Another Graduation


     Prologue

「さーて、みんな入れたよな」
「おう! 埋めようぜ」
「ほら、ケイチ、スコップ持って!」
「はいはい」
「『はい』は一回!」
「カオルちゃん、お母さんみたーい」
「ババアだろ」
「ケイチ!!」
「ねえねえ、結局さあ」
「なあに、リカ?」
「このカプセル、いつ開けるの?」
「………」
「――じゃあさ、二十五歳の春っていうのは?」
「なんで二十五歳?」
「この間、テレビでカプセル開けてた人たちがそうだったんだ」
「ふーん。いいんじゃない?」
「でもよー。二十五っていったら、あと十三年もあるぜ」
「今までの人生プラス一年だよー」
「なげえー!!」
「私たちの二十五歳ってどんなかなー」
「社会に出て疲れてるんじゃねえの? オレの兄ちゃん、まさに今」
「やめてよ。私はバリバリのキャリアウーマンになるんだから」
「カオルはそんなカンジだね」
「ギンジくんはおうちの酒屋さん継ぐの?」
「やめてくれよ。オレは絶対に継がねー!」
「よーし、埋葬終了!」
「埋葬って……」
「わー、十三年後が楽しみ!」
「そうかあ?」
「そりゃ今は何を入れたか憶えてるけど、十三年も経てば忘れてるよ、きっと」
「さーて、帰ろうぜ」
「今度会うのは入学式かあ?」
「制服買いに行かなきゃ!」
「きゃー、桜キレーイ!」

 ……そして十三年後、私たちは二十五歳になった。
 あの日、校庭の片隅に埋めた物を、私は未だに憶えている。

     1

『えー、高ノ瀬小で一緒だった銀山かなやま雄士です。久しぶり……憶えてますか? 実家のおばさんに電話番号聞きました。えー、この間、ケイチ……伊藤敬一と会って、そろそろアレを掘り出さないとなという話になったんですが、どうでしょうか。連絡待っています。それでは……』
 久しぶりに入っていた留守電には、それは久しぶりに聞く声が入っていた。
(そっか、二十五の春って言ってたもんなあ……)
 私は受話器を取り、
「……あれ?」
 そして溜息をついた。
「ギンジのバカ……。電話番号、わかんないじゃん……」


 私、荒巻あらまきかおる。三日前の三月三日に、二十五歳になったばかり。
『ひなまつりに生まれたんなら、もっと女らしくしろっ』
 これはケイチの言だったか、ギンジの言だったか。
 私の母校、S町立高ノ瀬小学校は、村立じゃないかというほど山奥にあり、四年前、少子化の影響で廃校となった。
 卒業前、最後の席替えで同じ班になった私たち――私とリカ、はるか、ギンジ、ケイチ、そして雨宮あまみやの六人は、とても仲が良かった。雨宮の提案で、タイムカプセルを埋めることにした私たちは、卒業式の日の夕方、人気のなくなった校庭の端に穴を掘り、それぞれ思い入れのある物を埋めた。二十五歳の春、掘り出そうという約束をして……。
 呼び出し音がワンコールも鳴り終わらないうちに、受話器は取られた。
『――毎度ありがとうございます。銀山酒店です』
「あっあの、雄士くんと同じ小学校だった荒巻と申しますが――」
『おお、カオルか!』
「……ギンジ?」
『おー、久しぶりだなー。元気かあ?』
 変わらない、あっけらかんとした口調に、私は心なしかホッとした。
「うん……ちょっと、あんた、電話番号ぐらい残しておきなさいよ。調べるの大変だったのよ」
『あ? 言ってなかったっけ? それより一人暮らしなんだろ? ナンバーディスプレイにしとけよ』
「うるさいわね。家の電話は滅多に使わないからいいの」
 子機での電話は、なぜかノイズが多い。私はベッドから立ち上がると、窓側に移動した。
「ところで、例の件だけど……」
『ああ、そう、タイムカプセル。確か、この春だったよなー?』
「あんたたちのデキの悪い頭にしては、よく憶えてたわね」
『うるせ。おまえ、口の悪いとこ、全然変わってねえなあ』
 痛いところを突かれて、私は思わずむっとした。
「うるさいわね。それで、私はリカとはるかに連絡取ればいいの?」
『連絡先わかるか?』
「うん、年賀状のやりとりしてるから。そうそう、はるか、二年前に結婚したのよ。今は一児の母」
『あー、井上は家庭的だったからなー。誰かさんと違って』
「ホントうるさいわね」
 昔のことを知られているというのは、ある意味、悲劇かもしれない。五年生の家庭科の授業で、調理実習に使うエプロンを自分たちで作ったことがあった。その時、私は布の上下を間違って裁ってしまい、お気に入りのキャラクターに逆立ちをさせてしまったのだ。ギンジは椅子から転げ落ちるほど爆笑し、以来、何かにつけてそれを引き合いに出したものだった。今は一人暮らしをしているから、家事一般はできるようになったけど、やっぱりどこか苦手意識は拭えないでいる。
『ところでさー、おまえ、あっくんの連絡先知らねえか?』
「え? 雨宮の?」
 少し、心臓がドキッとした。
『あいつさあ、中二の時、引っ越したろ? それからさらに二回引っ越してるらしいんだよ』
「えー?」
 言いながら、雨宮の家が転勤族だったことを思い出していた。四年の二学期に引っ越してきて以来、高ノ瀬に四年いられたのは、お父さんが単身で海外を転々としていたかららしい。
『ヘタしたら海外だぜ? 今、オレとケイチとで調べてるんだけど、もしかしたら連絡取れねえかも』
「そんな……」
『向こうから連絡してこねえかなあ』
 他力本願なことを口走るギンジに、私はおそるおそる声をかけた。
「も、もし……」
『ん?』
「もし連絡が取れなかったら、カプセル、どうする? 開けちゃうの?」
『それなんだよなー。どうする?』
「どうするって、開けられないよ、そんな……。あれはもともと雨宮の案だったんだし」
 二十人で埋めて来られない人がいるなら仕方ないとしても、たった六人で、しかもステキな思い出の機会を与えてくれた本人がいないのに、封印を解くわけにはいかない。
『だけどよ、今、行方不明ってことは、これからずっと行方不明ってことだぜ?』
「とにかく、もう少し探してみてよ」
『そのつもりだけどよ。――ああ、おまえさ、仕事、土曜休み?』
「隔週だけどね。今月は……今週と再来週、かな」
 私の仕事はいわゆる『営業』だから、平日は残業ばかりで帰って寝るだけという日も多いけど、その分、土日はしっかりと休みを確保してもらえているので有り難い。
『じゃあさ、とりあえず再来週の二十三、二十四日ってことでどうかな?』
「うん、わかった」
『よし、じゃあまた連絡すっから』
「オッケイ。電話、ありがとね」
『いや。じゃ、おやすみ』
 切るなり、私は溜息をついた。五人だけでタイムカプセルを開けてしまうことに抵抗を感じるのは、雨宮が提案者だったからという理由だけではなかった。
 私は鞄の中からケータイを取り出すと、アドレス帳の中からリカの名前を選択した。


