The story of Cipherail ― 第九章 血塗られた途へ

第九章 血塗られた途へ


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 王都の春の風物詩といえば駆け初めの会だが、夏の風物詩は海の向こうからやってくる。即位記念式典から十五日後、北方ハクブルグ王国の大船団がサイファエールの玄関口、イデラ港へと入港した。彼らは春の雪解けとともに母国の港を発ち、様々な国と貿易をしながら、毎年、初夏の日差しが盛夏のそれへと強さを増す頃に姿を見せ、王都の人々に夏の一大祭事、火宵祭が近付いたことを教えるのだった。


 晴れ渡った空の下、鮮やかな藍色の薄布が翻る。刹那、腰元から引き抜かれた刀身が目映いほどの陽光を反射した。ゆっくりと弧を描いていた剣先が、次の瞬間には空を切り裂き、青の芝草を散らす。次々と繰り出される斬撃に音を立てて風が生まれ、かと思うと、また静の世界へと戻っていく――。
 剣が完全に静止したところで、少し離れたところから拍手が起こった。
「よし! 完璧だぜ、イスフェル!」
 嬉しそうな顔をして近付いてくる友人を、イスフェルは少し照れくさそうに見返した。
「本当か? オレンズ」
 すると、オレンズと呼ばれた青年は、イスフェルの肩を軽く小突いた。
 彼はイスフェルの学院時代の友人であり、よくイスフェルに喧嘩を吹っかけてきた男の親友であった。学院卒業後は、王宮の祭事を取り仕切る宮廷祭礼官として出仕しており、目下、男たちの間で流行っている剣舞を貴族のたしなみに定着化させようと、布教活動に精を出す日々を送っている。そしてその彼を後押しするように、近く始まる火宵祭で、王従弟ゼオラが剣舞祭を開催することを宣言したため、イスフェルは先日お流れとなった稽古をつけてもらおうと、再びオレンズに時間を作ってもらったのだ。
「さすがは組長。筋が良いのは相変わらずだな。文官にしとくのがもったいないぜ」
「なに言ってる」
 にわかに声を上げたのは、石垣に腰かけてイスフェルの舞を見ていたセディスである。
「こいつが武官になったら、本来の武官が手柄を立てる暇がないぞ。なあ、シダ?」
「うるせえ」
 言外にたっぷりと含みを持たせた友人を、地面にあぐらをかいていたシダは、眉根を寄せて見上げた。昨夜が夜警だったため、その表情は幾分疲れて見える。
「今に敵将の首を馬車に積んで持って帰ってきてやるからな。見てろよ」
 先の遠征で、軍師として頭角を現したイスフェルに対し、自分が何の功績も上げられなかったことを未だに気にしているシダであった。
「さて、次はどう動けばいい?」
 学院時代から向学心厚い生徒として教授陣に気に入られていたイスフェルである。たとえ相手が同窓生だろうと、その姿勢に変わりはない。それに、文官として剣を握る機会が少なくなった今、貴族のたしなみという名の下に剣を手に取れることは嬉しいことでもあった。
「次からは大技が続くぜ。得意の体術を生かしてくれよ――」
 言い終わらないうちにオレンズは自らの剣を地に突き刺すと、その柄を掴みながら、腕力だけで宙に身を跳ね上げた。青年たちの目の前で、オレンズの身体が一転し、着地と同時に地面から引き抜かれ逆手に持たれた剣が唸りを上げて空を切る。そこへ偶然舞い落ちてきた木の葉が真っ二つに切れ飛んだ。
「……というか、おまえが祭礼官やってることの方が不思議だぜ」
 言葉通りの大技にシダが呆然と呟き、セディスも目を瞬かせた。
「おいおい、これって剣舞だよな? まるで実戦じゃないか」
 すると、オレンズは呼吸を荒げもせずに二人を振り返った。
「剣舞をバカにしてもらっちゃ困るな。サイファエールの剣舞ってのは、その昔、デラス砦の兵士たちが仲間の実戦における優れた動きを繋げて、戦前夜に将軍に披露したのが始まりなんだ。だから剣舞を嗜んでおけば――まだ実戦で功を上げられていない誰かさんも、次には充分イケるはずだぜ」
 途端、ぶちぶちっと音がした。シダが腹立たしさに任せて芝生をむしったのだ。それを笑いながら、セディスはふと首を傾げた。
