The story of Cipherail ― 王都狂騒曲


     6

 クレスティナは、少年たちの中では最も王宮の地理を把握しているイスフェルに先頭を任せることにした。過日、彼は昼間にもかかわらず射場への道を誤ったのだが、初めて王宮へ来たという少年たちが殆どなので、贅沢は言っていられない。彼に庭を突っ切るように指示すると、彼女自身は殿を務めるために少年たちの最後尾にまわった。
 イスフェルに続いて庭に入ろうとしていたセディスが師の前を通る時、ふと彼女を振り仰いだ。
「迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
「……早く行け」
 クレスティナの胸中は複雑だった。深夜の王宮で師を襲おうとしたリデスたちの行動は勿論、それを阻止しようとしたセディスたちの行動も度が過ぎていて、決して許されるものではない。だが、すべては自分のために起こされた行動であり、そこにある感情がたとえ憎しみであっても、なんとなく嬉しかった。学院時代を独りで駆け抜けたクレスティナにとって、少年たちの思い出の中に自分が刻まれることは、喜ぶべきことだったのだ。不謹慎ではあるが。
 無事に庭を通過した一行の前に、黒々とした常緑高木の林が姿を現した。右に迂回しようとするイスフェルに、クレスティナは後方から小声で叫んだ。
「イスフェル、そのまま林に入れ。暗いし、足場も悪いが、その方が見つかりにくいし、時間も短縮できる」
 まるで敗将として戦場から離脱する気分である。クレスティナは、軽く溜め息を吐いた。一方、先頭を行くイスフェルは、なんとしても発見されずに寮に帰ることで頭がいっぱいだった。本当は、王宮へは彼ひとりで来るつもりだった。その方が目立たないし、何かあっても仲間たちに迷惑をかけることはない。他の解決方法を取ることは、組長としての責任と、リデス個人に対する執着心が阻んだ。しかし、そんな彼に仲間たちは言ったのだ。
『オレたちって、イスフェルの何?』


「滑るぞ、気を付けろ」
 なるべく足場のいいところを選んで進みたいのだが、これ以上、彼らの都合に合わせることを神々が嫌がったのか、そう甘いことも言っていられなくなった。突如、エルセン少年が木の根に足を取られた。
「うわっ」
 離宮の中の林といっても、周囲は一・六モワルほどもあり、その中の地形は起伏に富んでいる。エルセンがよろけた先に地面はなく、どのくらい下方にそれがあるのかは、闇のおかげで見当もつかなかった。
「ばっ! エルセン……!」
 崖の下に落ちかけるエルセンに、誰よりも早く手を伸ばしたのは、なんとリデスだった。木の幹に左腕を巻きつけ、右手でエルセンの着衣を掴む。あわやのところで、エルセンは転落を免れた。が、
「げほっげほっ」
 引っ張られた服に首を絞められて、地面にへたりこんだエルセンは、咳を連発した。
「だ、大丈夫か?」
 彼の前を歩いていたシダが背中を撫でる。
「う、うん……」
 涙目になりながら、エルセンは傍らに立っている少年を見上げた。
「ほ、本当なら礼を言いたいところだけど、げほっ……い、今は喧嘩中だからな」
「ふん。さっさと立って歩きやがれ」
 一列で歩いていたので、中央の騒ぎは先頭集団の耳に達しなかったようである。イスフェルたちの姿は、闇の中に消えつつあった。シダの前を歩いていた少年は、後ろが付いて来ていないことに気が付いていなかった。
 再び妙な行進が始まった時、クレスティナはあることに気が付いた。自分の後方を歩く少年たちのために、リデスがことのほか気を遣って、目の高さに伸びている枝や蜘蛛の巣を取り去っていたのだ。いつぞやのイスフェルの言葉が、彼女の脳裏に浮かんだ。
『私は彼のことが好きです。あんなふうだけど、悪い人間ではないし――』
(確かにそのとおりだな。イスフェルめ、大した観察力だ)
 自分が漏らした忍び笑いに、前を歩く少年が眉をひそめていることなど知らないクレスティナだった。
 しばらくして、前進が止まった。前方から伝わってきた小声で、イスフェルが彼女を呼んでいることを知り、列を辿って行くと、ちょうど先頭が林の外へ顔を出したところだった。
