The story of Cipherail ― 王都狂騒曲


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 剣術の稽古は一日おきに設けられており、クレスティナは、その都度、王宮から学院まで馬を駆って出かけねばならなかった。しかし、幸い稽古と警備の時間が重なることがなかったので、彼女は誰にも気兼ねすることなく弟子たちのもとへ赴くことができた。
 イスフェルの懸念は、当たったとも外れたとも言い難かった。確かにリデスやその仲間たちの態度には相変わらず棘があり、クレスティナの言は軽んじられる傾向にあったが、それはあくまで彼女が想像した範囲内に止まっており、彼女は内心、杞憂であったかと安堵し始めていた。
 ところが、クレスティナが学院に通い始めて二十日も経とうかという、ある日のこと。毎日ただ打ち合うだけでは面白くなかろうと、クレスティナは稽古を始める前に少年たちを集合させ、近日中に対抗戦を行う旨を発表した。
「対抗戦!?」
 突然のことに、少年たちから驚きの声が上がった。
「いかにも。……ああ、デナード先生の許可はちゃんと得てある。案ずることはない。日程は追って連絡するゆえ――イスフェル」
「はい」
 凛とした声とともにイスフェルが一歩、前に進み出た。彼の毅然とした姿に、クレスティナは軽く微笑んだ。
「今日明日の間に、組をふたつに分けておいてくれぬか?」
 瞬間、少年たちの間に異様な緊迫感が流れた。クレスティナが怪訝そうな顔をした時、その空気を吹き飛ばすかのように、イスフェルの声が響いた。
「わかりました。明後日には報告できるようにしておきます」
「――ああ、頼んだ……」
 何が起こったのかわからなかったが、事を楽観的に考えていたクレスティナは、すぐに気を取り直して、少年たちにそれぞれ稽古を始めるよう指示した。彼女が自分の観察力の未熟さを痛感したのは、その稽古が終わった後のことである。
「組をふたつに分ける必要なんてありませんよ」
 稽古で使われた木刀を片付けながらそう言ったのは、セディスという少年である。不思議に思ったクレスティナが理由を問うと、セディスは仲間の顔を一巡し、最後に師の顔を見上げて、きっぱりと答えた。
「僕たちをふたつに分けるなら、このように分かれるに決まっているからです」
 言いながら、左右の手を大きく広げる。
「………?」
 クレスティナは瞬きした。いまいち彼の言うことが理解できない。その彼女に説明するべく、一番小柄なエルセン少年が口を開いた。
「オレたち、たいてい一緒に行動してるんだ。他の奴らとは、以前から馬が合わなくて」
 それに同調して、何人かの少年がうんうんと頷く。
「他の奴ら――」
 クレスティナは、彼の言葉を反芻して宙を見つめた。この場にいないのは、稽古が終わると同時にさっさと武道場を出ていったリデスの一党である。なんとなく憂鬱になって、クレスティナが首筋を撫でながら物思いに耽っていると、その横で少年たちが騒ぎ始めた。
「知ってるか? リデスたち、昨日も陰でごちゃごちゃ言ってたんだぜ。しつっこいよなあ」
「まったく、あいつらがあんなに馬鹿だとは思わなかったよな。つまんねぇことをいつまでも気にしやがって」
「今さらあんな奴らと組めるかよ。この面子でやろうぜ」
「そうだよ。ちょうど七人、七人だしさ」
 そして少年たちは、揃ってひとりの少年を見ると、彼に賛同を求めた。
「いいだろ、イスフェル」
 それを聞いて、クレスティナはすべてを了解した。彼女をめぐって、彼らの組が真っ二つに分裂していたのである。当然、その頭領は、それぞれリデスとイスフェルであろう。ただ前者はともかく、後者の少年が率先してそう仕向けたとは思わない。
 イスフェルは沈黙していた。藍玉の瞳が、彼が今、複雑な心境であることを雄弁に物語っている。彼は組長として、これ以上、仲間内の和が乱れることを危惧しているのだ。セディスが言ったように分けたとして、どちらが勝っても後日の紛糾の種になるだけである。
 クレスティナは、それを察して、場をまとめるために口を開いた。が、自分が関わっていると知ってしまった以上、大したことは言えない。
「そんなことを言うものではないぞ。今までも、そしてこれからも、同じ苦楽を共に味わっていく仲間ではないか。時には妥協も必要ぞ」
 しかし、少年たちの表情は至って暗かった。クレスティナは小さく溜息をつくと、苦々しく言った。
「……わかった。では、私が力の差を考慮して、公正に分けよう」
 途端、イスフェルが物言いたげに彼女の方を振り向いたが、すぐに視線を反らせてしまった。
 クレスティナは、歯軋りをしたい思いだった。
(なぜ気付かなかったのだ。こんな事になっているとわかっていたら、対抗戦など言い出したりはしなかったのに!)
