The story of Cipherail ― 第二章 失われた神の祈り


     5

「《太陽神の巫女》、お騒がせして申し訳ない。盗人が入り込みまして」
「盗人?」
 直立不動の聖騎士たちの間で、なぜか驚愕の表情でこちらを見つめている少年を、セフィアーナは怪訝に思った。
「村の人ではないの……?」
「本人は違うと」
「そう……」
 セフィアーナは少年から視線を外すと、手前の聖騎士に尋ねた。
「それで、彼をどこへ連れて行くのですか?」
「この先の牢屋です」
「牢屋!? そ、そこにアイゼス様はいらっしゃらないのですか?」
「残念ですが」
「そう……」
 もしアイゼスの安否が判ったのなら、サラクード・エダルが教えてくれるはずだ。わかっていた答えだったが、改めて否定されるとつらかった。
「……あの、できればこの部屋で彼とお話がしたいのだけれど」
「えっ!?」
 少女の唐突な申し出に驚きの声を上げたのは、ラスティンの方だった。《太陽神の巫女》という地位もさることながら、母と瓜二つの容貌――間違いない。彼女こそ、少年がこの半年間、探し求めていた姉なのだ。その彼女が、彼と二人きりで話をしたいと言う。願ってもない好機だった。
「それは困ります」
 聖騎士は無表情で言う。そう断られることも、今のセフィアーナには承知の上だった。
「命令なのはわかります。でも、この部屋だって牢屋も同じです。私、することがなくて……話し相手が欲しいんです」
 セフィアーナが食い下がったのには、理由があった。もしかしたら白状していないだけで、彼は村人の生き残りかもしれない。村の人々と一切関わりを持てなかった自分が、ネル以外からも村のことを聞ける好機かもしれないのだ。それに、もし本当に彼が村人の生き残りだとしたら、また彼女の知らないところで生命を奪われるかもしれない。
「しかし――」
「かまわないさ」
 徐々に緊迫し始めた廊下に、あっけらかんとした声を響かせたのは、廊下の先から姿を現したガレイド・エシルだった。
「巫女殿、その代わり縄は解いてはなりませんよ。貴女の安全のためです。それから、見張りの数を増やします。何かあったら、すぐに外の者に声をかけるようにして下さい」
「あ、ありがとうございます。ガレイド・エシル!」
 笑みを綻ばせる少女とは対照的に、その場にいた聖騎士たちの面持ちはいっそう険しくなった。
「ガレイド・エシル、勝手なことを……!」
 しかし、ガレイド・エシルはそちらを軽く一瞥しただけで、ラスティンの背を少女の方に押し向けた。
「さあ、どうぞ」
「あ、う、うん……」
 セフィアーナに促され、ラスティンは扉をくぐりながら、そっと廊下の彼方の相棒を見た。獲物を捕らえる時のように、静かにじっとこちらを窺っている姿が健気だった。ラスティンはアグラスに逃げるように目配せすると、そのまま少女の部屋へと入っていった。