「イスフェル、ここってどこだ? 南の庭か?」
 セディスの不安げな声に、イスフェルは首を傾げ、クレスティナを振り仰いだ。彼はそのつもりだったが、なにぶん足場を選びながら来たので、どこかで方向がずれてしまったかもしれない。後の判断は、クレスティナに任せようと思った。そのクレスティナが口を開いた。
「大した方向感覚だな、イスフェル」
「おお!」
 その時、いつの間にやってきたのか、小さく歓声を上げる少年たちを、リデスが制した。
「人がいる……!」
 彼の一言に、その場にいた少年たちは息を飲み、庭に視線を走らせた。すると、彼らから二十ピクトほど離れた生け垣の向こうに、松明の炎がひとつ揺れているのが見えた。少年たちの身体を、戦慄が走り抜けた。
「皆、しゃがめ! 音を立てるな!」
 イスフェルの指示は、長い列にもかかわらず、三と数えぬうちに全員に伝わり、彼のことをよく思わない少年たちも、素直にそれに従った。
「……西門の騒ぎで、連隊長は見張りの数を増やされたかもしれぬな……。出て行って、ここ一帯の警備を私に任せてもらうのも策だが……」
 殆ど独り言のように呟いて、クレスティナは考え込んだ。
(もし出て行って、思いどおりに事が運ばなかったら? 違う場所の警備や伝令係などを言い渡されでもしたら、それこそ目も当てられぬ……)
「とっとにかく今は、あの人が僕たちに気付かずに通り過ぎてくれるのを待った方が――」
「セディス、つまらぬことを申すな。そんな悠長なことを言っていると、将来、出世できぬぞ。おぬしらも学院にいる間に、物事を先へ先へと考える癖をつけておかねばならんぞ。あくまでも現実的にな」
 そこでリデスがうるさいと言わんばかりに舌打ちし、クレスティナは軽く首を竦めると、再び庭に目を向けた。話をしている間に、松明の炎は六ピクトのところまで近付いてきていた。
 ふと、クレスティナは目を細めた。
「あれは――」
 その時、兵士の歩みが止まった。が、それは一行の気配を察したからではなく、警備をするうえでの習慣的なものだった。兵士は、高く掲げた松明をゆっくりと左右に動かしながら、辺りに異常がないかを窺っている。兵士が少年たちの潜む林の方へ顔を向けた。
「やっぱり……!」
 言うなり、林を飛び出そうとするクレスティナの制服を、シダが咄嗟に掴んだ。
「ど、どこに行くんだよ――じゃない、ですか!?」
「そんなの決まっておろう」
「だ、だって……!」
 見付からぬよう気を付けろ、と何度もフゼスマーニに念を押されたことを忘れたわけでもあるまいに、わざわざ見張りのもとに向かおうとする師の考えが、シダにはまったく理解できなかった。
「案ずることはない。おぬしらは私が呼ぶまで、ここで待機していろ」
 明るく言うと、クレスティナは足下に注意しながら、林の中から走り出た。
「ファンジーニ!」
 松明を持った人間まであと数歩という距離に迫ったところで、クレスティナは声を発した。が、全身に緊張感を漲らせていた男は、突然のことに心臓を鷲掴みにされ、鋭く誰何の声を上げると、腰に下げていた鞘から剣を抜き放った。
「おっ落ち着け、ファンジーニ。私だ、クレスティナだっ」
 名前を呼んだにもかかわらず抜き身を突きつけられ、クレスティナは狼狽した。一方、ファンジーニは、暗闇からふいに湧き出た人影を臨時の相棒だと松明で確認すると、これ以上できないくらいに目を見張った。
「ク、クレスティナ!? きみ、一体どこに行ってたんだ!」
「迷惑をかけてすまぬ。その、色々とあってだな……」
 だが、ファンジーニはクレスティナの弁解など聞いてはいなかった。
「フゼスマーニ様は!? 副長閣下とは一緒ではなかったのか!?」
「閣下ならさっき――は? なんでおぬしがそのことを知っているのだ?」
 それは、クレスティナが巡回に出た後、新参者いびりに来たフゼスマーニが、ファンジーニに邪魔をせぬよう予防線を張っておいたからである。だが、落ち着きを失っているファンジーニは、それを説明しようとはしなかった。
「そんなことより、閣下は今、どこにいらっしゃるんだ!?」
