The story of Cipherail ― 第五章 嵐の兆し


     7

  心優しい少年がいた
  諍いの絶えない村人たちのために
  少年は花を植えた
  春になり
  それは美しい紅い花を咲かせた
  村人たちは目を輝かせ
  花壇に集った
  少女が花に手を伸ばした
  しかし
  無数の棘が少女の白い手を蝕み
  少女の服に紅い花を咲かせた
  村人たちは少年を叩き
  花壇を少年の棺とした

    (テイルハーサ《聖典》「シャーレーンの章」)


 イージェント王が玉座に就いてより二十五年。即位当初、宮廷内の勢力は、国王兄弟とそれを取り巻く貴族たちによって大きく二分された状態だった。しかし、イージェントの着実な政により、即位記念式典に集う人の数は年々増え、また献上品を収める蔵も建て増しされていった。
「おい、このままじゃ、王宮中の部屋全部、金銀財宝でパンパンだぜ」
 王宮の最北東にある烽火台の兵士は、眼下に連なる荷馬車を見、興奮したように言った。それを聞いて、同僚が肩を竦める。
「心配するな。食ったら出る。自然の摂理さ。もっとも、出先が純金おまるじゃないから安心だがな」
 数代前の王が、財政の苦しい中、我が子かわいさに贅沢を恣にしたことがある。それを引き合いに出して、兵士は笑いながら見張り台に昇った。
「見ろ、この富を背景に、サイファエールはもっと大きくなる!」
 兵士が指さした先に、サイファエール最大の港イデラが広がっている。目下、サイファエール政府はパーツオット港湾地域の再開発に力を注いでいた。貿易船の増加により、既成の港では手狭になったのだ。また、海賊船や他国の海軍の増強を受け、湾岸警備隊を海軍に再編成する動きもある。
 と、台の下にいた兵士は、同僚の肩越しに黒煙が立ち上るのを見た。
「どっどけっ!」
 台上に駆け上がると、身を乗り出し、北東の空を食い入るように見つめる。そこには、北東の国境に続くひとつ目の烽火台があるはずだった。
「黒の煙五本は……」
 兵士たちは唾を呑んだ。
「将軍閣下に知らせろ! マラホーマが攻めてきたぞ!」


