The story of Cipherail ― 第七章 玉座を継ぐ者

第七章 玉座を継ぐ者


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「そんな、私は大丈夫です」
 クレスティナの話を聞いて、セフィアーナは慌てて寝台から降りた。
 自分のために、女騎士にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「見て下さい。もうちゃんと立って歩けます。私も皆さんと一緒に王都へ――」
 ところが、少女の足は彼女の意志に従うことができなかった。セフィアーナはよろめくと、そばの円卓に寄りかかった。
「セフィアーナ」
 寝台の反対側に立っていたリエーラ・フォノイが、駆け寄って少女を抱き起こす。その少女を見て、クレスティナは首を振った。
「無理をするでない。思えばそなた、聖都からの旅の疲れが取れぬ間に、この度の遠征に参加したのであろう。良い機会と思って、少し身体を休めるのだ」
「でも……」
「セフィアーナ、リエーラ・フォノイのことも考えろ。彼女もいい加減疲れておる」
 セフィアーナがはっとして女神官を見遣ると、リエーラ・フォノイは困ったように首を傾げた。
「ともかく、これは上将軍閣下の御命令だ。従ってもらうぞ」
 高圧的に言った後、クレスティナは組んでいた腕を解くと、おどけるように肩を竦めて見せた。
「というより、私に二十日間も独りで過ごさせないでくれ」
「ま……」
 セフィアーナとリエーラ・フォノイが顔を見合わせて笑った時、部屋の扉が叩かれた。リエーラ・フォノイが少女に上着を着せかけ、椅子に座らせている間に、クレスティナが応対に出る。扉の外に並んだ意外な顔ぶれに、彼女は目を瞬かせた。
「何だ、おぬしら……」
 そこに立っていたのは、近衛兵団でクレスティナの麾下にいるパウルスとシダ、そしてセフィアーナに肘鉄を当てたエルスモンドだった。
「小隊長、私たちも御一緒させていただきます」
 パウルスの言葉に、クレスティナは紅蓮の瞳を見開いた。
 ゲルドの吹き矢を受けそうになったクレスティナを突き飛ばしたのは、実は彼であった。芯が強く、弓術に秀で、クレスティナの隊の取りまとめ役を任されているが、その面立ちはとても優しげな男だ。
「なに、私は罰を下された身なのだぞ。おぬしらは関係ないではないか」
 彼女の言を、パウルスは一笑に伏せた。
「何を言われるのです。今度のことは、小隊長おひとりのせいではありません」
「そうですよ。小隊長、いつも言ってるじゃないですか。近衛は何事も連帯責任だって」
 シダも笑いながらパウルスに続く。
「しかし……」
「たとえ剣を抜かれたってオレたちは引きませんよ。特にエルスモンド殿は」
 クレスティナがエルスモンドに視線を遣ると、目の下にはっきりと隈を作った彼は、とても真剣な眼差しで彼女を見返していた。一昨日から寝ていないのだろう。《太陽神の巫女》を昏倒させたのだから、無理もない。
「……わかった。すまぬな」
 溜息をつく彼女に、パウルスは既に近衛隊長の許可を取ってあると告げ、クレスティナはさらに大きく吐息した。