 幸いリカとはるかにはすぐ連絡がついた。都内でOLをしているリカからは快諾を得たものの、意外にも主婦のはるかが即答を避けた。
『ケンを預けないといけないから、親の都合を訊かないと……』
 独り身の気楽さで、リカと二十三日の夜は近くの温泉に泊まろうなどと盛り上がっていただけに、その言葉はずしりと響いた。けれど、それから三十分もしないうちにかかってきた電話には、最初の第一声から久しぶりに家事と育児から解放されるという喜びが滲み出ていて、返答を聞くまでもなかった。
(――ギンジ、雨宮にまだ連絡つかないのかな……)
 しとしとと雨が降る中、会社の近くのカフェで昼食を取りながら、私はふと思った。再会は今週末に迫っているというのに、あれから雨宮に関する連絡は一向にない。
(リカも言ってたけど、無理に開けることないよね。六人ちゃんと揃ってからで……)
 その時、机の上でケータイが震えだした。着信が覚えのない番号だったので、一瞬、出ようかどうか迷う。けど、一度切れた後、またすぐにかかってきたので、仕方なく通話ボタンを押した。
「――はい」
『……荒巻?』
 聞いたことのない声に、私は首を傾げた。
「あの、どちら様ですか?」
『オレ、雨宮、だけど、えーと……久しぶり』
「えっ!?」
 驚いた拍子に、コップを倒してしまった。まだ半分くらいあった中身がトレーの中に水たまりをつくる。
「あ、雨宮って、雨宮!?」
 なんで彼がいきなり私のケータイに電話してくるのか、そもそも雨宮が見付かったなんて聞いてなかったので、私は不意打ちを喰らって思わず動揺してしまった。
『うん。多分、きみの言う雨宮だと思う』
「どうして、この番号……」
『ギンジから聞いたんだ。一昨日――というか昨日、あいつから電話もらってさ。驚いたのなんのって――あ。荒巻、働いてるんだったよね。今、大丈夫?』
「うん。今、お昼休みだから……」
『ああ、良かった。まあ一応、それを狙ってかけてみたんだけど』
「雨宮は今、何してるの?」
『働いてるんだったよね』という言葉が気になって、私は尋ねてみた。
『うーん、なんだろう。語学留学、かな。でももう大学は卒業したから、なんだ……そっちでいう、フリーターってやつかな』
 嫌な予感がした。
「……雨宮、今どこにいるの?」
『L.A.。あれ? ギンジから何も聞いてない?』
 私は息を呑んで、その分、大きな溜息をついた。
「うん、まあ……。じゃあ、二十三日は無理なんだ?」
『いや、行くよ』
 あんまりあっさりとした返事だったので、私は聞き逃してしまった。
「え……ごめん、もう一度言って」
『だから、行くよ』
 交通費だけでも二十万くらいかかるだろうに、一週間前に言われて急にそんな大金をフリーターが捻出できるのかと思っていたら、何のことはない、飛行機を多用する父兄のマイルが貯まりに貯まっているらしかった。
『言い出したのはオレなのにさ、すっかり忘れてて……。ギンジとかにすごい探させたみたいだな』
「あ、うん、そうみたい……」
『でさ、電話したのは、荒巻に頼みがあって』
「え、頼み?」
『オレ、行けると言っても、二十三日じゃなくて二十四日なんだ。で、二十五日にはすぐにこっちに帰らないといけなくて、高ノ瀬まで行ってる時間がないんだ』
「そうなの……」
 日米間でとんぼ帰りなんて。でも、それでも帰ってこようとしてくれる彼の気持ちが嬉しかった。
『だからさ、カプセル掘り起こすのは二十三日に五人でやってくれよ』
「いいの?」
『仕方ないさ。それで……』
 突然、雨宮の声が小さくなった。
「え、なに? 聞こえない」
『あのさ、オレが埋めた物、掘り起こしても絶対に開けないで欲しいんだ』
「え、うん、わかった……」
 雨宮の困ったような声に、私は流されるように頷いた。
『一応、ギンジにも言ったんだけど、あいつとケイチじゃ何か心配で』
 雨宮も私と同じで、十三年間、入れた物を憶えていたらしい。
「なに、なんか見られたら困るものでも入れたの?」
『……まあ、そんなとこ。頼むよ』
「ふふ、わかったわよ。じゃあ、二十四日に」
『ああ。じゃあ、また』
 そうして十年振りに聞く雨宮の声は途切れた。

     2

「うわー! 下、谷になってるー!」
 リカが手すりから身を乗り出して歓声を上げた。
「桜、キレイねえ……」
 はるかも、ピンク色に染まった対岸を嬉しそうに見ている。
 高ノ瀬は田舎だけど、毎年、紅葉と桜がとっても綺麗で、ここが故郷であることを私はとても誇りに思っていた。
「ふんふんふん。私の人脈をもってすれば、シーズン真っ直中の高級お宿もこのとおりよ」
 私が自慢げに背筋を反らすと、ベランダではしゃいでいた二人は意味ありげに顔を見合わせ、なぜかにやりと笑った。
「どーせ綿垣先輩にネダったんでしょー?」
「先輩、カオルちゃんにゾッコンだったもんねー」
「なっ、何言うのよ、二人とも! そんなワケないでしょ!!」
 綿垣先輩というのは、私が高校の時に付き合っていたひとつ年上の先輩で、この旅館の跡取り息子だ。今は修行のため、都内でホテルマンとして働いているらしい。そして私は、大学時代、休みで帰省するたびに、この旅館で仲居のバイトをしていたのだった。
「前、女将さんにカプセル埋めたの話したことがあったの。女将さん、それを憶えててくれて、わざわざ部屋空けてくれてたのよ。もう、バカなこと言ってないで、ちゃんと後でお礼言ってよ」
「はーい」
 そして二人は爆笑した。