「――あ? そういや、デラス砦といえば、リデスは元気にしてるのか?」
 その言葉に、オレンズは軽く目を見張った。辺境の警備兵に志願した彼の親友は、眼前の友人たちに事あるごとに反発していたので、その安否をこうもあっさり気遣われるとは思っていなかったのだ。
「戦の前に、送った手紙の返事が来たが、なかなか辺境生活を楽しんでるみたいだぞ。まあ、まだ始まったばっかりだからな」
「あの野郎、まだ勝負が付いてないってのに逃げやがって」
 なにかとイスフェルに突っかかってきたリデスを、シダは毛嫌いしていた。天下の王宮の芝草が哀れにむしられた痕を見て、オレンズが首を竦める。
「おまえら……わかってないな」
「何がだ?」
 抜き身を鞘に収めながら、イスフェルはセディスの横に腰を下ろした。その声音が常にも増して真摯なのは、彼にとってリデスの存在が、オレンズと同様、大きなものだったからだ。
 イスフェルが最後の遊学と決めてレイスターリアに旅立ったのは、学院の卒業を目前に控えてのことである。帰ってきた時、最大の好敵手がいなくなっていることは、行く前から判っていた。だから、説得した。何度も自分に立ち向かってくるリデスを、イスフェルはいつの間にか必要としていたのだ。しかし、そんな彼を、リデスは軽く笑ってかわしていった。
「――宰相にイスフェル、書記官長にセディス、近衛兵団長にシダ。それがおまえらの夢なんだろ? リデスは自分が王都にいたのでは、潰し合いになると思ったのさ」
 オレンズの言に、三人は顔を見合わせた。それはつまり、リデスが彼らの夢を認めているということだ。
「だが、国軍の将を目指すという手もある」
 眉根を寄せるセディスを、オレンズは笑い飛ばした。
「王都の駐屯部隊は層が厚すぎる。おまえらみたいな貴族の子弟連中が幅を利かせてるしな。あいつはあんな性格だから、実力のないヤツが上にいると蹴飛ばさずにはいられない。それでは王都ではやっていけない」
「まあ……確かにな」
 ここにはいない青年の気性の激しさを思って、セディスは苦笑いした。商家の出身というリデスは、入学初日から大貴族の令息というイスフェルを目の敵にしたものだ。
「変わり種の多い辺境で力を付け、王都に返り咲こうって腹か」
「多分な。あと、おまえらが一か所に固まっている分、自分が外の世界を見ておこうと思ったんじゃないのか? あいつはあいつなりにおまえらの夢に参加してるのさ」
「ハッ、誰があいつなんか!」
 シダは勢いよく起き上がると、自分の剣を引き抜いた。
「あいつに分けてやるモンなんか、一片もありゃしねえ!」
 叫ぶなり、そばの木に向かって剣を振り下ろす。幹から突き出ていた細い枝が、葉を茂らせたまま折れ飛んだ。途端、背後で非難の声が上がる。
「シダ! 近衛兵が何しやがる!」
「おまえ、モドック師に見付かったら殺されるぞっ」
 サイファエール王宮の庭師は普段はたいへんな好々爺だが、植物に対する暴力には国王さえ巻き込んで相手を糾弾するのが常であった。シダが言い返そうとしたその時、
「イスフェルさーん!」
 聞き覚えのある声がし、シダはかつて枝が伸びていた場所に視線を遣った。すると、その先に見える回廊に、王立学院の制服を着た二人の少年の姿が見えた。揺れる長い赤髪を見て、思わず悲鳴を上げる。
「げっ! 何であいつらがここに!?」
 それに、セディスが苦虫を噛み潰したような表情で応じた。
「イスフェルが王子方の侍従に推薦したんだ」
「なにー!? おっおまっおまえっ!」
 今にも卒倒しそうなシダに、イスフェルは明るく笑って見せた。
「いいじゃないか。双子のことは双子に訊けって言うだろう?」
「言うかっ!」
 イスフェルの胸ぐらに掴みかかって文句を言おうとしたシダだったが、先に駆け寄ってきた少年によって突き飛ばされてしまった。
 少年はイスフェルの前に立つと、これ以上ないくらいの笑顔で青年を見上げた。後頭部の高い位置で結ばれた髪は燃え立つような赤で、それに少し黒を混ぜたような瞳は大きく、どこか猫を思わせる。陽の光を受けているせいか他の故か、その表情はすこぶる輝いていた。
