The story of Cipherail ― 第七章 玉座を継ぐ者


     7

 クレスティナの謹慎期間は二十日間であったが、ゼオラが凱旋門をくぐる際、その傍には《太陽神の巫女》の姿がなくてはならない。イスフェルの計算では、本隊は現在、ラディスと王都との中間地点まで進んでいるはずだった。それを陸路で追ったのでは、とても間に合わない。
「ラディスから船に乗る」
 その言葉に首を傾げたのは、『船』というものを知らない双子だけだった。
 テフラ村を発って三日後、一行はラディスの港に辿り着いた。ラディスは古くから栄える港町で、サイファエールの東側の港としては、王都に次ぐ大きさを誇る。町の東側にそびえる崖が大海の波を柔らかくし、船の出入りを助けていた。毎日数十か国の船が東西から入港し、荷揚げされた荷物は陸路でマラホーマにまで運ばれる――無論、マラホーマが戦争責任を取っていない今は、途絶えているが。新設される予定のサイファエール海軍基地の候補にも挙がっており、今後もラディスの発展は揺るぎないものであった。
「ミール様、マリオ様、海が見えましたよ!」
 先頭のパウルスが前方を指さし、イスフェルの前に座っていたコートミールは、鞍上から大きく身を乗り出した。
「わー、なんだあれ! あんなでっかい川、見たことない!」
 コートミールの素直な感想に、イスフェルは口元を綻ばせた。
「ミール様、川ではありませんよ。あれが海というものです」
「海!? はあ……おっきいなあ……」
 コートミールは珍しそうに水平線を追いかけて、その大きさに大きく息を吐き出した。
「あの、海の上の白いのはなあに?」
 ファンマリオも興味津々な様子で、背後のシダを振り返る。
「あれが船です。今からあれに乗るんですよ」
「ほうとうに!? すごいすごい!」
 それから一行は市中に入っていったが、その人の多さは王都の港町に負けるとも劣らぬものであった。
「イスフェル、すごい人だな」
 コートミールが忙しく動かしていた首を青年の方に向けた。その顔は好奇心に満ち満ちている。
「港町は、海と陸の、人と荷物が行き交う場所なのです」
「へえ……あっ、あれは何?」
「あれはですね――」
 コートミールは目に留まったものすべてをイスフェルに尋ね、イスフェルはそのすべてに答えを返してやった。
「イスフェル殿、あそこに船乗り場が!」
 右側で馬を歩かせていたエルスモンドの声に、一行はそちらに馬首を向けた。ラディスからは王都への定期船が出ている。イスフェルは海運業者から船を一隻借りるつもりだったが、レイミアのたっての希望で、民間の船に乗ることにした。彼女は痛いほど王宮の現実を知っている。王都へ着いたら最後、自分たちは思うように生きられなくなるだろう――そう思っての言葉であることを、イスフェルは察した。彼としても、最後の家族旅行を自由な風で彩ってやりたかった。
「十二人に馬九頭……うーん、明日の昼の便なら空いてるけど?」
 受付係の言葉に、クレスティナが振り向く。イスフェルは素早く日数を数えると、頷いてみせた。王都まで二日。ゼオラ率いる本隊も、王都までほぼそれくらいの距離にいるだろう。ぎりぎりの日程だが仕方がなかった。ひとつには、ゼオラが朝や晩に凱旋門をくぐらないだろうと考えたのだ。目立ちたがりの彼が、人通りの少ない時間帯や目の見えにくい時間帯に『祭』を催すはずがないのだから。
「――ということは、今夜の宿も必要ということだな」
 受付係に宿場の場所を訊くと、一行は今度は宿探しに出かけた。さすがに中心街に近い宿は満室であったが、少し入り組んだ場所の宿には空きがあった。三人ずつ四部屋を借りると、馬を預け、荷物を部屋に放り込んで、一階の食堂で遅い昼食をとる。