 翌朝、私たちは身支度を整えると、約束の十時になるのを待って、旅館の表に出た。
「うわー、ちょっとだけ二日酔いかもー」
 リカが大げさに頭を揺らせる。夕食の膳には山の幸がふんだんに使われていて、お酒がとても進んだのだ。そう、私たちは、いつの間にかお酒がわかる年齢になっていた。
「でも、とっても楽しかったね! リカちゃん、卒業アルバムまで持ってくるんだもん」
 そういうはるかは少し寝不足気味に見えた。久しぶりに三人揃ったこともあって、写真を見ながらの昔話は本当に楽しかった。
「だって、あの悪ガキどもがどれだけオジサンになったか確かめなきゃと思って!」
「きっと向こうは、私たちがどれだけオバサンになったかと思ってるわよ」
「言えてるー」
 私たちが笑い合っていると、道の向こうから男の人が二人、歩いてくるのが見えた。
「えー、ちょっと、あれ、ギンジじゃない?」
 雨宮は中学校でいなくなってしまったし、残された五人も高校は見事にバラバラだった。それでもリカとはるかとはそれなりに連絡を取っていたけど、男連中とまともに会うのは中学卒業以来、実に十年振りだった。
「じゃあ、あれがケイチ?」
 私たちはじっと二人を見つめると、近所迷惑なほど大きな声で笑った。
「全然変わってなーい!!」
「なんだよ、おまえらー」
 旅館の前に辿り着いたギンジとケイチは、私たち三人を見てふてくされたように笑った。
「おまえらだって変わってないじゃないか」
「いーや、変わったね。この化粧の濃さを見ろ。もう素肌じゃいられないんだよ」
 昔からイヤミの得意だったケイチが、イヤミったらしく分析する。
「ちょっとよく考えなさいよ。二十五の女が化粧ひとつせずに歩いてるほうがおかしいでしょうが」
 リカがわかるようなわからないようなことを言う。もっとも、彼女が化粧をするのは、会社のためでもある。彼女は化粧品メーカーの事務をしていて、社内モニタに参加しているのだ。
 ふいにはるかがひとり吹き出した。みんなが怪訝そうに見ると、彼女はおかしそうに言った。
「なんか、不思議だなーと思って」
「不思議?」
「だって、十年振りの再会に、この旅館の前で化粧のことで言い合いするなんて、十二の私たちの誰が想像した?」
「……確かに」
 私たちは顔を見合わせると、右腕をぶつけあった。六年二組三学期四班の習わしだった。
「久しぶり!!」
 それから私たちは、昔の通学路をゆっくりと歩いて、今は廃校となった学舎まなびやに向かった。
「えー、じゃあ、今の子たちは、松郷小学校に通ってるんだー」
「あっちも潰れそうな校舎だったけど、合併したおかげで鉄筋校舎になったんだぜ」
「さすが酒屋の若旦那。詳しいわねー」
「へー、ケイチ、今、町役場にいるんだー」
「おう。この不況に強い公務員だぜ。といっても、やっぱり給料カットがあるけどな」
「なーんか女の方が都会で働いてるね」
「あっ、このザクロの木! よく勝手に取って食べたっけ」
 近況報告や同級生の行方なんかを話していると、その道のりはあっという間だった。
「こんなに近かったっけー?」
 閉ざされた門を見て、私は首を傾げた。私の実家は学区の境界にあって、毎日通学するのが大変だった。
「わあ、懐かしーい!!」
「うへっ。なんだ、こんなに小さかったっけ?」
 校庭や校舎を見晴るかし、みんな思い思いに感想を述べる。門は錆び付いて動かなかったので、私たちは無理矢理よじ登った。
「はるか、大丈夫?」
 ひとりだけスカートをはいていたはるかを振り返ると、彼女は裾をまとめて門に足をかけていた。
「大丈夫よ。スカート、最近ずっとはいてなかったから着てきたんだけど、やっぱりズボンにすればよかった」
「ケンくん?」
「そう! もう、ひと口食べたらテレビ観て、ひと口食べたらブルーレンジャーのおもちゃを取りに行って。だから、スカートなんかタンスの肥やしなの。――わあ、あの丸時計、懐かしい!」
 門から降りるなり、はるかには珍しく興奮したように叫んだ。
「ホント、なんにも、変わってないね……」
 山に囲まれた草だらけの校庭、水色のペンキがはげかけた校舎、その二階の真ん中で校庭を見下ろす丸時計、水のかけ合いをして怒られた手洗い場、校長先生いわく『鶯張り』の白い体育館――。
 私たちは春にまどろんでいるかのような校内をひとしきり探検すると、いよいよ校庭の隅に向かった。
「ねえ、埋めたところ憶えてる? この間、テレビで、埋めたところがわからなくなって、外国の人にダウジングで探してもらってる人たちがいたよ」
「そんなバカな!」
 ケイチがバカにしたように笑う。でも、私も実は詳しく憶えていなかった。
「えー、私、ここ辺だった、ぐらいしか憶えてない……」
「あ、私も」
 私の言葉にリカが頷き、さらにはるかとギンジまでが頷く。
「うっそだろ。オレだけ!?」
 驚き顔のケイチに、ギンジが倉庫から拝借した大きなショベルを差し出した。
「後は任せた」
「肉体労働はおまえの専門だろうがっ」
 ケイチはぶつぶつ言いながら、それでも端から二本目の木の下を掘り始めた。しばらくは一緒に小さなスコップで土を掻き出していた私たちだけど、なかなかカプセルが出てこないので、飽きてしまってそばの木の下に腰を下ろした。リカとはるかは転がっていたボールで遊び始める。
「あっくんから電話あった?」
 ふいにギンジが話しかけてき、私はただ頷いた。
「ロスだって。驚いたわ」
「オレ、あいつの電話番号、あいつの高校の時の担任から聞いたんだぜ。今すぐ探偵になれるなって言われた」
「ご苦労様でした」
 私が頭を下げると、ギンジは気味が悪そうに笑った。
「おまえにしちゃ殊勝な態度だなあ」
「なによそれ。もう二度としない」
「悪い悪い。でも、あいつ、カプセルに何入れたんだろうなー」
 そう言えば、わざわざ電話してきたのは、彼の分を開けないように、と伝えるためだった。
「うーん。見られちゃ……困るものだよね?」
「あっくんにそんなものあるのか?」
「そうよねー。あんたなら0点のテストとかたくさんありそうだけど、雨宮は頭良かったし、絵もうまかったし、運動もできたし、顔も良かったし、あんたとはホント違うもんねー」
「……おまえ、そこまで言うか?」
「恨みは十倍にして返す主義なの」
 その時、ふいに私たちの頭上が翳った。顔を上げると、汗だくのケイチが恐ろしい顔で私たちを見下ろしていた。
「……はい、手伝います」
 けれど、それから一時間しても、タイムカプセルは出てこなかった。
「腹減ったー!!」
 ギンジが叫び、私たちはくたくたになって校舎に戻ると、まだ少し早かったけど、教室に残っていた小さな椅子に座ってお弁当を食べた。旅館のおかみさんが持たせてくれたお弁当なので、中身はかなり豪華だった。
「ちょっとケイチ、本当に埋めたのあそこなのー?」
 リカがケイチを睨むと、ケイチは私たち全員を睨み返した。
「オレだけを責める気か。おまえらこそ、なんで忘れたりするんだよ」
「でも、絶対あの辺のはずだよねー。穴掘ってる時、木の上から毛虫が落ちてきて気持ち悪かったの憶えてるもの」
「そうそう」
 すると、ギンジが口いっぱいに頬張っていた物を無理矢理飲み込んで、ケータイを取り出した。
「仕方ない。班長に訊こう」
 高ノ瀬まで来られないと言っていたから、日本に着くのも遅いはずだ。だとしたら、まだ飛行機の中なんじゃないだろうか。しかし、雨宮は電話に出た。
「ああ、オレ。今どこー? ……は、K町? 乗る電車を間違えた!?」
「……あいつはもうアメリカ人だ」
 ケイチの言葉にリカとはるかが吹き出した。
「ちゃんと来られるのかー? ……ああ、待ってるけど。あ、それでさ、今そのカプセル掘り出してるんだけどさ、問題が発生し……え、なんでわかったんだ?」
 すると、突然、ギンジは通話口を怒鳴りつけた。
「悪かったな! 『神経衰弱』、今では得意だよ!!」
 そういえば、雨の日だけ許されたトランプゲームで、私たちは誰も雨宮に勝ったことがなかった。
「……はい。四本目ですね。はい、ちゃんと掘り出しておきます。失礼します」
 最後はなぜか丁寧に、ギンジは電話を切った。
「二本目じゃなくて、四本目かー。そう言われたら、そうだったような気がしてきた」
 ケイチが無責任に呟く。
「そうそう、あの時、二組だから二本目にする、四班だから四本目にするって、モメたよねー」
「でもあの時、四本目にしたいって言ったの、ケイチじゃなかったっけ?」
 はるかの言葉に、妙な沈黙が降りる。突然、ケイチが犬のようにがつがつとお弁当を食べ始め、かと思ったら、ショベルを持って校庭に飛び出して行った。
 私たちもそれに続く。再び校庭に出る時、私はギンジを掴まえた。
「なに、雨宮、ここまで来られないんじゃなかったの?」
「ああ、それがな……」
 ギンジはなぜか気の毒そうな表情を浮かべた。
「本当は昨日、あいつの友だちの結婚式で、だから今日の飛行機に乗るつもりだったんだけど、その友だちが前日に婚約解消したんだと」
「ええっ!?」
「新婦の方が二股かけてるのが新郎にバレて、おかげであっくんは昨日の飛行機に乗れたってわけだ」
 さすが離婚大国アメリカ。といっても、まだ結婚するまえか。その別れたカップルには申し訳ないけど、雨宮が高ノ瀬に戻ってこられるのは嬉しかった。
「……そっか、雨宮、来られるんだ……」
「ああ。やっぱ全員揃わないとな」
「良かった……」
 ホッとするのと同時に、私の心臓は早鐘を打ち始めていた。