 お祭騒ぎ一色だった城内は、にわかに殺気立った。
 国王イージェントは即刻、即位記念式典の中止を決め、軍の宿将たちは明朝の出撃に備え、準備に奔走することになった。
「まったく、せっかくの祭を台無しにするとは、マラホーマの国王は、よっぽど性根のひねくれた奴に違いないぞ。それとも自分があまりに不幸なゆえに、他人が楽しんでいるのが妬ましくて仕方がないのかな?」
 国王から上将軍の任を拝命しているゼオラは、挨拶に訪れた将軍たちを下がらせた後、隣室の寝椅子に腰を下ろしながら不機嫌そうに言った。
「戦は、長くかかるのですか?」
 先日に引き続き弾琴に訪れていたセフィアーナが不安げな声を上げると、上将軍は豪快に笑った。
「このゼオラが上将軍として指揮を執るのだぞ? 半日もかからぬわ」
 いっそのこと即位記念式典を中止ではなく延期にしてもらいたい彼だったが、小中貴族の滞在費を思い、それは口にしなかった。凱旋式の時に改めて祝えばいいだけのことだ。
 彼の答えを聞いて安堵したような表情を見せる少女に、ゼオラは深刻そうに言った。
「だが、問題がひとつある」
「何ですか……?」
「そなたのことだ」
「わ、私、ですか?」
 セフィアーナが驚いてゼオラを見ると、彼は困ったように頭をかいた。
「そなた、即位記念式典のためにわざわざ王都へ来たわけだろう。本来なら明後日の式典で、よりその名を広めるはずであったのに、このようなことになってしまった」
「ゼオラ様……」
《太陽神の巫女》は首を振った。
「私は自分の名を皆に知って欲しくて王都に参ったわけではございません。旅の最中で聞きました。のんびり馬車で旅をできるのは、陛下がサイファエールを守ってくださっているからだと。陛下に歌を献上できるのであれば、私は式典でなくともかまわないのです」
「それはそうなのだがな……」
 ゼオラは内心で吐息した。それでは彼がおもしろくないのだ。金銀財宝などの献上品は目新しくない。そこで頭を捻った上、せっかく《太陽神の巫女》を呼び寄せ皆を驚かせるというこの上ない思いつきをしたというのに、それを果たせないのでは《尊陽祭》の二の舞である。しばらく思案を巡らせていたゼオラだったが、はたと閃いた案に、にんまりと口元を歪ませた。
「そなた、私とともにマラホーマへ征かぬか?」
「えっ!?」
 セフィアーナは瑠璃色の瞳を見開いた。
「そんな、無理です。剣など扱ったこともありませんし、私は聖職を――」
「何を申しておる」
 ゼオラはおかしそうに喉を鳴らした。
「そなたに剣を握らせねばならんほど、我が軍は戦力に困っておらん。そなたには、その歌声で兵士たちの心を慰めてもらいたいのだ」
「歌……」
「剣を振るうだけが戦ではない。食事を作ってくれる者がおらねば、兵士は剣を振るえぬ。兵糧を運んでくれる者がおらねば、怪我を手当てしてくれる者がおらねば、心を安らがせてくれる者がおらねば、兵士は戦えぬのだ」
 少女の表情がふっと変わるのを見て、上将軍はここぞとばかりに言葉を並べ立てた。
「そなたが《太陽神の巫女》として軍に従い、兵士たちを勇気づけ、神に御加護を祈ってくれれば、戦はいっそう早く終わろう。どうだ、見聞を広めにカイザール城塞へ征かぬか?」
 突然の提案のうえ、戦場という想像もできない場所ということもあって、セフィアーナは迷った。何も知らない自分が行って、本当に兵士たちの役に立てるのだろうか? リエーラ・フォノイは何というだろう?
『迷うのなら、することだ。その結果、失敗したとしても、それは後悔ではなく未来への糧となる』
 ふいに、聖都を発つ際、アイゼスから言われたことを思い出した。心に力が沁みだしてくる。
(……行ってみよう。王都に来たのは陛下に歌を献上するためだったけど、きっとそれだけじゃないはず。機会が与えられる限り、未熟な私はそれを無駄にしては駄目なのだわ)
 セフィアーナはひとつ深呼吸すると、ゼオラを見た。
「ゼオラ様、私を連れて行ってくださいませ」
「ほぉ……?」
「一日も早く皆が家に帰れるように、私も努力させていただきたいのです」
 ゼオラは嬉しそうに頷いた。