 食べ終わった後、イスフェルはクレスティナにあることを申し出た。
「クレスティナ殿。せっかくなので、港の様子を少し見てきたいのですが」
「なんだ、閣下に難破船の調査と言った手前、何もせぬのは気が引けるか」
 笑う女騎士に、イスフェルは軽く首を竦めた。
「まあよい。どうせ明日の昼までは動けぬのだから。ただし、わかっているとは思うが、揉め事だけは起こしてくれるな。おぬしは意外と冒険好きだからな」
 青年が以前、レイスターリアで海賊と揉め事を起こしたことをどこかで聞いたのだろうか、イスフェルがさっと赤面すると、意外なところから追い討ちがかかった。
「イスフェル、冒険に行くのか!?」
 コートミールである。食卓に身を乗り出すと、天色の瞳をきらきらと輝かせて青年を見る。
「ちっ、違いますよ、ミール様!」
 しかし、冒険という言葉は双子にとって魅力的だったようだ。
「ボクも行きたい」
 ファンマリオまでがコートミールと一緒になって身を乗り出した。その両頬には果物が詰まっており、まるで木鼠のようだった。
「二人とも、我がままを言わないの」
 レイミアは机に乗り上がろうかという子どもたちの服を掴むと、椅子に座り直させた。
「イスフェル様はお仕事があるのよ。さあ、先に部屋へ戻ってなさい」
「えー! そんなあ!」
 二人は異口同音に不平を並べ立てたが、母親の眉間が寄るのを見て、すごすごと部屋に戻って行った。護衛のため、シダが遅れて席を立つ。
「それでは行ってきます」
 さらにイスフェル、ユーセット、セディスが席を外し、残された六人は久しぶりに穏やかなひとときを迎えた――はずだった。


 宿を出た三人は早速、波止場の方へ向かって歩き出した。一日やそこらで難破船の謎が解けるとは無論、思っていない。しかし、時をいたずらに過ごすよりは、些細なものでも現場の船乗りたちから生きた情報を集めた方がいいに決まっている。それに、王都に帰れば、世継ぎ問題で奔走することになる。彼らとしても、自由に動けるのは今しかなかった。
「……もし本当にタルコス政府がお抱え貿易船の略奪行為を容認しているとして、オレたちが集めた証拠を突きつけたら、どんな反応をするかな」
「知らぬ存ぜぬで突っぱねるに決まっている。サイファエールのでっち上げだとな」
 ユーセットが軽く肩を竦め、イスフェルが頷いた。
「そうしないためには、やはり生きた証人が欲しいな。あと、周囲の国も巻き込む必要がある」
「ああ。ジージェイルの船は何隻やられた、カルバーン公国の船は何隻、カルマイヤの船は何隻――」
 自分で言って、セディスは盛大な溜息をついた。
「そんなこと可能か? 気が遠くなりそう、だっ!?」
 急に奇声を上げて立ち止まった友人を、イスフェルとユーセットが振り返ると、その腰に小さな手が絡みついている。その時、イスフェルの背にも何かが突進してきた。脇越しにその正体を見て、イスフェルは藍玉の瞳を丸めた。
「マリオ様!?」
「や、やっと追いついたあ」
 額に微かに汗を滲ませているファンマリオは、イスフェルを見上げて笑った。
「へへっ。来ちゃった」
 セディスの後ろから顔を覗かせたコートミールが、ぺろっと舌を出す。周囲を見回すと、近衛の姿がない。
「ま、まさか、抜け出して来られたのですか!?」
 イスフェルが二人を見下ろすと、少年たちは顔を見合わせた後、頷いた。
「だって、なぜだかシダが扉の前でうろうろしてるんだもん。あれじゃ厠にも行けないよ」
 イスフェルの麦藁色の頭が項垂れる。その後方で二人の青年は天を仰いだ。レイミアの希望に従い、少年たちには彼らの身分を未だ告げていないので、なぜシダが見張りに立っているか知らないのだ。
