The story of Cipherail ― 第四章 波間に揺れる想い


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「海だ……!」
 ラスティンが久しぶりに目を輝かせたのは、カイルと別れて実に二十二日後のことだった。途中、盗賊に襲われること二度、胡狼に付け狙われること三度。しかし、危惧していたイスフェルの追捕隊や暗殺者、セフィアーナへの《光道騎士団》による追跡はなく、まずまずの旅だった。
「それなら、ツァーレンはもう近いぞ。すぐに港に出入りする船の白い帆が見えてくる」
 イスフェルの言う通り、最後の丘陵を越えた一行の目に、港は勿論、なだらかな斜面に建つ街並みも見えてきた。
 もともと森だった場所を徐々に切り開いて作られたツァーレンは、木造の家屋が非常に多い。ゆえに、火事の備えとして街中に井戸と、そして三ピクトほどの高さの防火壁が一定区画ごとに設けられており、遠目にはそれが巨大な迷路のように見えた。
「ついに辿り着いたのね……」
 セフィアーナの感慨深げな声がイスフェルの胸に響く。ここへ来るまでに、どれほどの犠牲を払ったことか。彼はこの町の役所で自首し、自らに科せられた過酷な運命を少しでも好転させる、ただそのためだけに、今、存在するのだ。
「待ち合わせの神殿って、あれか?」
 幾日もの強い日差しで、小麦色の肌をいっそう黒くしたアリオスが指さしたのは、町の一番高い場所で偉容を誇る石造りの建物だった。まるでその北側に広がる森を堰き止めるかのように細長く、中央部分に載った球状の屋根が陽光を反射していた。
「ああ、あれがグロヴァース神殿だ。聖都は別にして、王国の中では王都の大神殿に次ぐ大きさと言われてる」
 イスフェルの言葉に、セフィアーナは小さく息を呑んだ。
 件の神殿は、今は何の故か偽巫女として振る舞っているという彼女の友人エルティスの出身地である。先だってテイランの使者と落ち合う場所を決める際、「一度見てみたい」と、セフィアーナが提案したのだが、見学気分は除外しても、場所のわかりやすさ、人待ちをしていても不審に思われない点が、青年たちの首を縦に振らせたのだった。
「……なんだかイヤな構図だよ。一番高いところに神さまの社だなんて、またぞろ神官で痛い目に遭わないよね?」
 思い切り眉をひそめて、ラスティンが溜め息を吐いた。聖都での出来事や、その後の《光道騎士団》とのことが心の傷になっているらしい。
「ラスティン……」
 セフィアーナが申し訳なさそうに身体を縮めるのを見て、アリオスが少年を小突いた。
「そう言うな。少なくとも、おまえの姉さんで偽者が出回るくらい大人気の巫女さんは、この通り健全だぞ」
「あ、うん……。ごめん、姉さん。気にしないで」
 気にするなと言われて、その通りに受け取ることのできるセフィアーナではなかったが、この場ではただ肩を竦めるだけに留めた。そして、ふと思う。この弟との出会いが、なぜこの年――彼女が《太陽神の巫女》に選ばれた年でなければならなかったのか、と。もし昨年だったら、彼女は巫女になることもなく、ラスティンが不要な経験をすることもなかった。もし来年だったならば、もっと落ち着いて母に向かい合えていたかもしれない。そしてやはり、ラスティンに辛い思いをさせなくて済んだのに。
(谷から出た時から、何かが始まっているみたい……)
 漠然とした不安が、荒野の回転草のように心底で転がる。その時、
「どうした、セフィ?」
 ふいにイスフェルに顔を覗かれて、セフィアーナは狼狽した。
「え、あ、うん。えっと……何だっけ?」
「すぐに神殿には行かないって話だよ。姉さん、ホントに気にしないで」
「あ、うん、ごめんね……」
 セフィアーナは指に絡めていた髪を解くと、ふと首をひねった。