「唇から血が出てるわ。大丈夫?」
 少年の顔を見て、セフィアーナは持ってきた荷物の中から救急用の小袋を取り出した。一方、姉に会えたという喜びでそのことにまるで気付いていなかったラスティンは、「このくらい何でもないよ」と唇を舐めた。
 少年に椅子を勧めると、セフィアーナ自身は寝台に浅く腰をかけ、綿布で血の滲んだ部分を軽く押さえてやった。
「ねぇ、私には本当のことを言って欲しいんだけど、あなたは本当にこの村の人じゃないの……?」
「い、いや、オレは違うんだ――」
 なぜ彼女が聖騎士と対立してまでラスティンを部屋に招き入れたのか、少年はやっとわかったような気がした。多少申し訳ない気持ちになりながら、それでも出会えた喜びを押さえることはできなかった。
「オレは、ラスティン。エルジャスの、狼族の出で……」
「エルジャスの狼族?」
 何と切り出せばいいかと混乱する彼を、少女は不思議そうに見ている。
「あ、あの、あんたは、セフィアーナ……だよね?」
 セフィアーナは瑠璃色の瞳を大きく見開いて、少年を見返した。
「どうして私の名前を知ってるの?」
「オッ、オレ、カイルに世話になってて、それで、あの――」
「カイル」と聞いて、少女がいっそう目を丸くする。
「カイルの? あなた、カイルの知り合いなの?」
「うん。オレ、人を探してて、それでカイルに出会って……」
 それを聞いて、セフィアーナは先日、カイルが言っていたことを思い出した。
『全部終わったら、おまえに会わせたいヤツがいるんだ。……おまえはやはり太陽神に愛された娘だな』
 尋ねてみると、少年は強く首を縦に振った。
「そう、そうだよ。オレのことだよ」
「でも……今までに会ったことないわよね? どうして、私に……?」
 すると、ラスティンは堰を切ったように話し始めた。
「オレ、姉さんを探してて、ダルテーヌの谷で、オレの姉さんはあんたに間違いないって言われて、それでカイルと一緒に聖都へ行ったんだけど、あんたはもう居なくて――」
「ちょ、ちょっと待って」
 少年のあまりの性急さに、セフィアーナは両手を振って彼を制した。一度背後を振り返り、耳を澄ませて扉の外の聖騎士たちの様子を窺うと、再び少年を見る。
「えっと、ラスティン。あの、落ち着いて。最初から、ゆっくり話してくれる? 私があなたの、お姉さんって……」
「あっ、そっ、そうだよね! ごめん、オレ、いま会えるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃって」
 ラスティンは何度も深呼吸すると、エルジャスを出た経緯から、自分を落ち着けるようにゆっくりと話した。病床の母に、ラスティンとは父親の違う生き別れの娘がいたこと。母が涙を浮かべ、娘に会いたがっていること。
 ラスティンは未だ姉に会えたことが信じられず、まるで夢の中にいるようだったが、長年、両親の迎えを待っていたセフィアーナにとっても、これは夢でも見ているかのような話だった。
「もしかしたら別人じゃないかって心配もちょっとあったけど……でも、あんたは絶対、オレの姉さんだ。だって、母さんそっくりなんだもん……」
「私が……? あなたのお母様に、そっくり……?」
「うん!」
 ラスティンは涙目になりながら大きく頷いた。しかし、眼前のセフィアーナが面持ち暗く俯いてしまったので、急に不安になる。
「姉さん……?」
「お母様、私に会いたいって……?」
 その声は震えていた。いや、声だけではなく、膝の上に乗せられた両の拳も。
「そうだよ! だからオレ、姉さんを探したんだもん!」
 少年の力強い言葉に、少女の拳の上に雫が落ちた。
(私に会いたいって、私を探してくれた……!)
 自分を孤児院に置き去りにした理由など、もうどうでもよかった。自分のことを今日まで忘れず、迎えまで寄越してくれたのだ。捨てられた理由など、もうどうでもよかった。
「……カイルから聞いたよ。姉さん、ずっと母さんのこと、待ってたんだってね」
 セフィアーナは小さく、しかし何度も頷いた。
「もしかして、オレのせいなのかな。母さんを独り占めして、その、ごめんね」
「そんな……」
 セフィアーナは両手で涙を拭うと、弟に向かって満面の笑みを浮かべた。
「私を見付けてくれたの、ラスティンじゃない。ありがとう」
 髪の色も瞳の色も少年と自分とでは異なっていたが、どこか心に通じるものがある。ためらいのない信頼感とでも言おうか。
「姉さん……」
 セフィアーナが沈黙した時には一瞬、来てはならなかったのかと慌てたラスティンだったが、ようやく安堵して話を続けた。
「――それで、あの、姉さんはエルジャスに、母さんに会いに来てくれるよね……? あっ、そりゃ、ここから出なきゃどうにもならないけど、出られたら……。さっきも言ったけど、母さん、病気で……」
 すると、姉はなぜか遠い目で答えた。
「ラスティン、私……母さまに、逢いたい……」
「そっ、そう!」
「でも――」
 少年の目の前にすっと差し出されたのは、少女の左腕に嵌められた銀の腕輪だった。
「私、《太陽神の巫女》なの」
「それは……聞いた、けど……?」
「私は巫女として、この事態を最後まで見届けたい」
「姉さん……」
 セフィアーナは、再びラスティンの肩越しに、壁に掛けられた神旗を見つめた。
「それは最初に聞かされていた話とは全然状況が違うし、こんな場所に閉じこめられてしまった私に何ができるとも知れないけど、でも、虐げられている人たちがいることには違いないの。母さまには逢いたいけど、でも……恩のある方の安否も知らないまま、もしかしたらまだ生きている村の人たちがいるかもしれないのに、その人たちを置いてエルジャスへ行くなんて、私にはできない……」
 ネルに手紙と希望を託し、どうにか事態を打開していようとしていた姉だ。ラスティンにはその気持ちがよくわかった。
「じゃっ、じゃあ、ここから出られて、エルミシュワの人たちが自由になれたらいいんだよね!? そしたら姉さん、エルジャスに来てくれるんだよね!?」
「えっ……それは、そうしたいけど、でも……」
 ラスティンがあまりにもあっさりと言うので、セフィアーナは困惑した。
「大丈夫だよ! 外にはまだカイルたちがいる! きっと何とかしてくれるよ!」
「で、でも、相手は《光道騎士団》よ……?」
「そんなの関係ないさ! オレたちが信じてる白狼神は、悪いことをしたヤツを絶対に見逃さない。ここは太陽神の国かもしれないけど、神さまってそういうところは同じはずだろ? 今に天罰が下るさ!」
 それを聞いたセフィアーナは、もはや苦笑するしかなかった。


 カイルは噛み千切った干し肉の半分をアグラスに与えると、背後を振り返った。その先では、腕組みをしたヒースが檻の中の獅子のように行き来を繰り返している。
「だから子守は好かぬと言ったのに」
「ジタバタしても仕方がないだろう。とにかく今は、援軍が来るのを待つしかない」
 カイルの冷静な物言いに、ヒースは足を止めた。
「おぬし、弟分が馬鹿な真似をしでかしたというのに、よく平静でいられるな。確かにおぬしには巫女殿が大事なのかもしれぬが、その巫女殿の弟が死ぬか生きるかの瀬戸際なんだぞ。いや、もうとっくに《光の園》に召されたかもしれぬ」
「あいつの部族は白狼神を信仰しているんだから、召されるんなら《光の園》より狼の国だろ。それに、あいつはまだ生きてる」
「……なぜそんなことがわかる?」
 憮然としたヒースの視線を背に感じながら、カイルはアグラスの艶やかな黒い毛並みを撫でた。
「こいつの瞳を見ればわかる」
 狼族の人間は、伴侶の狼と子どもの頃から寝食をともにし、時には親兄弟よりも強い絆で結ばれているという。しかし、アグラスの金色の瞳には、伴侶を失った悲しみなど一抹もない。あの少年は楽観的なだけでなく、どうやら強運の持ち主でもあるようだった。
 ヒースはアグラスの顔を覗き込むと、馬鹿馬鹿しくなったように敷物の上に腰を下ろした。
「アグラス、おまえも苦労するな」
 ヒースの呟きに、アグラスは困ったようにカイルを見上げた。

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