 自分の存在が彼らの組をバラバラにしたという事実に、クレスティナは喘いだ。
(私などが剣の師範などを引き受けるべきではなかったのかもしれぬ……。身の程を知れという、神の思し召しかもしれぬな。だが、一旦引き受けたことを、途中で放り出すわけにはいかぬ)
 クレスティナが当惑していると、この重い雰囲気を自分の一言が作り出したと思ったのだろう、セディスが取って付けたように明るく言った。
「それで、あの、いつ頃やるんですか?」
「え? ああ……そうだな……」
 内心、このまま対抗戦を行うべきかと逡巡していたクレスティナは、即答を避けた。しかし、どう考えても、いつかはリデスら一党とぶつからなければならないのだ。そうでなければ、事態は何ひとつ変わりはしないのだから。
「……とりあえず、四、五日後だな」
 クレスティナが覚悟を決めてそう言った時、次の稽古の組の少年たちが武道場の外に集まって来、その声が彼女を現実の世界へと引き戻した。
「おぬしら、まだ講義が残っておろう。後は片付けておくゆえ、早く行け」
「でっでも、先生に片付けさせるなんて……」
 異口同音に言い立てる弟子たちの背を、クレスティナは無理矢理に押した。
「仕方あるまい。今日だけの話だ。ほら、早く」
 そこで少年たちは、それぞれの胸中で、これ以上クレスティナに迷惑をかけるべきではないと判断し、速やかに武道場を後にしたのだった。
 わざと少年たちが出ていくのを無視して片付けをしていたクレスティナが、ふと視線を感じて顔を上げると、イスフェルが思いつめた表情で、こちらの様子を窺っていた。最初は笑って声をかけようとも思ったが、それは止めて、代わりに彼を睨みつけた。
「何をしている。さっさと行け。師の命令が聞けぬか」
 組長として組をまとめられなかったことに責任を感じているのだろう、イスフェルの気持ちはよくわかるが、ここで引き留めては、彼のためにも他の少年たちのためにもよくない。
 クレスティナの叱責を受けて、イスフェルは、ようやく武道場を出ていった。


 明くる日の朝、国王との謁見を終え、クレスティナが持ち場に向かおうとした時、不意に背後から呼び止められた。振り向くと、そこには同期のヘルニーが立っている。あまり言葉を交わしたことがないうえ、彼が下卑た笑みを浮かべていたので、クレスティナは警戒した。
「……何だ?」
 彼女の鋭い視線を浴びて、ヘルニーは容易にたじろいだ。
「いや……その、きみ、明日の夜は暇かい?」
「……は?」
 彼の言葉の真意を掴み損ね、クレスティナは反射的に訊き返した。
「――あっ、別に、そんな変な意味じゃなくてだなっ」
 仮にも女性相手に誤解を招くような言い方をしたと思ったのだろう、あたふたと弁解するヘルニーの顔が、見る間に赤く染まっていく。
「じ、実はな、オレ、明日の夜、エノール離宮の警備の当番になっているんだが、ちょっと急用ができてしまって……。それで、だから、つまり……でっ、できれば代わって欲しいなぁと……」
 愛想笑いに揉み手までつけて顔色を窺ってくるヘルニーに、クレスティナは手厳しく答えた。
「おぬし、近衛の仕事を何と心得ておるのだ。陛下をお護りすることよりも大事なことか」
 痛いところを突かれて、ヘルニーは首を竦めた。
「そんなこと言わずに、なっ!? 頼む! このとおりだ!」
 言うなり腰から下げていた剣を一旦、両手で水平に掲げ、それから自分の胸に押し当てる。それは、サイファエールの騎士が相手に敬意を表す、唯一の手段だった。
「都合の悪い時だけ下手に出て……。そのまま土下座でもしたらどうだ」
 そう言いたいのをぐっと堪え、クレスティナは静かに溜息をついた。
 彼女は知っていた。彼もまた、学院時代に彼女を妬み、裏で色々と画策していた一味のひとりだったのだ。しかし、あれから時は流れた。いつまでも根に持っていても仕方がない。