「でも、すぐに行かないって、なぜ?」
 もしかしたら、テイランの使者は既にこの地へ到着しているかもしれないのだ。そうだとしたら、世話になる身でもあり、あまり待たせるのは気が引けた。
 そんな姉の視線を受けて、ラスティンはイスフェルを見た。アリオスも訝しげにイスフェルに顔を向ける。どうやら話はまだそこまでだったらしい。セフィアーナもイスフェルを見ると、青年は小さく笑った。
「向こうもいつ来るかわからないオレたちを、食事時に待ったりはしないだろう」
「先に腹ごしらえってワケか!」
 アリオスは馬上で大袈裟に空きっ腹を叩いてみせた。
「やったぜ、やっとまともな飯だ! ほら、早く行くぞ!」
 雄叫びを上げる彼の後に、ラスティンが呆れながら、イスフェルが笑いながら続く。しかし、セフィアーナは一瞬、馬腹を蹴るのをためらった。本心を言えば、これ以上先へ進みたくなかった。
 この期に及んでテイランへ行くのが嫌なわけではない。長い道中、誰もツァーレンに着いた後のことを話題にしなかったが、決して忘れていたわけではない。ツァーレンは、イスフェルとの別れの地なのだ。彼の未来のためには仕方のないことだが、また自分が知らないうちに、彼が今以上の辛酸を舐めるのが嫌だった。
(何か役に立てればいいのに……)
 しかし、いくら《太陽神の巫女》とはいえ、事態は今まで同様、彼女の力など到底及ばない次元のことなのだった。
 仲間を追って、少女の馬が歩き出した。その一歩一歩がイスフェルとの時間を一刻一刻と短くしていることを、セフィアーナは改めて覚悟した。


 東門から町の中に入った一行は、目抜き通りを北西へ進むと、町の中央をグロヴァース神殿へまっすぐ伸びている坂を、反対の港の方へと曲がった。さらに市場の中で狭い路地に入り、対向の通行人と軽くぶつかりながら、馬とともに歩んでいく。
 港街とあって、路地裏まで商店が軒先を連ねているのに目を奪われながら、ラスティンはすぐ前を行くイスフェルに話しかけた。
「イスフェルは王都の人間なんだよね? なんだってこんな町のこんな路地裏にまで詳しいのさ?」
「春に来たばかりなんだ」
 この時、イスフェルの心を一抹の虚しさが過ぎった。使節団の一員として赴いた隣国レイスターリアからの帰り、ユーセットと二人で町の名所巡りをした。あの時、彼の前を歩いていた黒髪の青年は、もはやこの世のどこにも存在しない……。
「さて、着いたぞ」
 イスフェルが馬を止めたのは、ある食堂の前だった。入口に掛けてある数枚の旗に、魚の絵が描かれている。
「ここの魚料理は美味しいんだ」
「おっ! イスフェル、気が利くな!」
 いそいそと軒先に手綱を繋ぐと、アリオスは店の扉に手を掛けた。そんな彼に、イスフェルはあることを頼んだ。
「役所へ行く前に、少しでも王都の情報が知りたいんだ」
 牢に入る身ではあるが、《光道騎士団》の不穏な動きを知った今、とても無関心ではいられない。彼が去った後の王都の状況――王子たちのことも気になった。
「――ああ、そうか。そういうことか。そうだよな。おまえとはここで……」
 そう言って頭に手を乗せたアリオスは、少し伸びた銀髪をがしがしと掻いた。イスフェルが食事を優先させたことは、アリオスにも引っかかっていたのだった。
「勿論やってやるさ」
 快く頷いてくれたアリオスに、イスフェルは「悪いな」と首を竦めた。
 噂話や景気話の飛び交う夜ならともかく、昼下がりの今、偶然話が聞けるのを待っていては、いつになるかわからない。イスフェルは知りたいことを端的にアリオスに告げ、復唱したアリオスは店内に入ると、ひとり長台カウンター席へ向かった。他の三人は別客を装い、少し離れた円卓に着く。何が災いするとも限らず、イスフェルが店主の印象に残らないようにするためだった。