「……前にも言ったが、シダはよく近衛に入れたな」
 ユーセットが憮然と言った時、
「おーい!」
 人混みの向こうから聞き慣れた声がし、顔面を蒼白にしたシダが息せき切って走ってきた。
「こっちに――あっ!」
 すぐに双子の姿を認め、シダはへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
「よ、良かった……」
 その彼に、ユーセットが雷を落とす。
「いったい何をしているんだ。もしものことがあったらどうする!?」
「ぐっ。返す言葉もない……」
「当たり前だ!」
 ユーセットの剣幕に、ファンマリオがびくっと身体を震わせる。その横で年長者たちを見回していたコートミールが、おずおずと言った。
「……もしかして、シダが怒られているのはオレたちのせい……?」
 イスフェルは小さく吐息すると、二人の前に膝を折った。
「そうです」
「イスフェル!」
 シダが慌てて叫ぶが、イスフェルはかまわず言葉を次いだ。
「急にお二人がいなくなったら、宿にいるお母上が心配するとは思われなかったのですか? テフラ村ならいざ知らず、ここは初めての土地でしょう」
「あ……」
 少年たちはバツの悪そうに黙り込むと、同じ梔色の頭を俯けた。
「だって、どうしても冒険したかったんだ……」
 その気持ちはよくわかる。イスフェル自身、幼い頃を過ごしたテイランの港町で、家庭教師に怒られるほど遊び回っていたのだ。遊び盛りの子どもをじっとさせておこうというのがそもそも間違いなのだ。
「……まあ、いいでしょう。ただし、条件があります」
 言うなり、イスフェルはファンマリオを肩車で持ち上げた。
「迷子になられては困りますので、これで行かせてもらいます」
「わあ、高い!」
「あっ、いいなあ」
 はしゃぐファンマリオを羨ましそうに見ていたコートミールを、シダが担ぎ上げる。
「よし、どこへ行くんだ?」
 そんな彼を、セディスは呆れたように見遣った。
「まったく、おまえってヤツは……」
「ん? 何だ?」
「見付かったらそれで終わりか? 報告は!」
「――あ」
 転がるように宿を飛び出した彼を見て、今頃、クレスティナをはじめ、レイミアやセフィアーナも、血眼になって双子を捜していることだろう。しかし、彼は近衛として双子の『冒険』に付いていきたかった。おまけに、もうコートミールを肩に乗せてしまっている。
「ユーセット」
 イスフェルがユーセットの方へ首を巡らせると、黒髪の青年は彼の考えを読んでいたように、何も言わぬうちから頷いた。
「あまり遅くなるなよ」
 言い置いて、宿屋の方へ帰っていく。その背に、シダが申し訳なさそうに首だけ曲げて礼をした。
「お二人とも、黄色と青の旗が立っている船が見えたら教えて下さい」
 黄色と青の旗は、タルコス王国の国旗である。青年の言葉に双子が元気よく頷き、三人は波止場に向かって歩き出した。
「ミール、船、おっきいねえ。さっきはあんなにちいちゃかったのに」
「ああ。これに乗れるなんて、夢みたいだなっ」
 頭上に双子の会話を聞きながらしばらく歩いていると、ファンマリオが喜々として叫んだ。
「あっ、あの旗、黄色と青だよ!」
 確認したセディスが頷き、そばまで歩いていくと、イスフェルとシダは双子を降ろした。少年たちは嬉しそうに船に走り寄り、波に微かに上下する船を面白そうに見上げた。
「これ、本当に水に浮かんでるの!?」
「すごいなあ。乗ってみたいなあ」
 その時、
「なんだ、おまえたち」
 突然、背後で声がかかり、少年たちが振り返ると、山のように大きな男が、彼らを見下ろしていた。
「わっ」
 驚いた二人は思わず桟橋と船の間に落ちそうになり、男に肩を掴まれた。
