The story of Cipherail ― 第六章 翻りし白銀鷹旗

第六章 翻りし白銀鷹旗


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 翌朝、王宮前のローダス広場には、夜が明ける前から兵士たちが参集し、これから始まる戦いに張りつめた空気が漂っていた。
 現在、サイファエールには十三人の将軍がおり、そのうち五人が王都に常駐し、八人が各地の城塞や砦の守りに当たっている。今回、ゼオラの下、カイザール遠征に従うのは、ガイルザーテ・モデール・ガーナ・ペストリカの四将を指揮官とする騎馬隊五万と、近衛兵団副長ハイネルド以下第一連隊の五百騎であった。マラホーマの兵力は四万というから、カイザール城にある兵力二万を加えると、数の上ではサイファエールが優勢となる。
「これは、壮観としか言い様がないな」
 聞き慣れた声にイスフェルが顔を上げると、広場を見渡しながらセディスが馬に乗ってやって来た。イスフェルの赴くところすべてに付き合う気なのか、彼も従軍することになったのだ。
 セディスは友人の顔を見て、あからさまに顔をしかめた。
「ひどい顔色だな。寝てないのか? まぁ、準備とか色々あったんだろうが」
「……まぁな」
 結局、昨夜は一睡もできなかった。できるはずなどない。突然、王子の存在を告げられ、彼を迎えに行く大任を負ったのだから。
「それにしても、この図にどうにもそぐわないアレは何だ?」
 セディスが前列中央に止められた八頭立ての馬車を指すと、イスフェルの横に馬を立てていたユーセットがぼやいた。
「準上将軍閣下の馬車だ。まったく、おみ足を怪我されているのなら、おとなしく王都に居ればいいものを」
 それを聞いて、セディスは盛大な溜息をついた。イスフェルは吐息すると、再び思案に沈んだ。
(オレは、何を恐れてるのだ……?)
 公正な治世を目指すイージェント王の志を継いでくれるかもしれない人間が現れたというのに、イスフェルの心は、トランスが玉座に就くことを考えた時と同じように曇っていた。
(トランス殿下やリグストン殿下に、イージェント王のような治世は望めまい。王子の出現はかえって歓迎すべきことだ。まだ八歳で、親に対して思いやりのある御子なら、善き王になることもできるだろう。だが、だが……)
 玉座を目論んでいた王弟派から見れば、到底納得できるはずがない。なにしろ話が巧すぎる。国王の結婚以来二十年、まるでその御代が永遠に続くかのように、後継者の話が表に出ることはなかった。そして、後継者を自負した王弟がしびれを切らした頃、それに対峙する宰相派が幼い子どもを王宮に連れて来て、正統な王位継承者だと言う――。
(まるで猿芝居だ。宮廷は大混乱に……混乱で済めばいいが)
 かつての友によって再び居場所を奪われるトランスが、怒りの果てにどんな行動を取るか――。
(真の王位継承者を得ても、父上とトランス殿下の友情は、決定的な断絶をみることになる……。オレとしても、まだろくに話もしていないリグストン殿下に、自ら背を向けるようなものだ。安らぎの春を願いながら、毒花の種を蒔くような行いではないのか……?)
 イスフェルは自嘲気味に笑った。
(……これでは感情論だな。いずれにしても、オレたちと王弟派の対立は避けられなかっただろうし、陛下が御子とお認めになった以上、オレはお迎えに上がるしかない……)
 その時、兵士たちの間から歓声があがった。出撃準備が整ったのを受け、国王と王妃が舞台の上に姿を見せたのだ。と、慌てふためく者がある。
「どうした」
 イスフェルが走り回る近衛兵を掴まえて尋ねると、先刻から上将軍の姿が見えないと返してきた。
「なに? 陛下はもういらっしゃっているのだぞ……」
 困惑の表情を浮かべた時、ふいに聞き覚えのある音が耳を掠めたように思った。
「これは……いや、気のせいか……?」
 しかし、騎士たちの耳もそれを聞き取ったようである。
「おい、何か聞こえないか?」
「なんだ? 竪琴……?」
「本当だ……。どこからだ?」
 皆が四方に首を巡らせ始めた時、誰かが東側の列柱廊の上を指さした。
「あそこだ!」
 その先には、どうやって上ったものか、列柱廊の屋根先に、白い鎧の上に同色の外套を纏ったひとりの少女が腰かけていた。
「セフィアーナ……」
 イスフェルが息を呑むのと、セフィアーナが口を開くのが同時だった。

