The story of Cipherail ― 王都狂騒曲


     8

「ま、まだかよ、蛇の森はっ」
「しっ。いくら暗いからって、ここはまだ、王宮から丸見えなんだぞっ」
「そんなこと言ったってなぁ……!」
 シダが愚痴をこぼすのも無理もなかった。馬に乗り慣れている少年たちにとって、一モワルの全力疾走はさすがにきつかった。
「先頭はっ!? 今、どの辺にいるんだっ!?」
「まったくわからん! リデスの奴、後ろのことなんか全然考えちゃいないんだ!」
 そんなことはない、とイスフェルが言おうとした瞬間、
「そんなことはない、リデスはちゃんと考えている、だろう? イスフェル」
 いつの間にか追いついてきていたクレスティナが、片目を綴じてみせながら、おかしそうに言った。
「……ええ。そうじゃないと、いくらなんでも組半分をまとめることに成功なんかしません」
「なんだよ、それ」
 なぜか嬉しそうなイスフェルに、シダは少々不満げだったが、クレスティナは今回のことでリデスの意外な一面が見れて、少し得したような気がした。
 その時、
「そこっ! 誰かいるのかっ!?」
 馬蹄の音と共に鋭い誰何の声がして、イスフェルたちは咄嗟にその場に身を伏せた。話し込んでいたので、松明の炎が近付いてきていることに気が付かなかったのだ。とんだ失態である。
(見付かった……!?)
 誰もが心中でそう思った時、再び声が尋ねる。
「いないわけがなかろう。我が馬が気配を感じ取っているのだ。おとなしく正体を現せ!」
 その言が終わるか終わらないかのうちに、イスフェルの手をクレスティナが握りしめてきた。イスフェルが息を呑みながら師を見やると、クレスティナは蛇の森の方を顎で指し、自分が時間稼ぎをする間に逃げるよう指示した。
「で、でも……!」
 彼女を思いとどまらせようとするイスフェルの肩を二度ほど軽く叩くと、クレスティナは微かに笑った。
「何も死にに行くわけではない」
 そして、ゆっくりと起き上がる。
「……行け!」
 クレスティナの小声の命令を受けて少年たちが動き出すのと、近衛兵らしい男が叫ぶのが同時だった。
「いい加減にせんと、矢を放つぞ!」
「ま、待ってください! 私です! クレスティナです!」
「……クレスティナ?」
「は、はい」
 今夜、二度目の大芝居の始まりである。クレスティナは、ふらふらしながら松明の方へ近付いていくと、信用してもらうため、馬上の人間に顔を見せた。
「確かにおまえはクレスティナ。だが、おまえは今夜は南の庭の警備ではなかったのか? こんなところで何をしている」
 そう言ったのは、近衛兵団長の腰巾着として有名な、バハールという男であった。
「そうだったのですが、副長閣下がおられぬというので、街の方へ捜しに行っていたのです。なれど、見付かりませんでしたので、戻ることに致しまして……」
「閣下ならとっくに見付かった。それより、おまえ、馬はどうした。まさか歩いて捜していたわけではあるまい」
「勿論です。先程、蹄の裏に棘が刺さったようで、乗れなくなってしまいましたので、心ある者に預けて来たのです。歩きだと戻るのに時間がかかるので、近道をと思って、このようなところを通っていた次第です」
「なんと、おまえも閣下に振り回されて運が悪いことよ。とにかく急ぎ王宮へ戻れ」
 バハールの口調が妙に皮肉げなのは、彼がフゼスマーニを嫌っているからだとクレスティナは判断した。以前からそういう噂があったし、年下のフゼスマーニに上官面されて、団長麾下の中で上位にある彼としては、フゼスマーニが妬ましいのだろう。だが今、それはどうでもいいことだ。
 なんとか騙しきったクレスティナが、安心しながら王宮へ向けて第一歩を踏み出した時、暗闇の奥で小さな叫び声が上がった。
「む? 何だ?」
 そう言って、バハールは顔を上げたが、クレスティナは恐ろしくて振り返ることができなかった。それが少年たちのいる方角から聞こえてきたからである。クレスティナは、バハールがとんでもないことを言い出さないよう、心の中で懸命に祈った。が、