 即位記念式典の準備に費やした労力を嘆く時間を、イスフェルは幸運にも与えられなかった。この度の出撃で、急遽宰相代理として従軍することになったのだ。執務室で対マラホーマ戦の過去の戦績と戦後処理の実績を調べ上げた後、出撃準備が大方整ったのを確認すると、彼は愛馬フォルティースに跨り、一路屋敷を目指した。彼自身の荷物は執事が届けてくれていたが、ある大切な物を入れるよう頼むのを忘れていたのだ。
 自分の部屋に入ると、イスフェルは机の引き出しに入れておいた銀の箱を取り出した。
「この国を守るために、力を……」
 成人の日、両親から贈られた短剣を握りしめると、青年は踵を返した。と、部屋の入口に意外な人物が立っているのに気付き、目を見開く。
「ち、父上!」
 この緊急事態に宰相が王宮を離れるなどと、いったい何事だろうか。
「どうなさったのです……?」
 しかし、ウォーレイはそれには答えず、後ろに立っていた召使いから葡萄酒の載った銀盆を受け取ると、静かに扉を閉めた。そのまま、暖炉の前の椅子に腰を下ろす。
「父上……?」
 イスフェルが近付いていくと、ウォーレイは指で座るよう合図した。いつもと違う父の様子に、イスフェルは内心首を傾げながら従った。
(オレに宰相代理が務まるか、ご不安なのだろうか……)
 そんな彼に父は葡萄酒を注いだ杯を差し出すと、初めて口を開いた。
「我々の戦は、この戦が終わった後に始まる」
 イスフェルは最初、それを戦後処理のことだと思った。マラホーマ挙兵の理由は、内陸貿易の権益である。荷がすべてサイファエールから海に出ていくのが許せないのだ。しかし、かの国は商人にとっては過酷な地だった。国土の八割が砂漠であり、その上そこは盗賊の格好の狩り場だったのだ。しかし、マラホーマ政府は貿易が発達するような整備・管理は行わず、挙げ句の果てに九年前から内戦に陥っていた。
「マラホーマは、この戦で国内が統一されたことを周囲に知らしめたいのでしょう。新しく覇権を握った者が誰であるのか――その軽挙には、必ずや上将軍が報いをお与えになるでしょう。私は同じ理由でまた戦が起こるのを防ぐ対処を致します」
 道と宿を整備し、盗賊を取り締まる部隊を置きさえすれば、マラホーマは宝石の産地でもある。貿易が再開すれば、サイファエールにさらなる富をもたらしてくれるはずだ。
 息子が懸命に語る様子に、ウォーレイは口元を綻ばせた。
「イスフェル、案ずるな。そなたに宰相代理を任せたことを懸念しておるのではない。懸念しておるのは、もっと未来のことだ」
「――未来?」
 イスフェルが首を傾げると、ウォーレイは低い声を発した。
「サイファエールの、次の国王についてだ」
「………!」
 藍玉の瞳を見開くと、イスフェルは少し腰を浮かせた。
「つ、次の国王……!?」
 ふいに、セディスの言葉が脳裏をかすめる。
『今度の即位記念式典で正式に王太子の発表があるんじゃないかと専らの噂だ。今、一番玉座に近いのは……言いたくないが奴の父親だ――』
 息を呑むイスフェルに、ウォーレイはさらに言った。
「今回の戦に、リグストン殿下が準上将軍として遠征される。次々代の王となることを見越し、少しでも戦歴を刻んでおきたいからであろうが……そなたは、かの殿下のことをどう視ておる? 人の上に立つ者としての資質を持っておられると思うか」
「そ、れは……」
「答えろ、イスフェル」
 父の追及に面食らったイスフェルだったが、深く息を吸うと、静かに口を開いた。
「……結論から申しますと、彼の御方は、為政者たるに相応しいとは思えません。先日のパレス殿の馬の一件、父上のお耳にも届いているはずです。臣下の愛するものを平気で奪い、己の未熟さを他人のせいにする――為政者たるに、最も忌むべき素質かと」
「今後の宮廷に暗い影を落とそうな」
 吐息する父に、イスフェルはある可能性について尋ねた。
「父上、そのようなことをお訊きになるということは、トランス殿下が近いうちに王太子に立たれるのですか……?」
 確かに国王に世継ぎがない以上、取るべき道はひとつしかない。これ以上、王位継承者不在を長引かせれば、ますます宮廷の対立は深まるばかりである。
 ウォーレイは沈黙すると、再び酒杯に手を伸ばした。
「……九年前、今回と同じ理由で、マラホーマとの間に戦があったな」
「はい。私がテイランから戻ってすぐの頃でした。……それが?」
「まぁ聞け」
 ウォーレイは片手で制すと、その裏舞台に登場したレイミアという娘のことをイスフェルに語った。
「……では、その女性はサイファエールの恩人ということに……」
「そうだ。陛下はせめてもの償いにレイミア殿を母親と再会させるよう私と侍従長に指示された。我々は秘かに使者を派遣し、そして……『その存在』を知ったのだ」
 訝しげな表情のイスフェルに、ウォーレイは決定打を放った。
「第十五代サイファエール王太子――レイミア殿がお産みになった、イージェント王の御子だ」
 一瞬、イスフェルは父の言葉を聞き損ねた。
「ち、父上。今、なんと……」
 狼狽える息子に、ウォーレイは身を乗り出して語った。
「イスフェル、よく聞くのだ。最初に言ったであろう。我々の戦は、この戦が終わった後に始まる、と。そなたを宰相代理に任命したのは、戦が終わった後の交渉をさせるためだけではない。そなたに、その御子を迎えに行って欲しいのだ」
「………!!」
 愕然とする息子に、ウォーレイは密使の報告について話した。
「レイミア殿を見付けるのに、我々はもっと時間がかかると思っていた。だが、幸運にも、つい最近、離ればなれになって以来、初めての手紙が、母親のもとに届いていたのだ――」
 それには住んでいる場所は書かれておらず、名前こそ親戚のものが使われていたが、元気で暮らしているという内容だけで、母親は娘レイミアからのものと判った。密使は、その手紙を運んだ者を見付け出し、それを辿って娘の居所を割り出したのだ。ところが、いざ会おうと家に向かったところ、娘のまわりをひとりの少年が走り回っていた。そして、少年は娘のことを「母さん」と呼んだのだった。
 少年の年の頃を八、九歳と見て取った密使は、さらに父親の姿がないのに不審を抱き、任務の遂行を一時見合わせることを決めた。もし、その少年がサイファエール国王の落とし種だとしたら――その疑いがある以上、彼にはそう判断するしかなかったのだ。
 密使は旅人を装い、親子に接近を図った。紳士的な言動で相手を安心させると、食事のお礼に家事や力仕事を手伝った。その合間に、それとなく夫のことを尋ねてみたが、娘は言葉を濁すばかりだった。しかし、息子は違った。薪割りをしながら、彼に遠慮がちに言ったのである。
『前、ボクがケンカして泣いてたら、母さんが言ったんだ。父さんは勇敢な人だったって。戦いでひどい怪我をしたのに、仲間を助けるんだって戻って行ったんだって。それで死んじゃったけど……ボクは父さんが大好きだよ』
 ウォーレイも侍従長も、純朴で平凡な母親が子どもに嘘をつく必要性を認めなかった。その少年こそ、彼らが待ち侘びた第十五代サイファエール国王となるべき人物なのだ。
「そんな……」
 絶句するイスフェルに、ウォーレイはさらに言った。
「戦に紛れ、別に使者を立てることもできるが、私はそなたに御子を迎えに行ってほしいのだ。次代の宰相となるイスフェル、そなたに」
 イスフェルは端正な顔を歪めた。
「己の主君は己で得よ、と……?」
「そうだ」
「ち、父上とミンタム殿は、密使の報告だけでその子どもが陛下の御子だとお考えです。もし違った場合、いかがなさるのです?」
 イスフェルが迎えに行った時点でそれが判ればいいが、もし王都で立太子礼を行った後、それが発覚すれば、宮廷は大混乱に陥るだろう。レイミアとその子どもは死罪を免れず、彼らを連れ出した自分たちも極刑に処されるだろう。そして、笑うのは王弟トランスとその息子である。
 しかし、ウォーレイはただ静かに首を振るだけだった。
「イスフェル、その子どもを陛下の御子と考えているのは、我々だけではない。陛下御自身も、そうお考えなのだ」
 もはや、イスフェルに言葉はなかった。国王が認知しているのに、どうして一臣下がそれに否を唱えることができよう。
「……必ずや、御子とともに王都の門をくぐりましょう」
 しかし、その表情は蒼ざめて険しかった。