     3

 私が言葉で他人を傷付けたのは、雨宮が最初だったかもしれない。
『なんで!? もっと人の気持ち、考えなよ!』
 小学校生活最後のバレンタインデーに、雨宮は学年一かわいかった桐ちゃんのチョコレートを受け取らなかった。私と違ってピンクのスカートがよく似合う桐ちゃんは、一月の終わりぐらいから「バレンタインどうしよう」「チョコレートどうしよう」と悩んでいた。その彼女が一生懸命作ったチョコを、雨宮は頑なな態度で拒んだのだ。
『荒巻に言われたくない』
 そう言った雨宮の言葉をとても冷たく感じて、私は思わず唇を噛んだっけ。視線を落として、自分の手提げ鞄の中に雨宮に上げるはずだったチョコレートの包みを見付け、とても苦しかったのを憶えている。――そう、私も桐ちゃんと同じで雨宮のことが好きだったのだ。だから、ギンジやケイチにあげたものよりも丁寧にトリュフを作った。桐ちゃんが断られたんだったら、私のなんか絶対に受け取ってもらえない――そう思った私は、ただ自分が傷付くのが怖くて、桐ちゃんをかばうフリをして、雨宮を責めた。
 他の四人は気付かなかっただろうけど、それから卒業までの一か月、私たち二人の間の空気は、とても気まずいものだった。
「きゃー! 箱! 箱が見えてきた!!」
 にわかにリカが嬉々とした声を上げ、私はスコップで半ばのの字を書いていた手を止めた。今や巨大な穴が木の下に掘られ、そこから出た土が蟻の富士山となって高くそびえている。
「やーれ、さすがに十三年も経つと、無傷じゃいられないかあ?」
 穴の中に片足を突っ込んだギンジが、見えている金属製の箱の角を手でこする。みんなのお小遣いと、親からの多少のカンパで買ったタイムカプセル代わりの金庫は、新品のまま地中に埋められたのだった。
「中身大丈夫かなあ」
 はるかが心配そう言う中、ギンジとケイチが残りの土を掘り出し、カプセルを地上に引っ張り出す。けれど、ビニール袋でぐるぐる巻きにしていただけあって、思ったほど損傷は激しくなかった。
「わー、こんな金庫だったっけー?」
 懐かしそうにカプセルを撫でるリカに、ケイチが得意のイヤミを飛ばす。
「おまえら、これを埋める時だって、あんまり手伝わなかったろ!」
「そんなことどうでもいいよ。早く開けようよ!」
 リカに軽くあしらわれて、ケイチは歯ぎしりしながらも、カプセルを覆うビニールを破り取った。
「さーてさてさて」
 ギンジが揉み手をしながらカプセルの正面に立つ。
「暗証番号は確か卒業年度だったよな。えーっと、今から十三年前って、西暦何年だ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 私は思わず声を上げた。
「開けるのは雨宮が来てからにしようよ。せっかくアメリカからわざわざ来てくれるんだし」
 すると、一瞬でみんなが真顔に戻ったので、私は思わず身を固くした。盛り上がってるところに水を差してしまったのだろうか。けれど、そんな心配は無用だった。
「興奮しすぎて雨宮のことを忘れてたわ」
「オレも。あっくんの入れた物は見ないってことに気を取られてた」
 私たちはカプセルを離れた場所に避けて掘り返した穴を埋め戻すと、木の下に座って雨宮を待った。けれど、校庭の隅にじっと座って校舎を眺めていると、何だか切なくなった。
「……いい学校だったのに、廃校になるなんてね……」
 まだ建物だって充分使える。子どもがいないのは春休みのせいだって言えば、初めて来た人はきっと信じてしまうだろう。
「私、ケンをこんな小学校に通わせたかったな……。都内じゃ絶対に無理」
 はるかもしんみりと呟く。
「オレにはそんな感慨はないなー」
 物寂しい雰囲気が好きではないギンジが、どかっと地面に寝っ転がった。
「この方が、ずっとオレたちの学校でいてもらえるような気がする。まあ、地元に居ながら今日までろくに来なかったけど」
「建物、取り壊しとかにはならないの?」
 心配そうなはるかに、ギンジは首を振った。
「取り壊すにもカネ要るしなー。今、集会所とか老人ホームとか、別のことで使えないか考えてるみたいだぜ。それについてはケイチの方が詳しいぞ」
 確かに、ケイチは町役場に勤めていると言っていた。私たちがケイチを見ると、彼は「まあ、そんなとこ」と短く言った。
「そんなことより、オレは自分のことでいっぱいいっぱいだー!」
 地面に横たわったまま背伸びするギンジに、私はふと首を傾げた。
「そういえばさ、ギンジはどうして銀山酒店の若旦那になってるの? 継がないって散々言ってなかったっけ?」
 すると、ギンジは思い切り眉間にしわを寄せた。
「兄貴がさー、昇進街道まっしぐらのエリートになっちまってさ。家に帰る気ないからおまえが継げってさ。勝手だろ。親は何も言わなかったけど、それがかえって、な」
「そうだったんだ……」
「ま、よくある話だよ」