  炎の如き髪は風に舞い
  獅子の如き眼は未来を読む
  力強き四肢には雄々しき魂が宿り
  今日も愛馬疾風号に跨り
  矢の飛び交いし天空を翔け
  刃の鳴り合いし大地を征く
  戦士たちよ 汝の姿を水面に映せ
  さればケルストレスとも見紛う
  勇ましき姿がそこに見えん――

《尊陽祭》聖儀の再現であったかもしれない。五万余の軍勢も、出撃を見送りに来た舞台上の要人たちも、その心揺さぶる声にしばし忘我した。甲冑の擦れ合う音も、馬の息づかいさえも、ローダスから失われた。と、突然、少女の背後に黒い影が躍り上がった。行方不明になっていた上将軍ゼオラである。騎乗した彼は朝陽を背負い、ケルストレス神さながらの出で立ちで《太陽神の巫女》が作り出した静寂を撃ち破った。
「皆の者、よく聞け! 砂漠の流浪民が北東の国境を侵した! 祭の最中に無名の戦を起こすとは無礼千万! 我々を怒らせたらどうなるか、マラホーマの蛮族どもに思い知らせてやろうぞ!」
 ゼオラが突き上げた剣に、騎士たちも剣や槍、旗を掲げて応えた。
「この戦には、《太陽神の巫女》が同行する! したがって我が軍の勝利はもう決まったようなものだ! テイルハーサよ、汝のサイファエールに栄光を! 全軍、カイザール城塞に向かって出撃せよ!!」
「おおーっ!!!」
《太陽神の巫女》と聞いて、騎士たちから歓声が上がる。聖都に巡礼に行った者たちによって、セフィアーナの美声は既に王都でも伝説になっていたのだ。
 白い陽光が降り注ぐ中、幾千もの白銀鷹の蒼い旗が翻った。ガイルザーテの部隊を先頭に、軍勢は整然とリオドゥルクの丘を下っていく。それを見送る国王のもとへ、ゼオラはセフィアーナを連れて行った。
「陛下、今年の《太陽神の巫女》、セフィアーナにござる」
 セフィアーナは畏まり、恭しく頭を垂れた。
「お初にお目にかかります、国王陛下。セフィアーナと申します」
「おお、そなたが。噂は真であったの」
 感嘆するイージェントに、ゼオラはおそるおそる声をかけた。
「敬愛する陛下、《太陽神の巫女》を連れて行っても宜しいでしょうか?」
 国王は天色の瞳を丸めると叫んだ。
「なにを今さら!」
 途端、弾かれたように周囲の者が笑い出す。
「ゼオラ殿。まったく貴方という御方は、本当に人の心を掴むのがお上手ですこと」
 そう言って進み出たのは、王妃メルジアであった。サイファエール王家の色である、蒼を用いた絹衣がゆったりと流れ、その合間で豊かな黒髪がうねっている。優しい面立ちの中に、どこか凛とした雰囲気を漂わせている女性だった。二十年前に隣国レイスターリアから嫁いで来、国王との間に三人の王女を儲けていた。
「けれど、付き合わされる方は大変ですのよ。セフィアーナ殿、これを」
 メルジアは懐から短剣を取り出すと、少女に向かって差し出した。
「聖職の身で武器を帯びるのは嫌かもしれませんが、お守り代わりに」
「王妃様……」
 その心遣いに、セフィアーナは有り難くそれを受け取った。
「ゼオラ、おぬしが無茶をせぬよう、五百人も守り役を付けてやったぞ。カイザールまで無事に辿り着いてくれ」
 国王が顎でしゃくった先に自分を待つ近衛兵らの姿を見付けて、ゼオラは本当に困ったような表情を浮かべた。
「……では、必ずや勝利とともに帰参いたします。行くぞ、セフィアーナ」
 舞台の正面階段を下りていくふたり、さらには北東の国境を目指して歩んでいく兵たちの背を見ながら、イージェント王は吐息して言った。
「この者たちがサイファエールのために戦ってくれると思うと、心が震える」
「まことに」
 傍らで宰相が頷き、イージェントは段下の従軍書記官らの隊列に視線を転じた。
「……新人だというのに、補佐官には大任の上、迷惑をかけるな」
 ウォーレイは即座に首を振った。
「いいえ、陛下。サイファエールに身命を捧げた者です。必ずや頂いたお役目を果たし、王都に帰参いたしましょう」
 ウォーレイの脳裏に、昨晩のイスフェルの硬い表情が蘇る。彼には息子の胸中がよくわかっていた。顔を上げれば、舞台の反対側、人垣の向こうにトランスの姿が見える。挨拶以外、決して中央に近寄ってこようとしない昔の好敵手は、彼と視線さえ合わせようとしなかった。
(……あの頃、避けられても避けられても、避けられても殿下にしつこく付きまとっていたら、結果は少しでも違っていたのだろうか――)
 もしそうなら、悔やんでも悔やみきれない。しかし、それは今だから思えることであって、当時の自分は日々を乗り切るだけで精一杯だった。
「はてさて、ゼオラめ。凱旋祝いに今度は何を欲しがるであろうな」
 イージェントの声に我に返った時、既にローダス広場に軍の姿はなかった。
「以前は何でございましたか」
 侍従長が首を傾げると、王妃がおかしそうに言った。
「ミゲラ族の鍛冶師が作ったとかいう幻の馬具ですよ。けれど、ミゲラ族の者たちでさえそのような物は知らぬと申して……」
 笑い声とともに、王宮へと続く回廊に衣擦れの音が響く。ローダス広場はようやくいつもと同じ静けさを取り戻した。