 アリオスは、カイルが聞いたなら青筋を立てるような量の注文の後、早速、店主に「久しぶりにサイファエールに帰って来たんだ」ともっともらしく――真実ではあるが――話しかけている。
「ああ、そういや、船が同じだったヤツが、王都でドタバタがあったって言ってたけど、何かあったのか?」
 アリオスの問いに、中年の店主は軽く首を竦めた。手元では、粋の良い魚が身を削がれながらも跳ねている。
「お客さん、ありゃドタバタって程度のモンじゃないよ。王子さまが現れたかと思ったら宰相さまが亡くなって、その犯人が御子息さまだと云うじゃないか。挙げ句の果てに、王さままでお倒れになって……」
 あまりにもさらりと言われた衝撃の事実に、四人は一瞬で固まった。
「国王が、倒れた……?」
 背後の卓を気にしながら、アリオスが呆然と繰り返す。
「ああ。かれこれもうひと月ふた月は経つんじゃないかな。相当お悪いのかねぇ」
 セフィアーナは、水の入った杯を持つイスフェルの手が震えているのに気付き、そっと手を重ねた。我に返ったイスフェルは、一度深呼吸すると、再び長台席の話に耳を傾けた。
「そうだとすると、王子が現れて本当によかったな。どんな方なんだい?」
「まだ、たかだか七、八歳らしいぞ。おまけに双子だと。とても快活な御子たちらしいが、ありゃ将来、また揉めるんじゃないのかねえ。王弟殿下もいらっしゃるし」
「……どうも悪い時に帰ってきちまったみたいだな。なんか景気の良い話はないかな……あ、そうだ。これも船の客から聞いたんだけど、今年の《太陽神の巫女》は、すごく歌がうまいらしいな。美人だとも聞いたぜ・・・・・・・・・
 セフィアーナが目を瞬かせた時、三人の円卓に最初の料理が運ばれてきた。しかし、イスフェルは手を付けようとはしない。国王病臥の件で気落ちしているからではなく、旅の間ずっと、彼は水と干物をごくわずかしか口にしていなかった。罪人たるの分をわきまえているのだ。
「そうらしいな。巡礼に行った知り合いから聞いたよ。この間のマラホーマとの戦いにも征かれて色々活躍されたとかで、今年の巫女さまはいつもとひと味もふた味も違うって、みんな言ってる。聖都に戻られてからは、進んで近隣の町や村にお出かけになられて、歌を披露なさっているそうだ」
 セフィアーナは複雑だった。彼女の歌声が皆の心に届いていたのは嬉しい。しかし、実際に町村を巡っているのは彼女ではないのだ。
(エルティス……)
 彼女の代わりになっている少女の心中を、今のセフィアーナに察することは難しかった。一方、その頬を木鼠りすのように膨らましたアリオスは、セフィアーナの胸中を案じつつ、さらに店主に尋ねた。
「じゃあ、このツァーレンにも来たのか?」
「まさか、ここまでは」
「まさかって、だって王都よりは断然こっちの方が近いじゃないか」
「そうだけどね。ちょっと事情があって」
「事情?」
 すると、店主は周囲を憚って、声の調子を落とした。
「あんまり大きな声じゃ言えないが、実は今年の巫女の推薦試験には、坂の上の神殿からも一人、受けてたんだよ。これが結構な実力の持ち主で、巫女の座は確実だろうと言われてたんだけどね、結果は……。だから、こっちから巫女さまをお呼びするようなことはないと思うよ。まあ、私ら一般信者は、ぜひ巫女さまの歌をお聴きしたいがね」
「ん? じゃ、上のグロヴァース神殿と聖都は仲が悪いのか?」
「そんなことはないよ。自尊心の問題だ。まあ、実情は私もよく知らんがね。商売人の私らは神官ってのはどうも苦手で、興味があるのはアレン神の御機嫌だけだ」
 アレン神は商業の聖官だったが、異教徒たるアリオスがそんなことを知るはずもない。が、青年はただ「違いない」と頷いた。
「ふーん。じゃあ、運が良ければ、聖都を通った時に巫女さんに会えるかもしれないな」
