都の外ということもあって、泊まる用意もしてもらっていた。翌朝、城門が開くと同時に戻れたとしても、行き違いになってしまうかもしれない。
「見送りはいいのよ。すごく早くに発つつもりだから。でも、お礼って?」
 不思議そうな表情のセフィアーナに、イスフェルはひとつひとつの出来事を思い出すようにゆっくりと語った。
「カイザールからの帰り、シダやクレスティナ殿を連れてきてくれたこと、一緒にテフラ村へ行ってくれたこと……本当にありがとう。感謝してもしきれないくらいだ」
「そんな……」
「いいや。本当に、心強かった」
 イスフェルにきっぱりと言われ、セフィアーナはどこか気恥ずかしげに俯いた。
「……私もね、あの時、レイミア様とお話をした後、イスフェルが言ってくれた言葉、本当に嬉しかった。私もイスフェルから力をもらったわ」
「セフィ……」
 イスフェルは深く溜息をつくと、組んだ両手を頭の後ろに回してのけぞった。
「ああ、やっぱりきみには王都に居てもらいたいなあ。ミール様とマリオ様もそれを望んでいらっしゃっただろう?」
「ええ……ありがとう。でも、きっとまたすぐに会えるわ」
「え?」
 藍玉の瞳を瞬かせるイスフェルに、セフィアーナはくすっと笑った。
「だって私たち、四か月前まではまったく違う場所に居たのよ? それなのに、八百モワルも離れてる聖都と王都で会えたんですもの。きっと、また」
「……そうだな」
 イスフェルが深く頷いた時、セフィアーナが静かに立ち上がった。
「聖都であなたのこと応援してるから」
 差し出された細い手を、イスフェルも立ち上がって握り返した。
「きみも、《秋宵の日》を無事に迎えられるように祈ってる」
「御両親とエンリル様にもよろしくお伝えして」
「ああ、わかった」
 その時、セフィアーナが何かに気付き、イスフェルの背後に向かってにこっと会釈した。イスフェルが振り返ると、少し離れたところに野次馬よろしくシダとセディスが立っていた。
「おまえたちっ!」
 後を尾けられたことに憤慨するイスフェルに、セフィアーナはくすくすと笑いながら、「じゃあ」と声をかけた。友人たちとすれ違いざま、ボロドン貝の首飾りを見せ合って笑っている少女の姿が、イスフェルには眩しかった。
「あーあー、巫女殿、帰っちまうのか。イスフェル、いいのかぁ?」
 彼のもとへやって来て、依然として軽口を叩いているシダを、イスフェルは軽く睨んだ。
「何度言わせる気だ。彼女はただの友だち――」
「じゃあ、これから好きになる可能性は? まったく無いわけじゃないんだろ?」
 セディスの鋭い突っ込みに、イスフェルは容易に言葉を失った。確かに、その可能性は非常に高かった。それどころか、「ただの友だち」という言葉は、彼の今の気持ちをごまかすためにあるもののように思った。
「……オレに務めがあるように、彼女にも務めがある」
「そんな物わかりの良いふうなこと言って、後悔するなよ」
「いいんだ。彼女にはまた会える」
 聖都で少女と別れた時、それが永遠の別れになると思っていた。しかし、また会うことができた。きっと再会も、そう遠いことではないかもしれない。
(きっと、また……)
 口元に微かな笑みを浮かべて歩き出したイスフェルを、シダとセディスは顔を見合わせると、慌てて後を追いかけた。


 翌日の未明、セフィアーナはリエーラ・フォノイとともに、ゼオラの麾下の騎士たちに守られて、静かに王宮を出発した。世話になった者たちに昨日のうちに別れの挨拶に回ったのは、カイルが褒めていた王都の日の出を見て帰りたかったからである。日の出を見た後、一度王宮に戻るということも考えたが、ゼオラの言から見送りが大仰になりそうだったので、そのまま王都を出ることにしたのだ。
 日の出を見るのに良い場所と騎士たちが案内してくれたのは、パーツオット海一美しい砂浜として名高いオデッサの砂浜だった。近くにリグストンの館があり、先だってはタルコスの船が打ち上げられた場所でもある。ラディスから乗った船では、疲労で半ば寝込んでしまっていたので、太陽が海から昇る様を見るのは、今日が初めてだった。
「巫女殿、そろそろですよ」
 騎士の言葉と同時に、水平線の辺りが白く輝き始めた。雲の向こう側が、次第に黄金に染まっていく。そこから漏れだした光が、その縁を濃い珊瑚色に変えながら、一気に夜の領域を中天にまで押し上げた。
「本当に……本当に綺麗ね、カイル……」
 うわ言のように呟くと、セフィアーナは砂浜に膝を着いた。今の彼女には、祈りたいことがたくさんある。初めに王都で亡くなったというカイルの母親に祈りを捧げると、続いてイスフェルたちの行く末に大過がないことを祈り、レイミア親子の幸福を祈った。自分を励ましてくれた人々の健康を祈り、自分の歌を褒めてくれた人々の平安を願う。
 やがて姿を現した太陽は、希望の塊のようにただ真っ白な光で世界を照らした。それを喜ぶように波たちがきらきらと光っている。
「もし、ここに思いを残しているのなら――」
 リエーラ・フォノイの声に顔を上げると、女神官は穏やかな笑みで彼女を見返していた。
「《秋宵の日》の後、王都の神殿で修行したらどうです?」
「え、王都で……?」
「ええ。モルドロイ様も貴女が帰ることを残念がっていましたし、貴女が望むなら、アイゼス様もそのように取りはからってくださるでしょう」
 本音を言えば、リエーラ・フォノイは、セフィアーナにはこのまま王都に留まって欲しかった。自分だけ聖都へ戻り、亡くなった先の巫女ラフィーヌの死の真相を確かめたかったのだ。王都へ発つ前、アイゼスの命でラフィーヌ宛に出した手紙のことがずっと気になっていた。デドラスがセフィアーナの帰参を急がせた理由も気になる。どこか不穏な空気の漂うルーフェイヤ聖山に帰って生命の危険にさらされるより、王都にいる方がずっと安全なような気がした。しかし、セフィアーナが《太陽神の巫女》で、《秋宵の日》までその務めを果たさなければならない以上、それは無理なことであったが。
 一方、リエーラ・フォノイの突然の申し出に、セフィアーナは呆然と海を見遣った。そんな選択肢が自分にもあるなど、考えてもみないことだった。
「巫女殿、是非リエーラ・フォノイのおっしゃる通りに! 我が主も喜びます。なんなら、我々が秋口にお迎えに上がりますゆえ」
「まあ……」
 少女のために、年に何度旅をするつもりなのか、騎士たちは口々に「是非に」と言った。
「じゃあ……考えてみます」
 しかし、おそらく自分はまた王都に行くことに決めるだろう。イスフェルに「また会える」と言ったこともあって、セフィアーナはそんな気がしてならなかった。

inserted by FC2 system