 イスフェルを王宮に戻らせた後、ウォーレイは自室の背椅子に深く腰を下ろした。組んだ手を腹の上に置き、強く目を綴じる。
(これは、運命の悪戯なのか……)
 九年前、禍を恐れるがゆえに野に隠された花は、しかし、その種を着実に残していた。そして、それが芽吹くのを知っていたかのように、本来の場所には新しい芽が生まれなかった。両方で芽吹いていた場合も禍であっただろう。その逆もまた然りである。
(――いや、今となっては禍は禍か。その御子の存在を、王弟殿下は決して認めようとはなさるまい)
 ゆっくりと目を開くと、正面にイージェント王の肖像画が見えた。まるで凪の海のようだ、と、以前、思ったことがある。自分の弱さや苦しみで水面が荒れないよう堪えながら、舟たる臣下を自由に走らせてくれる。それは、病弱だけを理由に廃されていい素質ではない。そう思ったからこそ、ウォーレイは長年、心友であったトランスに孤独を味わわせても、イージェントの傍で彼を支え続けてきたのだ。
(幸福を求めながら災禍の種を蒔く、か……。いつか、その報いを受けような)
 伝説の哀れな少年と自分の愚かさを重ね合わせ、ウォーレイは内心で笑った。

【 第五章 了 】


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