 アリオスが珍しげに魚の刺身の口に放り込むと、店主は小さく笑った。
「会いたいなら急いだほうがいい。もうすぐ《秋宵の日》だ」
「……だから?」
 目を瞬かせる青年に、店主の方が驚いて目を丸めた。
「お客さん、知らないのかい? 巫女さまは《秋宵の日》でお務めを終えて、故郷に戻られるか、どこかの神殿に移られちまうんだよ」
「へ、え……。そうなのか。そりゃ、知らなかった」
「こんなの常識だろう。ま、運良く巫女さまに会えたとしても、めったやたらに近付かないほうがいい」
 ぼろが出そうになって内心で焦っていたアリオスは、店主の言葉にさらにぎょっとした。《太陽神の巫女》には連日、近付きまくっている。
「そりゃまた何で……?」
「何でってそんな、お客さんみたいな色男・・が近付けば、護衛の神官が黙っちゃいないだろうよ」
 一瞬、呆気に取られたアリオスだった。彼は我に返ると、長台をバンバンと叩いた。
「嬉しいことを言ってくれるな。主人、酒おかわり」
「はいはい」
 そんな青年の背中を見て歯噛みしているのはラスティンである。
「アリオスのヤツ、調子に乗って! 肝心なことを訊けってのっ」
 国王の状態を知らなかったイスフェルが最も知りたかったのは、王都の《光道騎士団》への処遇についてである。しかし、食堂の店主に向かっていきなり訊けるような内容ではない。相手に不審人物と警戒されれば、元も子もないのだ。その点、アリオスはうまく話を誘導していった。
「護衛の神官かー。そいつは邪魔だなぁ。それって《光道騎士団》?」
「さあ、よくは知らないが、護衛するからには剣とかが扱えなければならないだろうから、そういう神官といったらやっぱり《光道騎士団》になるんじゃないかね。何故だい?」
「前に聖都へ行った時、あいつらに難癖付けられたことがあってなー。あいつら、黒ずくめで、なんか気味が悪いんだよな」
 勿論、アリオスは《光道騎士団》と接触したことはただの一度もない。姉弟たちの話から、見てきたかのようにでたらめを言っているのだ。
「そうなのかい? 私は会ったことも見たこともないからね」
「あいつらの悪い噂とか聞かないのか?」
「別段……。ああ、少し前にアーバンの商人が《光道騎士団》がどっかに現れたらしいとか言ってたが、おそらくガセだろうな。《光道騎士団》は、昔からずっとセレイラからは出たことがないはずだから。ま、出ていたとしても、それが悪いことなのかどうかは、私にはわからないけどね」
 その後、さらに色々と話を振ってみたアリオスだったが、それ以上のことはわからなかった。彼らは食事を済ませると、頃合いを見て店を出た。
「《光道騎士団》がエルミシュワに行ったことは、あまり噂になってないみたいだね」
 しかめ面で忌々しげに言うラスティンに、イスフェルは顎に手を当てて答えた。
「高原の民はみな死んでしまったのだろう? 下手に《光道騎士団》を責めて不信感不安感を煽ったら、国中が大変なことになってしまう。軍隊を勝手に動かされた王国の恥にもなるし、王都も進んでではないにしても公にはしないだろう……」
「どうする? 他の店も当たってみるか?」
「ああ……」
 しかし、イスフェルはそこで黙り込んでしまった。
「イスフェル、大丈夫……?」
 セフィアーナがそっと声をかけると、イスフェルは悲しげに笑った。
「陛下がお倒れになったとはな……」
 まさか彼の逃亡の報がきっかけで昏倒したとは思いも寄らない。青年は大きく息を吐き出した。その苦しげな様子を見て、ラスティンが気遣わしげに口を開く。
「オレたち、その辺でもうちょっと訊いて来るよ。恩返しもしたいしさ。――あ、でも、テイランの人たちに訊いた方が確実かな」
 しかし、イスフェルは小さく頭を振った。
「オレは、テイランの人間には会わない」
「えっ? なんで?」
