The story of Cipherail ― 王都狂騒曲

王都狂騒曲


     1

 枯れ落ちた葉もろとも、王宮の回廊を白い風が吹き抜けていく。氷の棘を孕んだようなそれは、容赦なく人々を突き刺し、厚い扉の奥へと追い立てた。
「冬将軍の咆哮か、はたまた雪の女王のいびり声か……」
 手で腕を擦りながら、向かい側の宮殿の窓が一斉にガタガタと揺れるのを見て、クレスティナは意地の悪い独り言を漏らした。
 宮廷に出仕するようになって、ちょうど十か月目のことである。近衛兵団に配属が決まった彼女は、初日から新参者らしく、王の私室から一番離れた場所の警備を言い渡された。以来、毎朝の謁見と隔日の軍事演習以外の時間を、クレスティナは独り、人気のない廊下の突き当たりで過ごしていた。
「これといった話し相手が草木では、武人ではなく詩人になってしまう。学院で学び覚えたことも、無に帰すというものだ」
 紅蓮の瞳を細めながら、クレスティナは内心、舌打ちした。彼女は別に血を欲しているというわけではないから、好んで主君を危険にさらそうなどとは思っていないのだが、このまま平々凡々とした生活を送るのも、いささか望外であった。
 クレスティナは、この世に女として生を受けた。普通、貴族の姫君とは、美しい衣や宝石で身を飾り、物腰優雅に、館の奥から簡単には姿を現さないものである。それにもかかわらず、いま彼女は、国王護衛の精鋭部隊の一員として、革の胸甲を身につけ、矢筒を背負い、肩から剣を吊るすという出で立ちで、この物寂しい場所にある。
 やっと腰にまで達したという黒髪を項が見えるまでバッサリと切ったのは、まだ八歳の時分だった。戦争に行った父親が還らぬ人となったのだ。クレスティナには病弱な姉の他に兄弟がいなかったので、彼女が家督を継ぐことになり、それからは何時も男として扱われた。
 もともと気丈な性格であった彼女は、十二歳になって王立学院に入ってからも、物怖じすることなく他の貴族の子弟らと共に勉学に勤しみ、また武芸を身につけた。しかし、負けず嫌いな性格が功を奏して彼女の成績が上がるにつれ、次第に周囲の風当たりが強くなっていった。それは、女なのだからと半ば同情的な目で見ていた者たちが、クレスティナに先行されることにより、女以下であるという自分たちの実力に、不安と焦りと苛立ちとを隠せなくなったからだ。しかし、彼女にしてみれば、共に机を並べて学ぶ仲間から、女というだけで陰口を叩かれるのは、屈辱の極みだった。それが自分より劣っているにしても、何の努力もしていない相手なら、尚更である。そんなものは僻みのほか、なにものでもないのだから。
 六年に及ぶ学院生活の間、常に優秀な成績を修めたクレスティナは、出仕するにあたり、騎士であった父の誇りを継ぎたいと思い、文官より武官になることを選んだのだった。
 しかし、寒空の下、これといってすることもなく、風の猛攻にさらされてばかりいては、多少なりとも自分の身上に感慨が生じるというものだ。男となることに異議を唱えたり、この道を選んだことに後悔したことのないクレスティナだが、もし女として成人していたら、一体どうなっていただろう。
 ……いや、そんなものは考えるまでもない。屋敷の奥で母親に厳しく育てられ、年頃になれば釣り合う貴族の子息と結婚し、子を産み育て、夫や息子に仕え、決して表に出ることなく生涯を終えるのだ。それはそれで幸せであろうが、それだけでは物足りぬと思うのは、彼女が男の熱く激しい生き方を知ってしまったからだろうか。
