The story of Cipherail ― 王都狂騒曲


     5

 クレスティナの馬が預けてある厩舎は、エノール離宮の北東に位置する。この夜、その近辺の警備にあたっていたのは、入団三年目のテルガーとパセという者たちだった。
「くそっ、眠たい」
「なんだ、テルガー。不謹慎な奴だな。夜警があるのわかってたくせに、朝っぱらから酒なんか飲むから、そんなことになるんだ」
「うるさい! 失恋したんだよ、くそっ」
 彼らが寒さに震えながら話をしていると、暗がりの中から同僚が姿を現した。
「おい、おぬしら、連隊長がお呼びだぞ。西門にいらっしゃるとのことだから、どちらか急いで行け」
「連隊長がぁ?」
「おい、どっちが行く?」
「おまえ、行けよ。オレはもう、眠たくて動けねぇ」
「おまえなぁ……オレがいない間に寝るなよ」
「保証いたしかねる」
 わざと厳かに言って、テルガーは、ひとつ大きな欠伸をした。
「何てことを……。カルマス殿、私が帰ってくるまで、ここにいてくれないだろうか? こいつをひとりにしておくのは心配です」
 相方のパセが眉根を寄せながら頼むと、召集をかけにきたカルマスは、だが、首を横に振った。
「私は副長閣下をお捜しせねばならん。あの放蕩閣下、また行方を眩ましになられたらしい。とにかく、早く行った方がいいぞ。連隊長の機嫌がこれ以上悪くならないうちにな」
 それを聞いて、パセは身震いし、慌てて西門へと走っていった。
「おい、テルガー。おぬし、ちゃんと起きていろよ。まったく、つまらんことを言わせおって」
「いやですねぇ、カルマス殿。冗談ですよ、冗談。寝るわけないでしょう」
「当たり前だ。では、しっかりな」
 しかし、カルマスが立ち去った後、十も数えないうちに、不謹慎な番兵テルガーは地面に崩れ落ちた。篝火の光を受けて、ゆっくりと腹部の上下運動を繰り返す彼の影が、厩舎の壁に長く伸びていた。


「なあ、リデス、見ろよ。番兵の奴、寝てやがる」
 厩舎の正面から二十歩ほど離れた生け垣の中で、小声が上がった。クレスティナに夜襲をかけにきた、リデスの一党である。
「わ、罠じゃないのか?」
「なんか、こんなにうまくいってもいいのかなぁ」
 エノール離宮は王宮の中にあるとはいえ、一段低い丘にあるという立地上、ほぼ独立した宮となっている。しかも現在、西門で大改修が行われており、工事中の足場は、侵入者と化した少年たちを隠すのに最適な場所となっていた。
 学院寮を出奔して以来、あまりにも事が平穏に運んで逆に不安になってきている彼らを、頭領たるリデス少年は鋭い声で叱咤した。
「静かにしろ。ツキは使える時に使っとくもんだ」
 言って、再び視線を厩舎に向けると、
「よし、行くぞ。さっき、指示したとおりだ。中に入るのは、オレとオレンズとバルガーニ。正面の見張りにデイル。他の者は、ここで待機。見つかりたくなけりゃしゃべるなよ。オレたちが戻ってくるまで、ちゃんとしゃがんでろ」
 見本にひとりの少年の頭を押さえつけると、リデスは三人の仲間と共に厩舎へと向かった。
「おい、こいつ、起きたりしないかな」
 一党の中で、リデスに次ぐ地位にあるオレンズが、だらしなく地面の上に寝ているテルガーを指さした。そこで、リデスは無言のまま番兵に歩み寄ると、鳩尾を強打しようとしてその拳を振り上げた。が、
「……なんだ、この臭い?」
 リデスが顔をしかめ、不審に思った残りの少年たちは、彼の周囲に集まった。逸早くその臭いを嗅ぎとったバルガーニが、鼻を手でつまみながら叫んだ。
「こいつ、酒呑んでやがる」
「げっ! 信じられん」
「……だったら、当分は起きないな。けど、デイル、しっかり見張ってろよ」
「おう」
 三人が厩舎の中に足を踏み入れると、馬は殆どが寝ていたが、中には彼らの気配を察して起き上がるものもいた。
「どの馬だ?」
「確か鞍に白い布がくくりつけてあった」
 それは、クレスティナが聖地に巡礼した時に手に入れた、平和と友情の女神シャーレーンの聖布であった。
「おい、あったぞ。この馬だ」