「イスフェルさん、お久しぶりですっ!」
 ターニア家の双子の弟クイルは、元気よくそう言って、勢いよく頭を垂れた。
「元気だったか? クイル」
 イスフェルは久しぶりに会った二つ年下の後輩の頭を撫でてやると、少し遅れてやって来た少年に目を移した。
「サウスも――」
 しかし、その名を呼びかけて、思わず言葉を詰まらせる。瓜二つの容貌をなにより武器としていた彼らが、兄サウスの髪のために、一見しただけでは双子とわからなくなっていたからだ。
「おまえ、なんだその頭!」
 セディスの唖然とした叫びに、サウスが困ったように眉根を寄せる。半年前の卒業式の時点で、確かに彼は赤髪だった。それが今は金に近い薄茶色で、長さも片割れのクイルが背の中程まであるのに対し、彼は肩に付くか付かないか、結ぶのにも苦労する長さとなっていた。
「ま、まさか、イスフェルの真似をしたとか言うんじゃ……」
 気味が悪そうに言うと、シダは粟立ちかけた両腕を抱え込んだ。彼が眼前の少年たちに半ば怯えるような反応を見せたのは、まだ学院に在籍していた折、イスフェルの追っかけをしていた彼らに、イスフェルの傍にいるという理由で散々ひどい目に遭わされたせいである。彼の中でもっとも堪えた悪戯は、虫たちの巣くう穴に閉じこめられたことであった。衣服の中を虫が這う感触は、おそらく一生忘れられないだろう。
 そんな彼の前で、クイルが明るい声を上げる。
「あっ、ホントだ! いいなぁ、サウス。オレも染めようかなぁ」
「ク、クイル!」
 サウスが慌てて言葉を遮ろうとするが、時既に遅しである。
「染めたって、何でまた……」
 深刻な表情を浮かべるイスフェルの前で、サウスは縮こまった。髪の色を変えるなど、芸を売りにしている者ならともかく、天下の学院生のすることではない。しかも、彼は未来の国王の侍従に大抜擢された身なのだ。
「すっ、好きで染めたワケじゃありませんっ。もともとは、その、ケ、ケンカして……」
 いつもはクイルのようにハキハキと話すサウスだが、久しぶりの再会に目を覆うばかりの姿をさらす羽目になって、ひどく元気がない。その横で、クイルがむくれたように頬を膨らませた。
「オレたちが侍従の内定を受けたことを知ったヤツらが、嫌がらせで麦酒をかけてきたんです。瓜二つの双子じゃないから内定取り消しだって」
 もはやイスフェルたち四人は目を点にするしかなかった。彼らも在学中は相当な無茶をしたものだが、神聖なる学舎で酒に手を出したことはない。
「何で学院に酒なんか!」
 顎を落としそうなセディスに、クイルが首を竦めてみせた。
「ロンド先生のを部屋からくすねたらしくて。オレは大丈夫だったんですけど――」
 そこでサウスが深い溜息を付いた。
「……先生のお説教が終わったら、なんか部分的に脱色してて……。それで、全部染めることに……。せっかく侍従に選んでいただいたのに、王子様方にこんな頭で……」
 自分から染めたわけではないのに、罪を暴かれた者のように項垂れるサウスを、イスフェルはその髪をかき回して励ました。
「サウス、そう落ち込むな。髪なんてすぐに伸びる」
「そうだよ、サウス! なんならオレが髪を染めてやる!」
 その頭に、シダの拳骨が落ちる。
「おまえはイスフェルの色にしたいだけだろうが!」
「うっ……」
 クイルが恨めしそうな表情を浮かべる横で、サウスは大きく息を吐き出した。どうしようもないことをいつまでも気にしていても仕方がない。
「イスフェルさん。オレたちを選んでくださって、本当にありがとうございました」
 深々と頭を下げるサウスに、イスフェルは首を振った。
「選んだのはオレじゃない。カレサス殿だ」
「でも、イスフェルさんが推薦してくださったんですよねっ。オレたち、ずっとイスフェルさんにお会いしたかったんですよ!」
 イスフェルを初めて見たのは、弓術の最初の講義だった。早めに行った射場で、ひとりの上級生が真剣に的に向かっているのを目撃した。以来、その美しい姿が見たくて、弓術の講義がある時は、前の講義が終わると同時に教室を飛び出した。ある日、サウスが寮の階段から転がり落ちて、足を捻挫したことがあった。半泣きの兄に弟はおろおろするばかりだったが、そこへ通りがかった憧れの上級生がサウスを背負い、医務室で手当てまでしてくれたのだ。その時、初めて彼の名前を知った。それからというもの、シダやセディスが怒り、あるいは震え上がるほど、イスフェルの後を付いて回るようになった。