 そんなことを考えながら、クレスティナが首筋を切りつける風刃に耐えかねて紫紺の上着の襟を立てた時、回廊と庭を隔てる白塀の向こう側を、ひとりの少年が通り過ぎた。
 クレスティナが見たことのない少年は、この時節には合わぬ暖かい麦藁色の髪を風に弄ばれながら、庭先を王の部屋の方へと歩んで行く。
「待て! おぬし、一体どこへ行くつもりだ!」
 言うが早いか、クレスティナは一気に白塀を飛び越え、少年の後を追った。
 今の国王に王子はいない。王弟には息子がいるが、クレスティナは、その者の顔を知っているので、間違えるはずはない。
「ここより先は、国王陛下のお住まいである。陛下のお許しのない限り、どんなに名のある貴族の者でも、立ち入ることは許されぬ。それを、このような裏道から侵そうとするは、如何なる理由あってのことか」
 剣の柄に手をかけながら、クレスティナが少年の前に立ちはだかって問うと、少年は澄んだ藍玉の瞳を大きく見開いた。
「陛下の? それは本当ですか?」
 あどけないながらも美しく整った少年の顔と、そのしっかりとした口調に、クレスティナは一瞬、目と耳を奪われたが、すぐさま切り返した。
 数代前の王が、近衛兵団の隙を突かれ、ただの子供に暗殺されたことがある。新人だからといって、失敗は許されないのだ。ただでさえ彼女は同僚の反感を買いやすいので、そんなことにはかまっていられない。
「このようなことで嘘をついたりはせぬ。おぬし、ここへ何しに来た」
 すると、少年は困惑したような表情を浮かべた。しばらくの間、自分が歩いて来た道を振り返って見ていたが、不意にクレスティナに向き直ると、意を決したように口を開いた。
「申し訳ありません。本当は射場へ行こうとしていたのですが、なにぶん、あまりこちらに参ったことがございませんので、どこかで道を違えてしまったようです。決して暗い考えなど持っておりませんので、このままお許し願えないでしょうか」
 見たところ、十二、三といった年の頃であろうか。だが、その順を追った礼儀正しい話し方は、熟練した政治家に勝るとも劣らぬものだった。いや、白絹の衣に、複雑な刺繍の施された青い外套という身なりからして、名門の貴公子であることは一目瞭然であったから、彼女のような見るからの下士官に対しても年下として敬意を払うあたり、それ以上かもしれぬ。
「……わかった。帯剣しているわけでもなし、今日のところは無罪放免と致そう。なれど、二度と迂闊にこちらに立ち入らぬようにな」
 内心感嘆しながらクレスティナが諌めると、少年は、その秀麗な顔をほころばせて、丁寧に一礼した。
「それで、射場へはどう行けば宜しいのでしょうか?」
 そこでクレスティナは、目印になるような建築物の特徴を幾つか挙げて道順を説明すると、ふと最後に付け足した。
「おぬし、名を何と申す?」
 すると、礼を言って行きかけていた少年は、任務に忠実な番人をまっすぐと見返した。
「イスフェルと申します」
 そして、吹きすさぶ風の中、颯爽と射場へ向かったのだった。
「イスフェル……」
 その響きのよい名を、クレスティナは口の中で小さく呟くと、ぼんやりと少年の後ろ姿を見送った。
 どこかで聞いたような、また聞かないような名であった。