 王都から今回マラホーマの侵攻を受けた北東の国境カイザール城塞まで、およそ五百モワル。到達には早くても十日ほどかかる。
 ゼオラは第一日目の野営地を五十モワル進んだエヴァノ河畔と定めた。夕食に主だった諸将を集めると、彼は改めてセフィアーナを皆に紹介した。
「今年の《太陽神の巫女》に選ばれたセフィアーナだ」
 少女が一礼すると、出発式の歌声に、天幕のあちらこちらで賛辞が上がった。
「世話は女同士ということでクレスティナに見てもらいたいが、どうか?」
 小隊長という地位で唯一入幕を許された理由を、クレスティナはようやく理解した。
「御意。狼たちの中に羊を彷徨わせるわけには参りませぬ」
 すると、酒杯を呷っていた将軍ペストリカが眉を吊り上げた。
「なに、我々を狼と申すか」
「皆、おぬしの若かりし頃の行状を知っておるのだぞ。よくもそんなことが言えたな」
 横に座っていたガーナが肩を竦め、将らの間でどっと笑いが起きた。セフィアーナは、その間を縫って、女騎士のもとへ歩んでいった。
「クレスティナ様、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、神の御加護があるよう、よろしく頼む」
 クレスティナは、酒が飲めない少女のために林檎水を用意してくれた。
「ところでそなた、ひとりで参ったのか? 聖都の者は」
「リエーラ・フォノイという人が付いてきてくれています」
 セフィアーナは、従軍すると話した時の女神官の顔を思い出して、小さく笑った。驚くや猛反対した彼女だが、少女の決心が固いとみると、自分も行くと言い出した。しかし、ひとつ問題があった。セフィアーナは聖都から王都までの旅の間に、ゼオラの使者に馬の乗り方を教わっていたが、リエーラ・フォノイはずっと馬車の中で、ひとりで馬に乗ることができないのだ。彼女は《太陽神の巫女》の監督者として「自分が行けないのならば、巫女を行かせることはできない」とゼオラに直訴した。すると、ゼオラはあっさり「リグストンの馬車で行けばいい」と言ったのだ。
「そなたはか弱そうに見えて、実に大胆だな」
 見かけは友人の姫たちとそう変わらないのに、どこか自分に通じるものを感じて、クレスティナは微笑んだ。
「クレスティナ様は近衛で小隊長を任されていらっしゃるとか。お強いのですね」
「ああ、強いぞ。……そういえば、《尊陽祭》でカルマイヤの強者を《光道騎士団》の女騎士が打ち負かしたと聞いたが、そなたは見たことがあるか?」
 見たことがあるも何も、特等席で観戦した少女である。
「サラクード・エダルですね。ええ、お話をしたことがあります」
 同じ女騎士でも、クレスティナとサラクード・エダルとでは、随分と印象が違った。サラクード・エダルは髪を短く刈り込み、全身を覆う漆黒の鎧に漆黒の外套という格好で、表情も常に氷の兜をしているかのようであった。それがクレスティナの場合、黒く長い髪をさらし、遠目にも女性と判るような身体の線に沿った鎧を身に付け、先刻のように男たちをからかったりするのだ。それを言うと、近衛の女騎士は不敵に笑った。
「では、勝負しても私が勝つな」
「どうしてですか?」
「男の真似をしている間は、強くはなれぬ」
 意味深げに言うと、クレスティナは酒杯を呷った。
「セフィアーナ。残念ながら、上将軍閣下は陣にいて兵を指揮なさるような御方ではない。そして、私は近衛だ。もし出撃となったら、そなたの傍には居てやれぬ」
「はい」
「その時、そなたを頼める者がおればいいが……」
 クレスティナが困ったように天幕を見回した時、反対側の卓の青年と目が合った。軽く会釈する彼を見て、彼女はふと少女に尋ねた。
「……そなた、あそこに座っている者を存じておるか?」
 クレスティナの指す方を見て、セフィアーナは頷いた。
「イスフェルのことですか? ええ、《尊陽祭》の時、お世話になって……」
 言いつつ、少女は青年の表情がどこか硬いのに、内心で首を傾げた。
「では、そなたか。ゼオラ殿下の競射会で、イスフェルの矢を外させたのは」
「え? ……ああ、あの時は本当に申し訳ないことをしました」
 クレスティナは大きく頷いた。姫たちの間でかなりの噂になっていたのだが、ゼオラがセフィアーナをこの日まで表に出さなかったので、その正体を知ることができなかったのだ。
「そうか、そなたが……」
 おかしそうに笑うクレスティナをセフィアーナが不思議そうに見遣った時、ゼオラが彼女を呼んだ。
「そなたは明日に備えてもう休め」
 それが合図となり、夕食の膳が下げられる。これから作戦会議が始まるのだとクレスティナが言い、彼女とともに天幕を出ようとして、セフィアーナは振り返った。視線を感じたように思ったのだ。すると、イスフェルが少し怒ったようにこちらを見ていた。
「………?」
 その理由が判らず立ち尽くしていると、外でクレスティナの声がし、セフィアーナはそのまま天幕を後にした。