「イスフェル?」
 本当なら、イスフェル自身が神殿でテイランの使者と待ち合わせ、少女たちを引き合わせたかった。しかし。
 使者たち――伯父が彼の利害関係のない友人たちを保護してくれることは信じて疑わない。だが、『反逆者』という烙印を押されたイスフェルの身については、政治的な思惑が絡んでくる。たとえ甥でも、いや身内だからこそ、自ら捕らえようという心理が働いていれば、ツァーレンの役所で自首しようとしているイスフェルの障害になるのだ。護送隊襲撃の嫌疑は、自首でしか晴らせないのだから。
「……オレは一応、犯罪者だからな」
 自嘲気味に笑うと、イスフェルは焦燥する心を抑え込んだ。
「いや、もう神殿へ行こう。テイランの人間を見付けるまでは一緒にいるから、心配しなくていい」
《光道騎士団》のエルミシュワ遠征が世に知られていない以上、その後の王都の動向もわかりようがないだろう。こんな港街では噂の回りは早く、実は市場の元締めもしている先程の主人が知らなければ、他のところも大抵同じだと、イスフェルは見切りをつけた。所詮、今の自分はただの罪人なのだ。無理して情報を集めたからといって、何ができるわけでもない。
(今はとにかく、セフィたちを無事に引き渡すことだけを考えなければ……)
 それは、セフィアーナのために彼女のもとを離れたカイルとの約束でもあった。
 再び表通りに出た一行は、グロヴァース神殿までまっすぐ続いている坂を、馬を引いて上り始めた。町の中央にある噴水の横を過ぎ、市場の喧噪が遠離った頃、彼らを大きな黒塗りの馬車が一台、ゆっくりと追い抜いていった。と、周囲に何もない道の真ん中で、ふいにその車輪が回転を止める。そのまま沈黙している馬車の横を、イスフェルは注意を払いながら、ラスティンは怪訝そうに、アリオスはいかにも邪魔だと言わんばかりにじろじろと見ながら、セフィアーナは大して気に留めず追い越した時。
「おい、そこの……娘、待て」
 御者台から威勢よく降りてきた神官服の男が、セフィアーナの前に立ちはだかった。その顔にはどこか見覚えがあった。
「な、何でしょう……」
 どこでだったか思い出せないセフィアーナが面持ち硬く答えると、相手はひどく驚いたような顔になった。
「やれ、本当に女だったか」
 言うと、しまったと顔に書いた少女を置いて、男は踵を返した。そして、馬車の窓越しに中の人物と何事かを話している。
「……やっぱり姉さんは姉さんだね」
 いくら男装をしていても、体型や歩き方を見れば女としか思えない。まして正面から見れば、である。
「どうする? 神官っての、ヤバイんじゃないのか?」
 アリオスが言い終わらないうちに、イスフェルはセフィアーナに手を貸して馬に跨らせた。追われる身の上でなければ、正々堂々と相対するところだが、今はそんなことを言っている場合ではない。逃げるが勝ち、である。
「行くぞ!」
 その声が発されたのは、馬車の扉が開くのと同時だった。一行が残した砂塵の中を、御者の神官は徒歩で追いかけようとしたが、馬の足に追いつけるはずもない。忌々しげに吐息する彼に、馬車から降りてきた人物が声をかけた。
「そう気を落とすな、タルーザ・ドイエ」
「しっ、しかし、ライネル様……」
 ライネルと呼ばれた神官は、濃紺の神官服を翻らせた。
「あれでは認めたようなものだ」
 目を瞬かせているタルーザ・ドイエを置いて、ライネルは再び馬車に乗った。
「《秋宵の日》も近いというに、《太陽神の巫女》がこんな場所で何をしているのやら……」
 少女を見咎めたのは、エルティスを巫女に推薦し、共に聖都まで来ていた、グロヴァース神殿を預かる人物、ライネルその人であった。

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