「イスフェルさん、お会いできないうちに卒業されちゃって、しかもいきなりサイファエールの軍師になっちゃって……」
 熱っぽく語っていたクイルが、感極まって俯く。
「オレたちのこと、もう忘れられたかと思ってました……」
「忘れたくても忘れられるかよ……」
 ぼそっと呟くシダにセディスは力強く頷くと、イスフェルが口を開こうとするのを制して刺々しい声を上げた。
「おい、おまえたち。おまえたちがこれから仕えるのはイスフェルじゃない。このサイファエールの王子方なんだぞ。そこのところをよくわきまえろよ」
「そうだ。学院気分で騒ぎやがったら、オレが王宮から叩き出してやるからな」
 シダのこの言葉を今はいないユーセットが聞いていたら、絶対に「おまえが言うな」と言っていただろう。だが、青年たちにとって、テフラ村からやっと連れ帰った王子たちを悪逆非道なターニア家の双子に預けるなど、譲歩中の譲歩だった。
 無論、イスフェルは双子たちの友人たちに対する数々の嫌がらせを知っていた。それでも彼らを侍従に推薦したのは、別に自分を支持してくれる人間だったからばかりではない。彼らの父親は、中級貴族の中でも一目置かれる存在だった。堅実な人柄である彼に恩を売っておけば、きっと将来、役に立つ。それに何より、サウスとクイルが双子であり、いつも一緒に行動していないと落ち着かないという性分が、当分の間、双子王子に必要だったからだ。大切なものを守ろうとする姿勢は、方向さえ間違わなければ、大きな武器になるだろう。
 イスフェルは、自分の前だからこそ友人たちに反論しない双子を、期待の籠もった瞳で見遣った。
「おまえたち、それで、ミール様とマリオ様にはもうお会いしたのか?」
「いえ、これからです……あっ!」
 しまったという顔をして、サウスが後ろを振り返る。すると、彼らのいた回廊に、ひとりの近衛兵が待ちぼうけを喰わされているのが見えた。双子を王子たちの部屋に案内する途中だったのだ。途端、シダが目を吊り上げる。それが違う部隊ではあったが先輩士官だったからだ。
「おまえら、やりやがったな!」
 唸るように吐き捨てると、低い木立を飛び越えて回廊へと走っていく。王宮の厳しい縦社会の中で、新人のシダが取るべき行動はただひとつ。待たせてしまったことを夜警のひとつも代わると言って謝り倒し、あとは自分が責任持って案内すると言うのだ。ただでさえ彼は、新人なのにクレスティナの助手として王子たちの傍にあり、特にコートミールに気に入られていることで上の者に睨まれている。下手をして、ターニア家の双子から受けた嫌がらせを同僚から受ける羽目になっては目も当てられない。
 しかし、この日のシダは運が良かった。彼が先輩に頭を下げていると、そこへゼオラが王子たちを従えてやって来たのだ。
「シダ、何か失敗したの?」
 コートミールの問いに先輩士官が身を固くしたのを、シダはまずいと顔を歪めた。しかし、ゼオラが「後輩の失敗をちゃんと指導するところが近衛の良いところだ」と褒めたので、初めて王子と面と向かって話すうえ、コートミールから激励の言葉をかけられて、先輩士官は上機嫌でその場を去っていった。
「――で、おぬし、いったい何をやったのだ。イスフェルと剣舞をしていたのではなかったのか?」
 ゼオラの呆れたような視線を受け、シダは首を強く振った。内心、なぜ彼がここへやって来たのか、ひどく納得しながら。
 学院時代、ゼオラがイスフェルにちょっかいを出しに来ていたこともあって、彼らはすっかり顔馴染みであった。
「自分ではありません! あいつら――……彼らのせいです」
 シダが指さした先に見覚えのある顔を見付け、ゼオラは口元を歪めた。
「ああ、カレサスの言葉にまさかとは思っていたが、やはりあの者たちか」