 そのわりには、まだどこか吹っ切れていない感じがした。何かやりたいことでもあったのだろうか。
「若旦那もなかなか気苦労が多いのねー。今、一番、何がしたい?」
 すると、ギンジは天に向かって拳を突き上げた。
「そんなの決まってる! ガキに戻ってまたバカやりたい!!」
 その時だった。
 キーンコーンカーンコーン……キーンコーンカーンコーン……
 日の傾き始めた校庭に、突如ひどく懐かしい音色が響き渡る。驚いて校舎の丸時計を見上げると、針はちょうど十五時を指していた。私たちはしばらくの間、魂を抜かれたように呆然と座っていた。耳を澄ませば、子どもたちの遊ぶ声や、先生にさよならを言う声も聞こえてきそう――。
「な、何で鳴ってるの……?」
 学校は廃校となって久しい。今日の朝からだって、一度もチャイムの音なんかしなかったのに。
「……放送室、誰かいるのかな」
「ええー!? やめてよ、気持ち悪い――」
 春の怪談に首を竦めたリカが、ギンジを振り返って顔を固まらせた。私はそのリカの姿を見て、顔を固まらせた。
 いったい、何が、どうなっているのか。
「ギ、ギンジ……?」
「リ、リカ……?」
「カオルちゃん……?」
「あんた、ケイチだよね……」
「は、はるか……」
 私たちはお互いの姿を見つめ、呆然とその名を呼んだ。確かに、私は私であり、リカはリカ、ギンジはギンジ、はるかははるか、ケイチはケイチ、だったのだけれど――。
「な、なななな、何だよ、これ!?」
 跳ねるように立ち上がったギンジが、自分の伸ばした腕を見て素っ頓狂な声を上げる。釣られて立った私はふと横の木を見上げた。さっきまで髪にひっかかって仕方がなかった枝が、やけに上方に伸びていた。
「い、いったいどうなってるの!?」
 ギンジに負けず劣らず裏返り気味の声のリカに私が発した声音は、意外にも落ち着いていた。
「……つまり、こういうことよ。ギンジのネガティブかつファンタジックな願いが、不思議なチャイムが鳴った拍子に叶っちゃった――」
 他の四人がゆっくりと顔を見合わせる。
「……マジで?」
「じゃなきゃ、この姿はいったい何なのよ?」
 そう、私たちは時計を神速で逆回転させたように背が縮み、面立ちが幼くなり、線が細くなり――十三年前の春、アルバムに収められた姿そのものになっていた。
「……なんか、ちっちゃくされた名探偵みたい」
 超人気マンガの主人公を思ったのか、はるかが呟く。それは状況を理解できずに苦しんでいた脳に、あまりにもあっさりと受け入れられてしまった。
「はは、確かにな」
「なに、じゃあ私たち、元に戻るために組織と対決しないといけないわけ?」
 そこで私たちは顔を見合わせると、盛大に吹き出した。
「きゃー! すっごーい!!」
「こんなことってあるの!? もう一回中学生やれるかな!?」
「そしたら、テストは全科目憧れの百点満点だぜ!」
「無理無理! おまえ、この間、釣り銭の計算さえ間違ってただろうが!」
 私たちが浮かれまくっている中、唯一、常識を残していたはるかが突然、泣きそうな表情で叫んだ。
「私、困る!」
 四人がほぼ同時に動作を急停止し、はるかを見遣る。彼女はスカートを握りしめて呟いた。
「十二歳の母親なんて……。うちの人、ロリコンじゃないのに……」
 一瞬、呆気に取られた私たちは、今度こそひっくり返って笑い出した。
「はるかったら、ちょっと心配するところが違うよ!」
「井上、おまえ、おかしいぞ!!」
 困惑気味のはるかを尻目に、しばらくの間、爆笑していた私たちは、ふいにここにいないメンバーのことを思い出した。
「おっ! あっくんにこのことを報告しなければ!」
 叫ぶなり、ギンジがお尻のポケットからケータイを取り出す。さすがにケータイのサイズは変わっていなかったけど、ポケットのサイズが小さくなった分、ケータイはいつでも落とし物になりそうだった。
「あ、待って待って!」
 リダイヤルボタンを押そうとしていたギンジに、リカが待ったをかける。
「こんな楽しいこと、バラしてどうするのよ。正門のところで待ち伏せして、驚かそうよ。きっと腰抜かすわ」
 リカの提案に、ギンジは即座に頷いた。
「じゃあ、今どこにいるかだけ訊くか」
 ギンジはなぜか何度も咳払いをして、リダイヤルボタンを押した。
「オレの声、なんか高くなってないか? 声変わりする前に戻って……あ、あっくん? 今どこ?」
 それを聞いて、私たちはハタと自分の身体を見た。
「……今から牛乳飲んでも、背はやっぱりさっきの高さまでしか伸びないかな?」
「私は背より胸よ。毎日、大胸筋鍛えないと!」
「赤ちゃんができたら、胸すごく大きくなるわよ?」
「でも、それって期間限定」
「……おまえらの会話、不毛過ぎ」
 ケイチが心底呆れたように言った時、ケータイを切ったギンジが立ち上がった。
「あっくん、今、学校の坂の下だってよ。早いとこ門に行っとかないと」
 私たちは一斉に正門に向かって走り出した。