 オレンズが一番隅で休んでいる馬を指さし、リデスとバルガーニは緊張した面持ちで、その前に歩み寄った。
「――なるほど、馬に細工して、クレスティナ殿を落馬させる気か」
 突然、背後で声がして、少年たちは一斉に振り返った。入口に、彼らと同じくらいの背丈の人影が、ふたつほど佇んでいる。その足下に、見張りにおいたデイル少年が情けない姿をさらしていた。
「奴ら、皆、いる……!」
 固有名詞を挙げたわけではないが、リデスはすぐに理解した。
「イスフェルか……! 何でこんなところにいやがる!」
「そりゃ、お互い様だろ。恩師の危機を無視するほど、オレたちは薄情じゃないんだ」
 怒りに満ちたシダの物言いに、リデスも負けずに言い返した。
「恩師だと。よく言うぜ。まあ、おまえたちには、あんな細っちょろい女でちょうどいいかもな」
「何だと、この野郎!」
「シダ、よさないか」
 イスフェルは血気に逸る仲間を制すと、再びリデスに向き直った。
「オレたちは、こんなところまで喧嘩をしに来たんじゃないんだ。話がある。表に出てくれないか」
「馬鹿が。人目に付くだろうが」
 すると、シダが偉そうに鼻を鳴らした。
「もう手遅れだぜ。オレたち、一番バレちゃならない御方にバレちまったからな」
 勿論、これはフゼスマーニのことである。リデスは憤慨した。せっかくここまで誰にも見付からずに来たのに、すべてが無駄になったのである。
「馬鹿どもが……! ふん、良い機会だ。おまえたちとは、そろそろ決着をつけなければならないと思ってた。いいだろう。さっさと表に出やがれ」
 リデスは、ここが天下の王宮であることをすっかり忘れて、決闘気分で怒鳴った。


 クレスティナたちが厩舎に辿り着いた時、それは今にも始まろうとしていた。厩舎側にリデスとその一党が立ち並び、イスフェルたちは、その向かいの庭と道との境目の植木を背にして、それに対抗している。つまり、セディスがクレスティナに明言したとおりの状態で、対抗戦ならぬ乱闘が繰り広げられようとしていたのだ。ただ、それを望んでいるのはリデス側だけだったが。
「リデス、さっきも言ったが、オレたちは喧嘩するためにここまで来たんじゃない。わざわざここで騒ぎを起こさなくても、そんなことは学院でだってできるんだからな。とりあえず、今夜はこのまま黙って寮に帰ってくれないか」
 イスフェルが説得にかかると、リデスはそれをいとも簡単に笑い飛ばした。
「まったく、おまえって奴は、いつでもどこでも良い子でいたがるんだな。そんなに騒ぎを起こすのが怖いのか」
「場所をわきまえろというんだ! ここは王宮だぞ! 事が公になれば、オレたちだけが処罰されればそれで済むという問題ではなくなるんだ!」
 言いたい放題のリデスに、さすがのイスフェルも堪忍袋の緒は切れる寸前である。その時、
「何で済まないんだ?」
 厩舎側の少年から疑問の声が上がり、庭側に立ち並ぶ少年たちの間から大きな溜息が漏れた。
「そんなこともわからねえのかよ。これだからバカは――」
 やれやれと首を竦めるシダを無視して、セディスが説明するべく一歩前に進み出た。
「おまえたちも僕たちも、誰にも見つからずに王宮に入った。けど、それを裏返せば、簡単に僕たちを侵入させた近衛兵団の責任はどうなる? それから、僕たちの脱走に気付かなかった寮の先生たちの責任は?」
「事が明るみに出たら、多くの名だたる御方が窮地に立たされることになる。親兄弟にも類が及ぶだろう。ここに付け込んで、良からぬ輩が――」
「親か。へえ。結局、おまえだけは安全だな」
 セディスに続いて発言していたイスフェルを遮って、リデスが嘲るように言った。
「宰相の地位は世襲だもんなあ。ちょっとやそっとのことくらいじゃ、その権利を剥奪されたりしないんだろ? オレたちは処罰を受けても、おまえだけは将来のために揉み消してもらえるんじゃないのか」
 憎しみ以外の感情を欠いたリデスの声に、イスフェルは返す言葉もなかった。生まれてこの方、宰相家の権力をちらつかせたことなど一度もなかった彼にとって、リデスの言葉は衝撃的だった。