「気を付けな。ここに落ちたら、身体中の骨がばらばらになっちまうぞ」
「あ、ありがとう」
「ぼうずたち、船は初めてか?」
 黄色と青の服を着ているところを見ると、男はこのタルコス船の水夫なのだろう。船を珍しそうに見ていた少年たちに興味を持ったようだった。
「う、うん」
「少しだけなら見学させてやってもいいぞ」
「ほんとう!?」
 大きく頷く男を見て、コートミールは後方のイスフェルに向かって叫んだ。
「イスフェル、乗ってもいいって!」
 どうやったら船内を見られるかと話していた三人は、憮然として顔を見合わせた。子どもというだけですべてが簡単に許される――以前は彼らにもそんな時代があったはずだった。


「懐かしいな……」
 イスフェルが見張り台に続く縄梯子の感触を確かめていると、彼らを船に招き入れてくれたボドリフという水夫が、横で目を瞬かせた。
「なんだ、あんた。船乗りじゃなさそうだが」
「いや、そうじゃなくて、昔、あんな風に遊ばせてもらったことがあるんだ」
 イスフェルの視線の先では、双子が他の水夫たちから道具の使い方を教わったり、縄に登ったりしている。ちょうど彼らくらいの年齢の頃、イスフェルは大港町テイランで過ごしていた。
「そうかい。船はいいだろう」
「ああ」
「この船はタルコスのか?」
 セディスが樽に腰かけながら尋ねると、ボドリフは胸を張って朗々とした声を響かせた。
「そうとも。タルコス一の貿易船『暁号』さ! 政府のお抱え船だぞ」
 セディスの振りが自然すぎてかえっておかしかったイスフェルは、口元を押さえながら話題を続けた。船のことを聞かれるのはボドリフとしても気分が好いらしく、ちょうどよかった。
「ラディスからタルコスへはどのくらいかかるんだ?」
「そうだな、真っ直ぐ帰りゃひと月くらいかな。だが、貿易船がそんなことしてたんじゃ、商売にはならねえ。あっちに寄ったりこっちに寄ったり、商品待ちに天気待ちで、ふた月、悪ければ三月かかることもある」
「嵐に遭うことは?」
「そんなの茶飯事さ。だがオレは今、ここに生きている」
 タルコス人なのに、流暢なサイファエール語で、ボドリフは自分を英雄に祭り上げた。
 サイファエール語かジージェイル語さえ話せれば、東側の海では商売ができると言われている。小国の人々はこぞって両方の言語を習得したが、サイファエール・ジージェイル両国の人々は、母国語こそが公用語だとし、互いの言語を学ぼうとしないのが現状だった。
「――ということは、海賊も打ちのめして来たのか?」
 イスフェルの問いに、セディスが色めき立った。しかし、やはりそう簡単に望んだ答えは得られるはずもない。
「はっ! 海賊なんか屁の足しにもならん」
 しかし、イスフェルはなおも食い下がった。せっかく甲板にまで上がれたのだから、船内の様子も見てみたかった。
「海の上では何で戦う? やはり剣か」
「剣に限らんぞ。そこら辺にあるものすべてが武器さ。あの樽も、あの縄も、上を渡した綱もな。勿論、ちゃんとした武器も揃ってる。各国の変わったヤツがな」
「へえ、見てみたいな」
「そりゃダメだ。あれを触るには上の許可がいる。オレはこう見えても下っ端なのさ」
 こうも何も、水夫の服で下っ端なのは一目瞭然である。その時、頭上から明るい声が降ってきた。
「イスフェルー! 見てー!!」
 見上げると、コートミールが見張り台の真下まで縄梯子で登っていた。ボドリフが感嘆したように唸る。
「へえ、あそこまで登るなんて、大したガキだな」
 しかし、そのコートミールが徒になった。少年を見咎めた操舵長が、ボドリフに部外者の退去を命じたのだ。
「ああ、邪魔してすまなかった」
 素直に踵を返し、ふとイスフェルは再びボドリフを振り返った。