 彼はターニア家の双子と直接言葉を交わしたことはないが、以前、学院へ行った時、彼らがイスフェルの傍にいるのを見たことがあった。
「ミール、マリオ。あそこに新しい友だちがいる。イスフェルに紹介してもらえ」
 ゼオラが手を離すと、双子は元気よく庭に走り出した。
「イスフェルー!」
 梔色の頭が陽光を受けて金色に輝く。皆の集う木の下に辿り着いて、コートミールはイスフェルたちが剣を握っているのに気付き、天色の瞳を煌めかせた。
「イスフェル、剣の練習か!?」
 そんなコートミールを、隣からファンマリオが小突く。
「ミール、違うでしょ」
 言って、見知らぬ二人を見上げる。
「イスフェル、だあれ?」
 突然の王子たちの登場に、さすがのクイルとサウスも言葉を発せず、緊張で身体を強張らせた。それにくすっと笑うと、イスフェルは静かに膝を折った。
「お二人とも、何か気付かれませんか?」
「え?」
 イスフェルの言に双子王子は眼前の少年たちを見上げた。
「おじ上が新しい友だちだって……」
「……あ!!」
 幼い二人は顔を見合わせると、もう一度顔を上げた。
「オレたちとおんなじだ!」
「でっでも、なんで髪の色が違うの?」
 気にしないと決めていたはずだったが、王子の最初の言葉がそれとあって、サウスは思わず泣きそうになった。そんな彼の背を、イスフェルは軽く叩いた。こんなことでいちいち傷付かれていては、この先、侍従としてやっていけない。
「ミール様、マリオ様。今日からカレサス殿とともにお二人の身の回りのお世話を致します、サウスとクイルです」
 本来、二人の紹介はカレサスの役目のはずだったが、彼がいないので仕方がない。おそらく行き違いにならぬよう、サウスたちが来るのを部屋で待っているのだろう。
「オレたちの?」
 目を丸める双子王子の前に、ターニア家の双子は跪いた。
「コートミール様、ファンマリオ様、はじめまして。サウス=ターニアと申します。こちらは弟のクイル」
「いっ、一生懸命お世話させていただきますので、よろしくお願いします!」
 一瞬、顔を見合わせた王家の双子は、次の瞬間、満面の笑みを浮かべて頷いた。年齢は違っても、遊び相手ができたことが嬉しかったのだ。


 それから半ディルク後、王宮の中庭はちょっとした騒ぎになっていた。たまたま庭や回廊を通りかかった人々によって円陣が組まれ、建物二階からも人々が窓から身を乗り出している。その視線の先でゼオラとイスフェルが剣を合わせ、さらにその横に、まったく同じ姿勢で王子たちが向き合っていた。二組の間には、オレンズが少し緊張した面持ちで立っている。
「それでは、もう一度やってみましょう。ゼオラ殿下とイスフェルは、もうちょっとお二人のお手本になるようにお願いします」
「何を言うか、オレンズ。我々は史上最高のお手本だぞ」
 ゼオラの大言に、周囲の輪から笑いが起こった。
 王子たちが剣舞を披露することは剣舞祭の開催と同時に決められ、目下、宮廷人たちの楽しみとなっている。コートミールはともかく、ファンマリオはあまり剣を握るのが好きではなかったが、ゼオラやクレスティナの特訓の甲斐あって、それなりに形になっていた。その成果を少しだけ皆に披露してやろうとゼオラが言い出したのだ。
 オレンズは軽く首を竦めると、手をひとつ打ち鳴らした。ゼオラとコートミールの右足が右手の剣とともに踏み出され、イスフェルとファンマリオの左足が退かれた。と同時に、イスフェルとファンマリオが後ろ向きに回転し、それぞれの相手の後背を取る。
 剣舞はなにもひとりでするものばかりではない。
「ハッ!」
 振り下ろされた二本の剣を、二本の剣が受け止める。しばらくの押し合いの後、相手から飛び離れた二組は、ふたつの円を描くように回り始めた。その間、相手を威嚇するように、何度か攻撃の型を取る。と、ふいに間合いを詰め、オレンズの手に合わせて、剣が打ち鳴らされた。何度か剣を合わせるうちに、イスフェルとファンマリオの剣が相手の手に落ちる。突き出された四本の剣から逃れるため、イスフェルは手を使わずに、それがまだできないファンマリオは手を着いて後転した。途端、周囲で歓声が上がる。気分が乗ってきたコートミールはその先を続けようとしたが、それはゼオラによって阻まれてしまった。