 少年たちの端の方で事態を見守っていたクレスティナは、怒りに任せてリデスを糾弾しようとし、フゼスマーニによって阻まれた。
「おぬしが出ていったら、火に油だ」
 確かにその通りではあるが、このまま黙って見過ごすわけにもいかない。
「では、どうすればいいのですか! このままでは……」
 クレスティナは、困惑を通り過ぎて、もはや泣きたい気分だった。
「オレは原因がわかっておらんので何とも言えぬが、この状況からいって、そもそもはイスフェルとリデスとやらの問題であろう。もはや周囲の連中が何と言おうと、二人が腹を割って話し合うなり、殴り合うなりしなければ、どうにもなるまい」
「な、殴り合うって……」
「それが男の和解の仕方だ。だが、ここは天下の王宮だ。かの少年の言葉どおり、事が明るみに出れば、我々の面目は丸潰れ。陛下にも多大な心痛と御迷惑をおかけすることになる。……まったく、毒花の種を持ち込みおって」
 言うなり、フゼスマーニは漆黒の外套を翻すと、少年たちの方へ歩み寄り、低く腹に響く声を発した。
「西門の方が騒がしい。おぬしら、まさか崩れかけた壁に、さらに穴を開けて侵入したのではなかろうな」
 突然、現れた、辺りに散在する闇を凝縮したような大男に対する反応は、道を挟んで、まるで両極端であった。厩舎側の少年たちが警戒態勢をとったり、怯えたりしているのに対して、庭側の少年たちは多少、身体を緊張させながらも、嬉しそうな顔をしている。
「フゼスマーニ様……」
 イスフェルの力の抜けた声を聞きかじった厩舎側の少年たちから、驚愕の声が上がった。
「フ、フゼスマーニだって……!?」
「いかにも。面目丸潰れの近衛兵団の副長、フゼスマーニだ」
 それを聞いて、リデスはイスフェルを睨んだ。
「イスフェル! バ、バレたって、この人にバレたってことか!」
 それに答えたのは、シダであった。
「だから、さっき言ったじゃねえか。一番バレちゃならない御方にバレたって」
 確かに聞いた。だが彼は、てっきりクレスティナに知られたと思っていたのだ。
 リデスが絶句していると、フゼスマーニが憮然とした面持ちで顎を撫でながら、口を開いた。
「とにかく、ここにいては目立つ。団長閣下などに見付かったら、言い訳のしようもないわ。クレスティナ、この者たちを全員、南の庭へ連れて行くぞ」
「か、閣下……!?」
 フゼスマーニの言葉に、クレスティナは我が耳を疑った。近衛兵団副長は、この一件を秘密裏に処理するだけでなく、その片棒までもを担ぐと言ったのだ。いくら近衛兵団の名誉を守るため――ひいては宮廷の混乱を防ぐためとはいえ、近衛兵が侵入者のかばいだてをするなど、許されることではない。もし失敗すれば、流刑にされるだけではすまないだろう。
 しかし、彼は、そんなことはどうでもいいように、穏やかに言った。
「こやつらには将来がある。無論、おぬしやオレにもな。一時の感情の擦れ違いで、それをめちゃくちゃにすることもあるまい」
「……は、はい。はい、閣下」
 クレスティナは、感動と安堵感で、涙が出そうだった。まだ事態は何ひとつ解決していないのだが、フゼスマーニが味方でいてくれるのなら、それも不可能ではないように思えた。
「南の庭は今、ファンジーニひとりであろう。あれにも手伝わせて、そこからこやつらを城外へ逃す」
「はい」
 クレスティナは、早速、少年たちを南の庭への近道に向かわせた。自分たちがどれほどの混乱を引き起こしたかという実感がようやく湧いてきたのだろう、リデスら一党も、クレスティナに背を押されても、抗おうとはしなかった。
 ふと、沈黙を守っていたイスフェルが、俯けていた顔をリデスの方へ向けた。
「……リデス、これだけは、はっきりと言っておく。オレは、先祖の築いた栄光になど、興味はないよ」
 穏やかな反論を受けた少年は、ただ相手に一瞥をくれただけだった。
「……行くぞ。草の上を歩けよ」
 先刻、連隊長に呼び出された兵士が戻ってきたのは、そんな折だった。
 自分の持ち場に群がる人だかりを目にして、パセは角笛を吹こうとし、寸前でそれを思いとどまった。その中でも一際背の高い男が、自分たちの上官であることに気付いたからだ。