 それから半月後のことである。
 出仕の後、所用があって、クレスティナは懐かしの学び舎を訪ねた。すると、彼女の剣術の恩師が連日の寒さで体調を崩しており、当分の間、その弟子たちを見てもらいたいと請われた。先達が後続にものを教えることは道理であったし、同じサイファエールの騎士として、いずれ共に戦場に赴く身であろうからと、クレスティナは快く承諾したのだった。
 曇り空の下、クレスティナが武道場に足を運ぶと、十数人の少年たちが棒を片手に私語に夢中になっていた。声をかけると、少年たちは一斉におしゃべりを止め、驚きと不審の入り交じったような目で、彼女を見つめてきた。
 手短に自分がここに来た経緯を説明すると、クレスティナは早速、壁に掛けてあった少年たちの物より少し長めの棒を手にし、彼らに向き直った。
「おぬしらには臨時で悪いが、少しは役に立てると思う。同じ師を得たのも何かの縁ゆえ、デナード先生が元気になられるまでは、私で我慢してくれ」
 ところが、ここにもひねくれ者がいた。
「まったく、騎士の命たる剣の扱いを、女に習うなんてな……」
 決して大きな声だったわけではないが、クレスティナの最も忌み嫌う言葉は、模擬剣の打ち交わされる中、まっすぐと彼女の耳に届いた。年下相手に大声を出すほど狭量ではないので、その時は素知らぬ振りをしたクレスティナだが、次の言葉は強烈だった。
「兄上が言ってたのを聞いたことがある。あいつ、出仕するのは一族のためだって言ってるけど、本当は名高い御方に取り入って結婚してもらうためなんだってさ」
 瞬間、クレスティナは、自分の体内の血が一気に逆流するような感覚に陥った。
(わ、私を娼婦と言うか……!)
 悔しさのあまり、クレスティナは、その唇が紫になるほど強く噛みしめた。
(私がいったい何をしたというのだ。どうして初対面の子どもに、そのように愚弄されねばならぬ!?)
 ただでさえ孤独な日々を送っていたクレスティナは、すべてを投げ出したいような衝動に駆られて、微かに震えながら顔を上げた。
 その時だった。凄まじい音がして、彼女の左側で手合わせをしていた少年たちのうち、ひとりの棒が折れ飛んだ。はっとしてクレスティナがそちらに目を遣ると、棒を折られてひっくり返った相手を助け起こす、ひとりの少年の姿があった。その腕前に皆が息を飲んで注目する中、少年は自分の棒を相手の少年に渡してやりながら、何気なく口を開いた。
「リデスにオレンズ、噂だけで人を判断するのは止めろよ」
 クレスティナは驚愕した。この少年はあんなに激しく打ち合いながらも、背後の小声を聴き取っていたのだ。しかも彼は多分、クレスティナの堪忍袋の緒が切れる寸前を見計らって行動を起こし、彼女を浅慮から救った。
「なんだよ、イスフェル」
 先刻、クレスティナに見事な無礼を施した少年のひとりが、不服そうに言い返した。
「おまえは何とも思わないのかよ。女に剣の教えを請うたと知れれば、とんだ笑い者だぞ」
 すると、イスフェルと呼ばれた少年は静かに振り返り、穏やかな口調で数人先の仲間に語りかけた。
 周囲の少年たちの殆どは、彼らの対立の背景を理解していなかったので、ただその場に立ちすくむだけである。
「リデス。オレは笑い者になりたくないから、彼女に教えを請うんだよ」
 言いながら、彼は、ちらっとクレスティナの方を見た。
 秀麗な面差しに、優しい光をたたえた藍玉の瞳。クレスティナは、半月前の風の強かった日に、彼と会っていたことを思い出した。
「……どういう意味だよ」
 リデス少年が不満たっぷりに尋ねると、イスフェルは、なぜか誇らしげに胸を反らせた。
「以前、オレは、クレスティナ殿にお会いしたことがあるんだ。真面目に御自分の任務を果たされていて、親切にもしていただいた。学院長にお聞きしたら、女性ながら武芸にも学問にも秀でていて、この学院でも指折りの優等生だったとおっしゃっていた。多くの優れた御方を育てられた学院長が、声高らかにお誉めになる方に教えていただけるなんて、光栄なことだと思わないか?」
 クレスティナとしては、またもや彼の小気味よい話し振りに唸らされることとなった。自分のことが話題であるのはいささか気恥ずかしいが、公明な人物が誉めあげたものを、貧弱な理由しか持たぬリデスが否定できるはずもない。もしできたとしても、今度は優れたものを見分けることのできぬ愚か者という不名誉を受けることになる。
 案の定、リデスは反論することができず、イスフェルは見事にその場を収めてみせたのだった。
 帰り際、クレスティナがイスフェルに声をかけると、彼は嬉しそうに藍玉の瞳を輝かせて、彼女のもとにやってきた。
「その……さっきは、ありがとう」
 クレスティナが吃りながら礼を言うと、少年は人懐っこい笑顔を浮かべ、首を振った。
「私はただ、組長としての責任を果たしただけです。この間の貴女のように」
「おぬしが組長なのか?」
 訊き返しながらも、そうする自分が馬鹿々々しく思えた。彼以外の誰が、組たるものを統べるのに相応しいというのだろう。
「私でもお役に立てることがありましたら、何でもおっしゃって下さい」
「おぬしは本当にしっかりしているな」
 クレスティナが腕組みをしながら感嘆すると、少年は少し恥ずかしそうに俯いた。
「……それにしても、威勢のいい少年だったな。あそこまではっきりと言われたのは初めてだ」
 クレスティナは、苦笑しながら天井を仰いだ。
(腹も立つが、私もいい加減、気にするのは止めにせねばなぁ……)
 一方、彼女の言を深刻に受け止めたらしく、イスフェルは眉根を寄せながら呟いた。
「リデスは、きっとまた何かしてくると思います。あれで結構、根性がありますから……」
 言って、寂しそうに笑う少年に、クレスティナは小首を傾げたが、口に出しては何も訊かなかった。
「私は彼のことが好きです。あんなふうだけど、悪い人間ではないし……。彼を許してやって下さいますか?」
 人間、なかなか言えるようで言えない台詞を、イスフェルは、いとも簡単に口にする。よほど心根の清らかな少年なのだろう。
 イスフェルの言葉に、クレスティナは大きく頷くと、もう一度、礼を言って、彼と別れた。

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