「あっちにも誰かいるのか? まったく、事多き夜よ。何事か見てくるゆえ、クレスティナ、おまえは先に王宮へ戻っておれ」
「で、ですが……」
 咄嗟にいい口実が思いつかず、クレスティナは唇を噛みしめながら、身体の横で両方の拳を強く握りしめた。しかし、次の瞬間、
「賊だあっ! 子供がさらわれているぞ!」
 再び二人の下方で叫び声が上がり、かと思うと彼らの目と鼻の先をひとつの騎影が駆け抜けた。
 クレスティナは仰天した。なんとそれに乗っていたのは、先刻の黒装束を纏ったフゼスマーニと、森に向かっていたはずのエルセン少年だったのである。
「な……!?」
 混乱するクレスティナの横で、バハールは追いかける一隊の最後尾にいた者を呼び止めた。
「いったい何事だ!」
「そ、それが、ついさっき、この少し先を巡回しておりましたら、少年の助けを呼ぶ声がしまして、どうやら賊にさらわれたようなのです。ほっとくわけにも参りませんので……」
 フゼスマーニは先刻同様、顔面を布で覆い隠していたので、その正体を彼らは知らないのだった。クレスティナは思わず吹き出しそうになり、ようやくのことで思いとどまった。
(閣下は、様子を見に来て下さったのか……)
 来たはいいが、ちょうど巡回の者に少年たちが見付かる寸前だったのだろう。それでエルセンを使って、近衛兵の注意を他の少年たちから反らそうとしたのだ。それ以外に考えられない。
(それにしても、まあ、よく咄嗟に思いつかれたものだ)
 フゼスマーニの立場を思えば笑いを堪えている場合ではないのだが、どうも彼の賊振りがはまってきていて、おかしくてならなかった。
 だが、賊が上官とは知る由もないバハールは、腹立たしげに鐙を踏み鳴らした。
「ちっ。まったく、なんて夜だ。よし、私も行くぞ! この私がとっつかまえて、叩っ斬ってやるわ!」
「それは無理です」
 とは言わず、クレスティナは存在を忘れてもらうため、沈黙を守った。だからではないだろうが、バハールは彼女に言葉をかけぬまま、呼び止めた兵士と共に、その場を去っていった。
「よし……!」
 一瞬、ほくそ笑んだクレスティナだったが、すぐに闇の中を走り出した。勿論、その方向は王宮ではない。
「イスフェル! イスフェル! どこにいる!?」
 クレスティナが暗がりに向かって問うと、イスフェルの押し殺したような声が聞こえてきた。
「こっちです、クレスティナ殿。気を付けて下さい。その辺りから急斜面になっていますから」
 クレスティナが用心しながら歩いていくと、少年たちが九人ほどで固まっているのが見えた。
「皆、無事か。他の者は?」
「先に行ったようです。それで、あの、エルセンが――」
 説明しようとするイスフェルを、クレスティナは苦笑まじりに制した。
「あれだけ騒げばだいたいの察しはつく。閣下は何かおっしゃっていたか?」
「……必ず後から追いつくから、おまえたちは先に学院へ向かえ、と」
「そうか。ならば行くぞ。蛇の森まであと少しだ」
 クレスティナが言い、一行は再び夜の斜面を走り始めた。
 しばらくして、彼らの視界に一段と濃い闇の連なりが入ってきた。クレスティナが馬車の位置を目を凝らしながら探っていると、彼らの左手で小さな光が点滅しているのが見えた。
「あそこか……」
 一行がその方へ向かうと、木の下でひとり、蝋燭を手で覆っては外し、外しては覆い、を繰り返しているオレンズ少年の姿があった。
「テルガー殿はどこだ?」
 尋ねると、オレンズは無言のまま森の中を指さした。彼はリデスとともに今回の騒動の発起人だったので、敵に助けられる格好となって、どういう態度を取ればいいかわからないのだろう。
 一行が指された方角に森の中を歩んでいくと、狭い木々の間に一台の馬車が止まっていた。一行の足音を聞きつけて、馬車の後ろからテルガーが顔を覗かせる。
「やっと来たか。おい、ちょっとこれを降ろすのを手伝ってくれ」
 言って、テルガーが顔の横に持ち上げたのは、人の頭の二つ分はある岩だった。一行がきょとんとしていると、テルガーが笑いながら言った。
「崩れた城壁の岩だ。この馬車がちょうど捨てに行くというんで、オレに任せてもらったんだが、聞けば、おまえたちがよってたかって壊したっていうじゃないか。自分で蒔いた種は自分で苅らねばなぁ」