「閣下! 副長閣下ではありませんか!」
 呼び止められて舌打ちしつつ、部下の異常な驚きように、フゼスマーニは瞬きした。
「いかにも閣下だが、どうした?」
「どうしたもこうしたもございません。先程、西門近くの修復工事が行われていた壁に、また穴が開いているのが見つかりまして、大騒ぎになっているんです。あれほど大きな穴ではなかったはずなのに……」
 途端、少年たちが首を竦めたので、フゼスマーニは自分の推理が正しかったことを悟った。
「連隊長が任に当たっておられますが、閣下の御姿が見えぬので、近衛兵団長閣下の御指示で、数名が王宮の内外を探し回っておりまして――」
「ちっ。また閣下の機嫌を損ねてしまったわ」
 フゼスマーニは、苦々しい面持ちで天を仰いだ。
「まあ、よい。おぬしも共犯にしてやる」
「は?」
 上官の言葉が理解できずにいるパセの襟を掴むと、フゼスマーニは厩舎の前に引きずっていった。
「このザマは何だ! 何のための見張りか! およそ近衛に選ばれた者の所業とも思えぬわ!」
 フゼスマーニの指さした先に眠りこけた同僚の姿があって、パセは目と口を大きく開いた。
「も、申し訳ありません! おい、テルガー! 起きろ! あれほど寝るなと言っただろうが! テルガー! おいっ!」
「な、んだよ、うるせ……」
 まったく状況を理解していないテルガーの横っ面を、パセは思いきり殴りつけた。
「馬鹿野郎! フゼスマーニ様の御前だぞ!」
「……フゼスマーニ……? フゼスマーニ、フゼスマーニ――」
 眠そうに目を擦っていた手が、不意に止まった。
「副長閣下!?」
 弾かれたように跳び上がり、テルガーは、自分の前に腕組みをして立っている黒い騎士を見た。確かに近衛兵団最強の戦士フゼスマーニの姿が、そこにあった。彼の頭から眠気が一遍に吹き飛び、替わって恐怖という名の嵐が吹き荒れ始めた。
「あわわわわ、フッフゼスマーニ様……!」
 しかし、そんな彼を怒鳴りつけるでもなく、フゼスマーニは右手で顎をつまむと、しばらく思案を巡らせ、それから考えがまとまったように、ひとつ小さく頷いた。
「よいか、おぬしら。今夜、ここで見たものについて、後日、話の種にすることを禁ずる。誰かに何か訊かれても、何も口にするな。もし守らなんだ場合は――」
 フゼスマーニは右手を顎から離すと、首に押し当てて、それを思いきり横に引いた。
「ははははい。おっしゃるとおりにいたしますっ」
 兵士たちの身体は、恐怖と緊張のあまり、小刻みに震えていた。それに気付いて、フゼスマーニは苦笑した。
「そんな恐がらずともよかろう。なにも今すぐ取って喰おうというのではないのだ。それでな、まだあるのだ。王宮の南側に蛇の森があるだろう。そこへ、どちらかひとり、大きい馬車を一台廻せ。詳細は明かせぬが、あの者たちを在るべき場所へ帰さねばならん」
「そっその任務、私が責任をもって……!」
 同僚よりもいち早く申し出たのは、前代未聞の醜態をさらしたテルガーである。ここで名誉挽回しなければ、今後の出世は到底おぼつかぬと考えたのだろう。それも当然のことであったが。
「よし。では、頼んだぞ。責任は私が取る。だが、くれぐれも団長閣下や、その麾下の者どもに気取られぬようにな」
「はっはい!」
 その後、フゼスマーニは厩舎の中から馬を一頭、連れ出すと、その背にまたがりながら、クレスティナを見下ろした。
「クレスティナ。私は一度、西門に顔を出してくる。テルガーが蛇の森に馬車を廻すゆえ、どうにかして少年たちをそこまで連れて行け」
「はっ。……やはり私の技量試しは、これくらい大袈裟でないと」
 厭味ったらしく言うクレスティナに、フゼスマーニは呆れたような笑みを浮かべて、颯爽と走り去っていった。
「よし、行くぞ。欠伸などしている場合ではないのだからな」
 師の視線を追っていって、シダは隣のエルセンに拳骨を振り下ろした。

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