 すっかり帰り支度を整え、軍全体の準備が終わるのを待っていたゼオラは、謁見を求めてきたイスフェルの言葉を聞いて、あからさまに眉根を寄せた。
「離軍させて頂きたいだと?」
「はい」
 直立するイスフェルの方は、まるで旅支度を整えていない。ゼオラの了解をもらう前から離軍を決めこんでいるかのような態度が、ますます上将軍を不機嫌にさせた。
「して、それはいかなる理由で?」
 どこか突っかかるようなゼオラの物言いに、イスフェルは内心で首を傾げながら言った。
「難破船でございます」
「難破船?」
「はい」
 黒い瞳を瞬かせる上将軍に、イスフェルは宰相代理の任を放り出さなければならなくなった理由――偽りの――を語った。
「先だって、王都のオデッサの砂浜に難破した海賊船が打ち上げられたのですが、それがタルコス王国の航海証を持っていたのです」
 落胤を迎えに行くなどとは口が裂けても言えない。たとえゼオラが気の知れた仲であっても、何がどう転ぶか、宮廷という場所ではわからないのだ。おそらく後日、盛大に嫌みを言われることになるだろうが。
「政府直属の貿易船が、海賊行為をしていた可能性があります」
「何だと。それが事実なら、大きな外交問題になろうな」
「陛下もそれを憂いていらっしゃいました。入念な調査を望まれていたのですが、この度の遠征となり……。しかし、怪我の功名かも知れません。聞くところに寄ると、この辺りでも最近、海賊船らしき船が難破したとのこと。もしかするかもしれませんので、私が直接赴いて調査したいのです」
「気持ちはわかるが……」
 前のめりに小難しそうな顔をして話を聞いていたゼオラだったが、ふいに身体を起こして言った。
「おぬし、宰相代理の任はどうする。まだやることは山ほど――」
「そこまではないと思います」
 きっぱりと言い切って、イスフェルはゼオラを見た。そのために、丸二日間、車輪になって働いたのだ。あとは帰りの道中で領主・豪族の接待をするくらいである。その他の雑事は、書記官たちだけで対処できる。彼らはイスフェルより長くその任を負い、物事を経験してきたのだから。
「閣下、どうかお許し下さい」
 イスフェルが頭を下げると、ゼオラは唸り声を上げながら背もたれに沈み込んだ。
「……おぬしまで軍を離れたら、私は誰を相手に遊べばよいのだ」
「遊ぶ……」
 一瞬、顔を歪めたイスフェルだったが、ふと首を傾げた。
「おぬしまでとは、私以外にも誰か?」
「セフィアーナとクレスティナだ。他に、近衛の者が三名。おお、そのうちのひとりはシダだ」
「シダも?」
 藍玉の瞳を見開く青年に、ゼオラは心底つまらなそうに語った。
「長旅の疲れも出ておるらしくてな。しばらくここに残るように申したのだ」
「そうだったのですか……」
「出発式で私に付き合わされる人間は大変だと王妃に言われたが、まさしくそうだったな。セフィアーナには無理をさせすぎた」
 珍しく落ち込んだ様子を見せるゼオラに、イスフェルはふと、彼が王子として生を受ければ良かったのにと思った。しかし、すぐに首を振る。
(大事を前に、詮無いことを考えるな)
 イスフェルは顔を上げると、穏やかな表情を浮かべて言った。
「閣下、セフィアーナ殿は自ら望んで従軍したのです。閣下が御心を痛められることはありません。私どもの離軍を御心ならずに思われるのも有り難いことですが、他に考え方もあります」
「……何だ?」
「私は御一緒に凱旋門をくぐることはできません」
「――おお」
 イスフェルの言わんとすることを察して、ゼオラの表情がにわかに明るくなる。
「歓声はすべて私のものだな」
「私としては、本当に惜しいところです。凱旋門の下で、この名をサイファエール中に知らしめることができましたものを」
 イスフェルが悪戯っぽく笑うと、そんな彼をゼオラは小憎たらしげに見返した。
「いいだろう。離軍を認めよう」


 イスフェルを探して城塞中を走り回っていたセディスは、探し人を回廊の先に見付けると、猛然と走り出した。足音を聞きつけて振り返った友人に噛みつく。
「どういうことだ、イスフェル! 難破船の調査はオレの仕事だぞ!!」
「セディス」
「オレに何の断りもなく……一体どういうつもりだ!」
 仕事を奪られたことを怒っているのか、離軍することを怒っているのか、事前に何の相談もしなかったのを怒っているのか、あるいはそのすべてか。冷静なセディスのひどく興奮した様子に、イスフェルは僅かにたじろいだ。
「落ち着け、セディス……」
「これが落ち着いていられるか! 聞けば、シダのヤツも軍を離れると言うじゃないか! オレだけすごすご王都に帰れるか!!」
 イスフェルの横で、ユーセットが馬鹿馬鹿しそうに天を仰ぐ。
「おい、イスフェル。こいつを連れて行くという考え、改めた方がいいんじゃないのか? 思ったより阿呆らしいぞ」
 複雑な表情を浮かべるイスフェルに対し、セディスはますます激昂した。
「阿呆!? ユーセット、言っていいことと悪いことがあ、る……」
 急に押し黙ったのは、そのユーセットの言を反芻したからである。
「……え、なに、オレも連れて行くつもりだったのか……?」
 セディスがおそるおそる尋ねると、目の前の友人は大きく息を吐き出した。
「できれば巻き込みたくなかったが、頼れる友人はそういないからな」
 言うなり再び歩き出す。
「巻き込む……? だが、もとはオレの仕事――」
 その時、セディスの背中をユーセットが思いきり叩いた。
「さぁて、祭の始まりだ」
 不敵な笑みを浮かべる先輩書記官の背を、セディスは混乱した頭を抱えたまま追いかけた。


 昼前、ゼオラは王都出立の時とほぼ同じ兵数で、凱旋の途を歩み始めた。それと同時刻、リグストンを糾弾した戦士ゲルドは、地下牢で潔い死を迎えた。彼の最期に立ち会ったイスフェルは、彼から《太陽神の巫女》へ謝罪の言葉を託された。それを伝えると、少女は無言のまま、部屋の窓から白銀鷹旗の連なりをいつまでも眺めていた。

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