     4

 坂道を上ってくる人影を見て、私たちは呆然とした。
「な、なんで……?」
 学校の坂を息せき切って駆け上ってくるのは、間違いなく十二歳の・・・・雨宮だった。
「あっくん……!」
 思わず、ギンジが隠れていた場所から飛び出す。私たちも、もはや隠れてなどいられなかった。あの場所にいなかった雨宮が、いったいどうして……。
「あっ! おまえら!」
 坂の中程で私たちを見付けた雨宮は、最後のダッシュで上まで一気に上ってきた。
「う、え、きっつー」
 大人になってから坂を駆け上ることなんて滅多にない。雨宮は肩を上下させながら、呆然と私たちを見回した。
「いったい、何が、どうなってるんだ……?」
 それで、リカが事の次第を早口で説明した。十年ぶりの再会だというのに、「久しぶり」という挨拶など、私たちの頭にはまるでなかった。
「雨宮は、何で!?」
 リカの興奮した問いかけに、雨宮はただ首をひねった。
「オレは、車に追い抜かされた時に何かヘンだなと思ったんだけど、商店街のショーウィンドウに映った自分を見て、ようやく気付いて……」
 すると、ギンジが申し訳なさそうに呟いた。
「じゃ、じゃあ、これってやっぱり、オレのせい……?」
 皆の視線が彼に集まる。
「……でも、『子どもの頃に戻りたい』って叫んでる大人は、世に溢れてると思うけど」
 リカの言葉に、ケイチが首を傾げる。
「じゃあ、何でオレたちだけ?」
 しかし、それがわかるのなら苦労はしない。しばらくの間、呆然と立ち竦んでいた私たちだけど、雨宮の言葉で我に返った。
「とにかく、ここでじっとしていても仕方がない。先にタイムカプセルを開けよう」
 私たちは再び校庭の隅に戻った。


「えーっと、ダイヤルの数字は……」
 指折り数えるギンジに、雨宮があっさりと言った。
「199Xだよ」
「さっすが班長! どっかの誰かさんとは格が違うわ」
 茶化すリカを、ギンジが忌々しげに見遣る。
「いーさ! 所詮オレは、何回人生やり直したって酒屋の若旦那にしかなれねえよ!」
 ギンジは派手に拗ねて見せたけど、唯一かばってくれそうな雨宮は事情を知らず、かえっていっそう情けない表情を浮かべた。
「1・9・9・X、と……」
 ギンジがダイヤルを丁寧に回すと、小さくピンッと音がした。取っ手を持って蓋を開けると、タイムカプセルは十三年ぶりに外気を吸い込んだ。
「わ、あ……懐かしい……」
 カプセルの一番上に置いてあった色紙を見て、私たちは目を輝かせた。そこに書かれてあった文字は、『六年二組四班は永久に不滅だ!』というたわいもないものだったけど、十三年経った今、その全員がここに揃っているという事実が、私たちをひどく感動させていた。
「さーて、最初は誰だー?」
 色紙をそばにいたはるかに持たせると、ギンジは今度はそれぞれの思い出の品が詰まったビニール袋を取り出し始めた。
「これは……あ、井上だ」
「えっ!?」
 はるかは色紙をリカに手渡すと、少し緊張した面持ちでビニール袋を受け取った。
「なになに、何を入れたのー!?」
 皆が興味深げに覗き込む中、出てきたのは、はるかが昔大切にしていた色鉛筆やそれで描いた絵、皆で撮った写真や集めていた小さなぬいぐるみだった。
「あっ、これ、私も持ってた!」
 見覚えのあるリスのぬいぐるみを見て、私は歓声を上げた。でも、私のは確か、こぼした習字の墨で真っ黒にしてしまって、母さんに捨てられたっけ……。
「さーて、じゃんじゃん行くぞー。今度は……ケイチだ! それでもって、オレ! これは……R.MIYASA――ああ、宮迫か」
 リカがなぜか苦笑しながらそれを受け取る。
「私ってば、この頃、憶えたてのローマ字多用してたから……」
 それは私も同じだった。
「あっ、見てみて、カオル! はるか! 私たちの交換日記、ここにあった!」
「えー!?」
 見ると、流行っていたキャラクターのノートに私たち三人の名前が書かれてあった。
「うおー、懐かしいなー!」
 しばし発掘作業の手を休め、ギンジがそのノートを覗き込む。
「何でおまえが懐かしがってるんだ?」
 訝しげな雨宮に、はるかが笑いながら説明した。
「ギンジ、いっつもこのノートを盗み見しようとしてたのよ。だから私たち、途中から文章を記号使って書くことにしたの。ほら……」
 ページを数枚めくったところから、急に魚や餃子や傘や花が並び出し、暗号表さえなければ、暗号解読のプロも決して読むことができないような文章になっていた。
「これって、今でも読めるのか?」
 ケイチの疑問に、私たち三人は顔を見合わせると、そろって首を振った。
「暗号表がなければねー。どっかに付いてない?」
 プロとか言う以前に、私たちが読めなくなっているのだから世話はない。
「このハサミが『ル』で、目玉二つが『ヨ』なのは憶えてるんだけど」
「私は時計が『マ』で、本が『キ』だっていうのなら」
 それを聞いていた男たちが、呆れた表情を浮かべる。
「なんかまるで規則性がないな」
「これだから女は」
 私たちが目を吊り上げると、ギンジはそそくさとカプセルに向かった。
「あとは、あっくんとカオルのだよな。ほい」
 私と雨宮は差し出された袋をそれぞれ受け取ると、さっそく中身を出そうとした。のだけれど――。
「待って!」
「待った!」
 私と雨宮は同時に声を上げ、同時に目を丸めた。四人が驚いたように私たちを見遣る。
「ギ、ギンジのバカッ。これ、反対よ!」
「バカー!?」
 ギンジが不満の声を上げる中、私たちはそそくさとお互いの袋を取り替えた。
「何なんだよ、いったい……。あっそうだ。あっくん、いったい何入れたんだー?」
 ギンジの言葉に、意外にも雨宮はあっさりと袋の中身を披露した。
「わっ、これはもしや、伝説の……」
 ギンジが何かの紙の束を宙に掲げる。
「五科目同時八連続満点の答案!」
「わー! マジで!?」
 私たちはそろってその答案を覗き込んだ。どこかの業者が作ったB4サイズのカラフルなテストは、先生の花丸でいっそう華やかになっていた。
「わー、なっつかしいねえ」
「この問題、オレ、今じゃ絶対解けねえ」
 他には、当時はまっていたお菓子のおまけや、入っていたサッカー部の地区大会でもらったメダル、金賞をもらった読書感想文など、特に皆と変わったものは入っていなかった。
「んー? あっくん、これだけー? オレたちに釘刺すくらいだから、なんかよっぽどの物が入ってるかと思ったのに」
 ギンジがつまらなそうに唇を尖らせる。
「あ、あ、悪い。入れたと思ったんだけど、なんか勘違いだった」
 雨宮はそう弁解したけど、私は見逃さなかった。なにせ彼は私とまったく同じ行動を取ったのだ。雨宮のパーカーのポケットには、袋から取り出した小さな包みが入っているはずだった。
「カオルちゃんは? 何を入れたの?」
 興味津々なはるかに、私も袋の中身を見せた。
「このビーズ細工、はるかに作り方教えてもらったヤツだよ。あと、香り玉でしょ。それから……」
 私が取り出した布を見て、ギンジが歓声を上げる。
「これっこれこれこれ!」
「そうよ。あんたに散々バカにされたエプロンよ」
 広げると、十三年経っても相変わらず逆立ちしているキャラクターがいた。
「あーあ、何だって完成するまで気付かなかったのかしら」
 十三年も昔のこととはいえ、我ながら情けない。
「まあ、そこが荒巻のいいところなんじゃないの?」
 雨宮が宥めるように言ってくれたけど、それってまるで逆効果だ。
「ねえねえ、そう言えば、誰かカメラ持ってないの? ケータイのでもデジカメでも何でもいいからさ。私、宿に忘れて来ちゃった」
「おっ、あるぜ!」
 リカの言葉に、ケイチがショルダーバッグからデジカメを取り出した。
「ねえ、それって日付入れられる?」
「入れられるけど、たとえちゃんと撮れて親とかに見せたとしても、きっと信じてもらえないだろうなー」
 それももっともなことだ。
「いいんじゃない? 私たちさえ知っていれば」
 はるかが言い、誰もがそれに頷いた。
「よし、撮るぞ!」
 ケイチは少し離れたブロック塀の上にデジカメを設置すると、私たちを画面の中に収まるように配置し、ボタンを押して走って戻ってきた。
「やっぱりオプションのリモコン買えばよかった」
「そんなことより、早く顔作って!」
 瞬間、フラッシュがたかれ、私たちは爆笑した。
「オレは顔なんか作らなくても大丈夫だ!」
「わ、わかったわよ。ねえ、もう一枚! もう一枚!」
 リカにせがまれて、再びケイチがボタンを押しに立つ。そこへ腕組みをしていたギンジが「なんかポーズ取ろうぜ」と言い出し、私たちは六人で腕を絡ませた構図を撮ることにした。
「ケイチ、ダッシュで戻ってこいよ!」
「任せとけっ」
 身体が十二歳のせいか、次第に心も十二歳になりつつあった。
「行くぞ!」
 けれど、慌てるあまり、ケイチは皆の前でつまずいて、半ばスライディングをしているような写真になった。
「いってー。オレ、久しぶりにコケたわ」
 脇腹についた砂を払いながら、それでもケイチはひどく嬉しそうだった。
 写真も撮り終えて落ち着いた私たちは、再び校庭の隅に腰を下ろした。まだ冷たい夜風が、心を現実へと引き戻す。
「……さーて、ここからが問題だな」
 雨宮の言葉に、誰もが沈黙した。