「出し惜しみをせねばつまらぬぞ」
 その言葉に、コートミールは容易に頬を膨らませた。一方のファンマリオは、ゼオラが遮ってくれたことが有り難かった。練習でもあまりできなかった後転が成功したことは嬉しかったが、それだけで気力の殆どを使い切ってしまったのだ。
「マリオ様、がんばりましたね」
 地面に座り込んでいるファンマリオにイスフェルが声をかけると、少年は大きく首を振った。
「本当は手を着いちゃいけないでしょ。でも、ボクにはこれが精一杯だよ……」
 その時、ざわざわと人垣が揺れた。イスフェルが振り返ると、人々の開けた道を、宰相が書記官長らとともに進んでくるのが見えた。
「閣下」
 偶然通りかかったのだろうか、突然現れた父にイスフェルは驚きながら立ち上がった。
「……ゼオラ殿下、少しまずいことになっております」
 王族に向かって礼をした後、ウォーレイの第一声はこうだった。
「まずいこと?」
 すると、ウォーレイは彼らの足下とそばの木を見上げ、小さく溜息をついた。
「先程、陛下の執務室に庭師のモドックがやって来て、中庭が荒らされている、と」
 剣舞をしていた者たちは、ふと自分たちの足下を見下ろした。すると、つい数ディルク前まで青々としていた芝生が、今は見る影もないほど踏みつぶされ、ところどころ地肌を剥き出しにしてしまっている。見上げれば、剣をなりふり構わず振り回していたせいで、失われた枝の数は、シダが意図的に斬り飛ばしたそれの比ではなくなっていた。
「し、しまった……」
 つい先日、ゼオラはその庭師に老齢の大木を的代わりにしていたことを糾弾され、国王からも注意をされたばかりである。なんと言い訳をしようかと頭を抱えた時、コートミールの明るい声が彼を救った。
「イスフェルの父さん!」
 コートミールはウォーレイに走り寄ると、その袖を掴んだ。天下の宰相を『イスフェルの父さん』呼ばわりする小さな王子を、誰もが息を呑んで見守った。しかし、無論、ウォーレイがそんなことで気分を害すはずもない。
「何でしょう? ミール様」
 だが、次のコートミールの言葉は、宰相の予想を見事に裏切った。
「イスフェルの父さんも一緒に剣舞しない!?」
 てっきり庭を荒らしたことへの謝罪が出てくるかと思っていたので、ウォーレイは思わず絶句してしまった。そんな彼にかまわず、コートミールが言を次ぐ。
「だって、イスフェルがあんなにうまいんだもん。だったら、イスフェルの父さんはもっとうまいよね!?」
 途端、周囲の人々が色めき立つ。書記官長たちでさえ、思わず期待に笑みを滲ませた。
「それは……」
 なんと返事をしたものかと首を傾げるウォーレイに、ゼオラが話題をすり替える絶好の機会とばかりに追い打ちをかける。
「ウォーレイ、王子の質問に答えよ。おぬしも昔は剣に弓に敵なしの身であったではないか。それとも老いて、今は声も出せぬのか?」
 それはあからさまな挑発だったが、ここまで言われて黙っていては、ウォーレイの男が廃るというものである。
「……イスフェル、剣を」
「えっ、あっ、はい!」
 思えば父が剣舞をしている姿など見たことがなかったので、イスフェルは剣を渡しながら心が興奮に震えていることに気付いた。ところが。
 ウォーレイが円陣の中央に進み出、剣を構えた瞬間、なんとまくし立てたゼオラ自身がその続きを阻んだのである。
「ここから先は、剣舞祭でのお楽しみだ! ウォーレイとイスフェル、どちらに剣舞の才があるか、皆の者、宰相家の親子対決に大いに期待あれ!」
 それを聞いて、人々は一瞬、おあずけを喰らった犬のような表情を浮かべたが、古今で王宮を騒がせる親子の対決が観られることになり、その口からやたら大きな歓声を発した。
 一方、勝手に対決を宣言されたウォーレイとイスフェルは、呆然と顔を見合わせると、ゼオラに巧く持って行かれたことに今さら気づき、深く息を吐き出すしかなかった。

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