「……わかった。その代わり、明後日の私の夜警には忘れずに出てくれよ。南の薔薇門だ」
「恩に着るぜ」
 ヘルニーは嬉しそうに顔を輝かせると、半ば小踊りしながらクレスティナのもとを去っていった。
「急用ね……。なにやら妖しい香りのすることよ」
 柱の陰で、大して面白くもなさそうにぼやくクレスティナであった。


「夜警、ですか?」
 身長の二倍はあろうかという大きな地図の巻物を地面に降ろしながら、イスフェルが言った。
「ああ。それでな、普段と違う場所なので、明るいうちに一度、下見をしておきたいのだ。だから、申し訳ないが明日は来れぬゆえ、図書館にでも行って見聞を広めるよう、他の者にも伝えておいてくれ」
 その日の昼、食事を抜いて学院へ馬を飛ばしたクレスティナは、地理の講義の後片付けをしていたイスフェルを捕まえると、早口で今朝の一件について告げた。すると、彼と共に在った少年たちが、口々に愚痴を漏らし始めた。
「嘘だろ。何てことだ……!」
「誰だよ、そのふざけた奴」
「こうなりゃ仮病を使って、明日はもうまるごと講義を休んでやる。誰もオレを止めてくれるな!」
「誰も止めねえよっ」
 ひとりはうなだれ、またひとりは手で顔を覆う。しまいには、そこら中を奇声を上げて走り回ったり、仲間同士で首の絞め合いまで始めてしまった。
 狂人同様の少年たちの反応に、クレスティナは呆気に取られ、それから頭を掻いた。
「おぬしら……。学院を道場と取り違えておるのではないか? 身体だけでなく頭脳も鍛えねば、幾ら強靭な肉体を持ったとしても、戦には勝てぬのだぞ。ましてや文官などには到底なれぬ」
 半ば変人を見るような目つきでクレスティナが言うと、セディスが思いきり首を振って弁解した。
「明日は最も嫌いな講義が並ぶ日なのです。まず寝起きの頭を再び夢の世界へ誘うバンフル先生の天文学。その次に夜より熟睡できるティデュア先生の宗教史。それから、賑やかすぎて逆に何を言っているか解らないアリト先生のレイスターリア語学」
「はあ……」
 いかにも彼らが嫌いそうな講義が列挙され、クレスティナは小指の爪ほどの余地で同情した。
「それなのに、唯一の楽しみが図書館で自習だなんてっ!」
 再び少年たちは足を踏み鳴らして喚いた。
「僕たちは馬鹿ですから、動かないと逆に頭がおかしくなるんです。対抗戦もあることですし、先生がいなくても稽古をしてはいけませんか?」
 滅茶苦茶な理論を展開して、セディスは哀願するような目つきでクレスティナを見上げた。他の少年たちもそれに続く。しかし、師の返事は至って明快であった。
「駄目」
「えーっ! 何で!?」
 一斉に抗議の声を上げる少年たちに、クレスティナは意地悪く笑って言った。
「それが解らぬようでは、まだおぬしらも子どもということだ」
「げえー」
「ちぇっ。クレスティナ殿なら解ってくれると思ったのに」
 瞬間、彼女の怒声が飛んだ。彼女の任務は彼らを鍛えることであって、甘やかすことではない。
「よいか! また何時、他国と戦争になるやもしれぬのに、重要な戦力であるおぬしらがそんな調子でどうする! おぬしらがやらねば、この国は亡んでしまうのだぞ! わかったら、さっさと教室に戻れっ!」
 あまり独創性のない言葉だったが、少年たちは、自分たちを重要な戦力と言われて有頂天になった。
「そうだな。よし、たまには自主学習というものをしてみるか。今日の講義はもう終わったし」
「予習という策もあるぞ」
「オレは、とりあえず復習だな。今日は半分、寝ていたから」
「自主学習に予習に復習か。まるで異国語のようだ」
 少年たちは、脳裏にそれぞれの勇姿を思い浮かべて変な忍び笑いを漏らすと、一目散に寮へと帰っていった。

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