     5

「ねえ、思ったんだけど……」
 最初に口を開いたのは、はるかだった。
「思ったんだけど、私たち、ここで何かやり残したことがあるんじゃないかな?」
「やり残したことって?」
 リカの反問に、はるかは三人の交換日記を広げた。
「私、個人的にここ……ここのことがずっと気になってて……」
 はるかが指さした箇所を見ると、そこはまだ普通の文字で書かれたところで、飼育委員をしていたはるかがウサギを死なせてしまったことが書いてあった。
「あの時、はるか、すごく泣いてたね」
 私が言うと、はるかは静かに頷いた。
「まだ、思い出すとつらいの。私、あの時、つらすぎて、お墓もちゃんと作ってあげられなくて、先生が代わりに埋めてくれたの」
 すると、ケイチが「それならオレにも」と呟いた。
「嫌いだったヤツの悪口を、壁に落書きしたんだ。そいつ、オレが書いたって知ってたのに、先生に見付かった時、オレが犯人だって言わなかった。その後、オレ、消しに行ったけど、先生に見付かりそうになって逃げて、そのままだ」
 それを聞いたはるかが、立ち上がって皆を見回す。
「他の皆は? そんなこと、ない……?」
 残りの四人は気まずそうに顔を見合わせた。そう、皆、やり残したことがあるのだ。
「私も……あるよ。やり残したこと……」
 私が正直に認めると、リカやギンジもそれに続いた。最後に、雨宮が頷く。
「ああ、オレもある」
「じゃ、じゃあさ!」
 はるかが意を決したように言った。
「皆、それぞれ、そのことを解決してこようよ。多分、この奇跡は、この学校がくれた最後のチャンスだと思うの。解決すれば、きっと、きっとまたもとの姿に……」
 人前であまり話すのが得意ではないのに、はるかは皆を励ますように大きな声で言った。
「そうだね……。この姿でずっといられたらいいけど、そうはいかないもんね」
 私は立ち上がると、そばに座っていたリカを引っ張って立たせた。
「さっ、誰が最初に大人になれるか競争よ」
「大人になんか――」
「ギーンジ!」
 私が軽く睨むと、ギンジは突然走り出した。
「オレが一番だ!」
「あっ、セコいぞ!」
 ギンジに続いて、ケイチとリカとはるかが走り出す。ふと横を向くと、雨宮もこっちを見ていた。
「雨宮は……行かないの?」
「ああ……荒巻は?」
「うん、あっと……えっと、ね」
 私のやり残したことは、雨宮がいなければ解決しないことだった。
「あの、ねっ」
 私が意を決して顔を上げた時、雨宮が先に口を開いた。
「悪いけど、ちょっと付き合ってくれない?」
「え?」
 予想外の言葉に、私は思わず呆気に取られた。そんな私を置いて、当の雨宮はすたすたと校舎の方へ向かって歩いていく。
「あ、ちょ、ちょっと待って……!」
 私は慌てて彼を追いかけた。