「そんなことって……」
 自分の言がことごとく軽んじられているように思えて、クレスティナは顔をしかめたが、ふと、その理由に思い当たって得心した。
「西門騒ぎのことなら知っている。閣下もそこに行かれた」
「な、なんだ……それなら良かった」
 剣をしまいながら、心底安堵するファンジーニに、クレスティナは苛立たしげに溜め息を吐いた。
「いや、それが全然よくないのだ。西門騒ぎの犯人が――」
「犯人!? 工事が不十分で崩れたんじゃないのか!?」
 クレスティナは、今度は憮然として溜め息を吐いた。どうやらファンジーニは、早とちりの激しい性格のようであった。
「おぬし、人の話は最後まで聞け。犯人は今、逃走中だ」
 同僚の悠長な口振りに、ファンジーニは一瞬で目を剥いた。畳みかけるように、クレスティナは言葉を次いだ。
「それで、おぬしには今から、その手助けをして欲しいのだ」
「………!?」
 文字どおり目を白黒させるファンジーニに、クレスティナは強い口調で詰め寄った。失敗は決して許されないのだ。事の重大さを、どうにかしてファンジーニに理解してもらわねばならなかった。
「よいか、これは副長閣下の御命令だ。詳しいことを話している時間はないが、サイファエールの命運に関わることゆえ、誰にも……近衛の皆にも、彼らを逃すことを気取られぬようにせねばならぬ。幸い、皆はまだ犯人がいるということには気付いておらぬから……」
 クレスティナの話が終わっても、ファンジーニは久しく無言だった。彼の心中では、「厄日」という言葉が手に手を取って踊っていた。
「ファンジーニ? ファンジーニ、しっかりしてくれ! おぬしだけが頼りなのだ!」
 女のクレスティナにこうまで言われて、男たる自分がこれ以上、醜態をさらすわけにはいかない。ファンジーニは、ようやくのことで我に返った。
「……で、犯人は、よほどの大物なんだろうな」
 そこでクレスティナは林を振り返ると、こちらへ下りて来るよう少年たちに指示した。
 しばらくして、闇の中からぞろぞろと現れた少年たちを見るや、ファンジーニは呆気に取られて息を呑んだ。
「全部で十四人だ」
「じゅ、十四……!?」
 驚愕のあまり、声もなしに少年たちとクレスティナの顔を代わる代わる見ていたファンジーニだったが、ふと一番後方で控えめに佇んでいる少年の顔に視線を止めた。
「ま、まさか、宰相家の――」
 言いかけて、ふと口をつぐむ。人生には知らない方が幸せということもある、とそう思ったのだ。クレスティナの大袈裟な言葉の意味も、これで納得した。
「……まぁ、どんな事情があるかは知らんが……度胸のある奴らだな」
 たいそう間抜けな反応のように思われるが、これでようやくファンジーニは本来の自分の調子を取り戻した。
「で、オレにどうしろと?」
「テルガー殿が蛇の森に馬車を廻してくださっているはずだから、どうにかして彼らを外に出さねばならぬのだ。何かいい方法はないか?」
 急に難題を突きつけられて、一瞬、困惑したファンジーニだったが、あれこれと考えているうちに、最も単純な方法を思いついた。
「確か……詰め所の裏に梯子があった。あれを使えばいい。壁側一帯は、オレの警備区域になったから、多分、見付かることはないだろう。あとは、梯子をどうやって持ち出すかだが……」
 ファンジーニが言葉を濁したので、クレスティナは首を傾げた。
「詰め所に誰かいるのか?」
「キリアーズ殿が。団長閣下が念のために警備人員を増やされたんだ。きみがいなくなったことは、なんとかごまかしたが、さて今回もうまくいくかどうか……」
 思わぬところまで害が及んでいたことを、少年たちは改めて思い知った。一方、その気配を肌で感じ取ったクレスティナは、彼らを無事に学院に送り返す決意を、また新たにしたのだった。
「私が何とかする。その間に、おぬしはこの子たちを壁のところまで連れていってくれぬか?」
 彼女の必死の様相にただならぬものを感じたのか、ファンジーニは静かに、だが力強く頷いた。

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