 セフィアーナが従軍したことに、イスフェルは苛立ちを覚えていた。《太陽神の巫女》という存在は、兵士たちの士気を高めるために打ってつけではある。しかし、たとえ勝利が決まっていたとしても、戦は戦である。どんな危険が待ち受けているかわからないのに、素人が来る場所ではないのだ。
「宰相代理」
「……は」
 ゼオラの声に立ち上がると、イスフェルは烽火台や早馬などで得られた情報を報告した。
「今回マラホーマ軍を率いるは、ラルカーク王太子にございます。その数四万。起兵の原因は、やはり内陸貿易の権益にあるようです」
「平定されて商売ができるかと思ったらまた内乱。平定内乱平定内乱」
「毎度毎度のことながら、攻められる我々は、いい迷惑だな」
 将軍らのぼやきに、イスフェルはくすりと笑った。
「そうですね。けれど、彼の国は砂ばかりで宝石だけが頼りの国。それが動かなければ、何も生まれず、国として成り立ちません。だから兵を挙げざるを得ない――」
「攻める相手は我々ではなく、砂漠に跋扈する盗賊どもであろうに。その上で、宝石を山ほど積んだ荷馬車をバーゼリックに寄越しさえすれば、国交は回復する。砂まみれになった挙げ句、大敗という屈辱を受けることもなかろうにな」
 ガイルザーテの言葉に、イスフェルは頷いた。
「勝利した暁には、王太子にそう申し上げましょう」
「勝利はもう決まっておる。決まっておらぬのは作戦だけだ」
 ゼオラが大まじめに言い、将軍たちは顔を見合わせて笑ったが、すぐに頭を抱えた。何度も同じ場所で兵を交えているため、お互いに手の内を知り尽くしているのだ。
「足の怪我を押してまでやって来たのだ。準上将軍、何か策はないか」
 ゼオラが傍らのリグストンを見遣ると、諸将のすべての目が準上将軍に集まった。ここにいるイスフェル以外すべての者が、彼を次々代の王と思っている。それが初めて公の場で発言するのだ。
 リグストンは流れ落ちてきた髪をかき上げると、地図のある箇所を指さした。
「ここに敵をおびき出してはどうか」
 天幕の中に、沈黙の帳が落ちる。
「……そこは沼地です。騎馬を主力とする我が軍の戦場には選べません」
「相手もそう思っているのでは?」
「しかし、以前、それで大敗を喫したことが……」
 カイザール城塞は山岳地帯にある。開けた土地には湖沼が点在し、大軍を展開させることは不可能な地だった。
 その後、遅くまで話し合った首脳陣だったが、奇策を思い付くことができないまま散会となった。

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