 雨宮が私を連れて行ったのは、体育館と校舎の間にある吹き抜けの廊下だった。一番楽な掃除場所として人気があったところだ。
「ホント、懐かしいな……」
 雨を凌ぐだけの鉄骨の屋根を支える支柱に手を添えて、雨宮は感慨深げにそれらを眺めた。姿は十二歳なのに、仕草や口調が二十五歳で、それがとても不思議だった。
「まだ雑巾あるかな……?」
 掃除時間、よく雑巾の投げ合いをして、何度屋根の上に乗せてしまったことか。私の言葉に、雨宮がおかしそうに吹き出した。
「そういや、よくやったっけ」
「もう一回やりたいなー」
「やるか?」
「え?」
 私が雨宮を振り返った時、彼が何かを放ってきた。
「わっわわっ」
 私が落とさないように胸でキャッチしたものは、雨宮がさっきパーカーのポケットに隠したものだった。
「え、これ……?」
「それがオレのやり残したこと、かな」
 怪訝そうに雨宮を見ると、彼はぶっきらぼうにそう言って、私に背を向けた。開けてみると、『誕生日おめでとう』という雨宮の字で書かれたカードと一緒に、薄紅色の綺麗なハンカチが入っていた。
「え、雨宮、これって……」
「そう。十三年前の荒巻の誕生日に上げるはずだったプレゼント」
「わ、私に……?」
 すると雨宮は、少し淋しそうに微笑んだ。
「一月の終わりか二月の初めくらいに母さんとデパートに行った時、見付けてさ。ギンジが荒巻の誕生日はひなまつりだって言ってたから……」
 ああ、今思い出した。ひなまつり生まれだから女らしくしろって言ってたのは、ケイチじゃなくてギンジだった。
「でも、バレンタインにオレたちケンカしただろ? その後もなんか気まずくて、それで結局、渡しそびれちまって……」
「うん……そうだね」
 突然、雨宮が深い溜息をついた。
「オレ、あの時、すごいショックだった」
「え?」
「ギンジとケイチは荒巻からチョコもらってたのにさ。オレだけもらえなくて。その上、名前もう忘れちゃったけど、女の子のチョコを受け取ってやれって怒られて。ちょうどこの場所さ」
 ああ、そっか。ギンジとケイチは義理チョコだったから朝一で「ハイハイッ」と上げたんだけど、さすがに本命の雨宮にはそうはできなくて、放課後まで大切に鞄にしまい込んでいて。いざ渡そうとしたら、桐ちゃんのことでモメて、結局、渡せずじまいで。
「あっと……ごめん、ね。あの後、すごく反省したんだ」
「あ、いや、別に荒巻が悪いわけじゃないんだけど」
「ううん、私がぐずぐずしてたから……」
 私はタイムカプセルの袋から鞄の中へ隠していた包みを取り出して、雨宮に差し出した。
「これ……十三年前にあげるつもりだったチョコと私の気持ち」
「え?」
「本当は、あげるつもりだったの。きっと食べたらお腹を壊しただろうけど、トリュフを作ってたのよ。でも、桐ちゃんのことがあって……桐ちゃん、私なんかより何倍もかわいかったから、雨宮、絶対に私のチョコも受け取ってくれないって思って……」
「え、なに……なに言って……」
 受け取った包みと私とを交互に見ている雨宮に、私は思わず苦笑した。
「私たち、まるでスレ違ってたみたい」
 呆然としていた雨宮が我に返って包みを開けようとするのを、私は慌てて止めた。
「お願い、それは開けないで」
「え、で、でも……」
「代わりに、食べられるチョコを買ってきたの。ちょっと、作る勇気はなかったから……」
 私が二つ目の包みを差し出すと、雨宮はひどく驚いた様子でそれを受け取った。
「あ、りがと。びっくりした……」
「私も。このハンカチ、これから使わせてもらうね」
 すると、雨宮がもう一度深く溜息をついた。
「なんだ、オレたち、相思相愛だったんだな」
 アメリカ在住の雨宮の古風な言葉に、私は声を立てて笑った。


 私と雨宮が校庭に戻ると、既に他の四人も戻ってきていた。けれど、誰ひとりとして大人の姿には戻っていなかった。
「やっぱり違ったのかなー? 良い案だと思ったんだけどなー」
 ギンジが困り果てたように言う。言い出したはるかは、申し訳なさそうに俯いていた。
「でも、これ以上、やれることはないよ」
「無理矢理チャイム鳴らすか?」
「はー、十三年越しの卒業とはいかないみたいね」
 その時、にわかに雨宮が叫んだ。
「それだ!」
 けれど、私たち五人はそれがどれだかまるでわからなかった。
「それって何?」
「今、宮迫が言った言葉だよ」
「え、リカ、何て言ったの?」
「え? じゅ、『十三年越しの卒業とはいかないみたいね』?」
 私たちは顔を見合わせた。
「まさか、『卒業の名乗り』!?」
『卒業の名乗り』とは、高ノ瀬小の伝統で、卒業生は正門を出る時、ひとりずつ名前を叫んでから出て行くことになっていた。
「うそ、本当に?」
「けど、他に策もないだろう。やってみようぜ」
 雨宮に促され、私たちは荷物をまとめて正門に向かうと、そこに一列に並んだ。
「いいか、じゃあ、オレから言うから」
 雨宮はめいっぱい息を吸い込むと、校庭や校舎に向かって叫んだ。
「六年二組、雨宮直人! ありがとうございました!」
 そして、正門を飛び越える。
「あ、あっくん……」
 ギンジが感極まったような声をあげた。そこには、初めて見る大人の・・・雨宮が立っていた。
「よし、次、オレ行くぜ!」
 今度はケイチが雨宮の立っていた場所に立つと、両手を口に添え、大声で叫んだ。
「六年二組、伊藤敬一! お世話になりました!」
 正門を飛び越えて、ケイチも朝、出会った時の姿になった。
「次、私が行く!」
 リカは二回ほど深呼吸した後、叫んだ。
「六年二組、宮迫里香! きっと、また来るから!」
 リカも無事にもとの姿に戻ったことを確認すると、私とはるかは一緒に前に進み出た。
「六年二組、荒巻馨!」
「同じく、井上はるか!」
 私たちは呼吸を合わせると、同時に叫んだ。
「この学校が大好き!」
 スカートのはるかを先に外へ出すと、私も地面に降り立った。すると、すっとした清涼感がして、手の長さも足の長さも、いつもと同じになっていた。
「ギンジ、最後、しっかり締めてね!」
 リカの声援に、ギンジが「おうよ!」と応える。ギンジはなぜか屈伸などして身体をほぐすと、少し校舎を見回して、所定の位置に着いた。大きく息を吸い込んで――。
「六年二組、銀山雄士! 六年二組四班は永久に不滅だ!!」
 私たちが歓声を上げると同時に、ギンジは身軽に正門を飛び越えた。
 こうして大人の六人が無事、正門の外に揃い、私たちは示し合わせたように腕を組んだ。
「卒業、おめでと!!」

     Epilogue

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送信者:  Naoto Amamiya
日時:   200X年 3月29日  7:41
宛先:   荒巻 馨
件名:   この間はありがとう
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仕事がんばってるか?
昨日、ケイチからあの日撮った写真が届いたけど、
まさか本当にあの姿で写ってるとは思わなかったので、
とても驚いたよ。
でも、やっぱり友だちに説明しても
合成だとか言われて少しムカついた。
まあ、井上の言ったとおり、
オレたちがわかってればいいんだけど。

チョコ、ふたつもありがとうな。
荒巻には開けるなと言われたけど、
こっちに帰ってから開けてみたんだ。
チョコはさすがにミイラになってたけど、
一緒に入ってた手紙はミイラになってなかった。
十三年前の荒巻の誕生日に
オレが少し勇気を出していれば、
もっとイイ目が見られたのではないかと
かなり後悔してる。
今からでも遅くはない、と思いたいところだけど、
遠距離恋愛は非常につらいので、
今は大人しく引き下がろうと思う。

もうタイムカプセルはないけど、
また近いうちに皆で集まろうな。
「永久に不滅だ」と言ったギンジに幹事をやらせて。

じゃあ、またメールするから。

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 Naoto Amamiya  naoto@xxx.xxx.com
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【 END 】

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