 既に彼の横では先についた三人の少年たちが、額に汗を浮かべながらその作業をしていた。大部分は先に王宮に忍び込んだリデスたちが壊したのだが、後から来たイスフェルたちが全く壊していないかと言えば、そうではない。少年たちは早足で馬車の裏へ回ると、一緒になって岩を降ろした。
「……テルガー殿、あの、面倒な事に巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません」
 クレスティナが馬車の陰で頭を下げると、テルガーは軽く首を竦めた。
「いやはや、まったく神は悪事を見過ごさらぬ。自分で蒔いた種を自分で苅らねばならんのは、どうやらオレらしい」
「テルガー殿……」
 彼にとっては本当に間の悪いことだったろう。たまたま女にふられて自棄酒を呑み居眠りをしてしまったために、上官に弱味を握られ、近衛兵としてはあるまじき行為に加担することになってしまったのだから。
「……ところで、おまえ、わりとしおらしいところがあるんだな」
「は?」
「噂じゃ、なんだ、えらく気が強くて、とっつきにくくて、それから……そうだ、間違えて女に生まれてしまった哀れな男だとか、とにかく酷いことを言われていたから、一体どんな奴かと思っていたんだが」
「はあ……」
(突然、何を言い出したのかと思えば……)
 クレスティナが内心、辟易していると、イスフェルが作業完了を報告に来、彼女は次の指示を出すため、少年たちのところへ戻った。
「……ああいう女も、居て悪いことはないよな」
 テルガーのひどく納得したような呟きを耳にして、イスフェルはただ大きく頷いた。
 十三人もの少年が乗るには狭すぎる馬車になんとか彼らを詰め、クレスティナは御者台に回った。その彼女に、荷台から身を乗り出したセディスが深刻そうに話しかけてきた。
「先生、フゼスマーニ様とエルセン、大丈夫でしょうか?」
「ああ、心配には及ばぬよ。あの御方の武勇は、おぬしらも存じておろう。さぞ逃げ足も速かろうて。さあ、ちゃんと座っておらぬと痛い目に遭うぞ。道ならぬ道を行くのだからな」
 笑いながら言って、セディスを安心させると、クレスティナはテルガーに馬車を出すように頼んだ。内心、彼女も不安ではあったが、かといって、それに怯えてここでじっとしているわけにもいかない。
 ところで、彼らの心配など露知らず、当の二人は結構、事態を楽しんでいた。
「助けて! 助けて!」
 同じことを何度も喚いていたエルセンは、蛇の森の北端まで来たところで追いかけてくる騎影がないことを確認すると、頭上のフゼスマーニを見上げた。
「あの、もう叫ぶのいいですか?」
「おお、もういいぞ。おぬしもなかなかの役者だな」
 男らしく歯を見せながら、フゼスマーニは豪快に笑った。
「賊」の馬術の技量は尋常ならず、サイファエール軍内で俊足を誇る近衛兵でありながら、バハールたちは捕まえるどころか、追いすがることさえ叶わなかったのである。
「さて、そろそろ学院へ戻るか。良い子はとっくに寝ている時間だ」
 淡々と言って、フゼスマーニは南へ馬首を返した。彼自身、本当なら「なぜオレがこんなことまで」とぼやいてもおかしくないのだが、そんなことを言うぐらいなら最初から彼らを助けようとしなければよかったのである。近衛の最優先事項は、なんといっても国王の身命を護ることだが、そのために宮廷を混乱に陥れてもいいというわけではない。今回のことが近衛兵として大罪に当たる行為でも、少年たちを全員、無事に学院に送り返すことができたなら、それこそが王宮の平和を一時的にせよ、守ったことになるというものだ。
「よし、飛ばすぞ。しっかり掴まっておれ」
 天下に武名を轟かせるフゼスマーニの馬に同乗できるなど、後にも先にもこれが最後だろう。フゼスマーニの膝の上から背後へ移ったエルセンは、振り落とされぬよう必死で武人の鍛えられた胴に掴まりながら、夢心地で木々の立ち並ぶ様子を見ていた。

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