「――あっと、この船にボロドン貝はないのか?」
 ボロドン貝とは、タルコスのボロドン海岸に生息する貝のことである。大人の小指くらいの大きさで、艶やかな白地の殻に、鮮やかな桃色と空色、淡い卵色の線が入っており、装飾品に加工された物が人気を集めていた。
「勿論あるさ。サイファエールでは珍品だからな」
「少し売って欲しいんだが」
 すると、ボドリフは一瞬、きょとんとした表情をし、上の者に訊いてくると言い残してその場を離れた。
「おい、イスフェル、どういうつもりだ?」
 首を傾げるセディスに、イスフェルはただ笑った。
「いや、記念にな」
「記念?」
 その時、ボドリフが小走りで戻って来、上官の了解が得られたことを告げた。
「取ってくるから待っててくれ」
「あ、いや。手間を取らせては悪い。そんなに数はいらないから、一緒に行こう」
「そうかい?」
 イスフェルは双子とシダを呼び寄せると、五人でボドリフの後に付いて船倉へと向かった。
「考えたな」
 そっと耳打ちしてくるセディスに、イスフェルは再び笑いながら首を振った。
「押して駄目なら引いてみろ、だ。だが、貝は本当に欲しいんだ」
 甲板の中央部から船内に入り、一行は階段を下へと降りていった。
「セディス、ここってもしかして水の中?」
 二階分ほど下った時、ファンマリオが手を繋いでいたセディスにおそるおそる尋ねた。
「ええ。壁に穴が空いたら、私たちは溺れてしまいます。マリオ様は泳げますか?」
 すると、ファンマリオに代わってコートミールが答えた。
「マリオは滝壺で溺れて以来、流れてる水に入るのはダメなんだ」
「滝壺!?」
「うん。テフラ村の沢の上流にあるんだ」
 しかし、ボドリフがファンマリオの不安を吹き飛ばすかのように大口で笑った。
「なーに、ぼうず。この『暁号』の壁に穴が空くことなんざ、絶対にないから安心しな!」
 そして、辿り着いた船倉の扉を乱暴に開ける。
「えーっと、どこだったかな」
 ボドリフの後ろを双子が親鳥に従う雛のように付いていき、さらにシダがその後ろに付いたことから、イスフェルとセディスの姿はボドリフの死角となった。しかし、イスフェルには取引があるので、セディスは自分だけ一筋隣の通路に入った。
「ああ、これだこれ」
 ボドリフは通路から少し離れた場所の木箱を持ち上げると、少年たちの前に降ろした。開けると箱に詰められた小さな貝が、シダの持っていた手燈にきらきらと光った。
「わー、きれい」
「イスフェル、これなあに?」
「ボロドン貝ですよ。もとは海の生き物で、昔から身に付けておくと良いことがあると言われているんです」
「良いこと?」
 その時、ボドリフが箱の中の貝を掬いながら個数を尋ねて来た。
「ふたつ――いや、みっつくれ」
「それだけでいいのか?」
「ああ。あと、この麻紐」
 傍の荷物の上に無造作に乗っていた麻紐を掴むと、ボドリフの前に差し出す。
「全部で銅貨十五枚ってところかな」
 イスフェルは代価を払うと、入口の壁に掛けられていた錐を取り、買った貝の端に小さな穴を開け始めた。
「どうするの……?」
 不思議そうに覗き込む双子の前で、空いた穴に麻紐を通す。同じ作業を三回繰り返した後、イスフェルはそのうちのふたつを、それぞれ少年たちの首にかけてやった。
「お二人に良いことがありますように。これは、お母上に渡してあげてください」
「えっ、いいの?」
 驚いて天色の瞳を見開くコートミールに、イスフェルは頷いて見せた。
「ええ。今日の記念に」
「ありがと!」
 嬉しそうに貝をかざすコートミールの横で、じっと貝を見つめていたファンマリオが、ふいにイスフェルを見上げた。
「……ねえ、イスフェル。お金、貸してくれない?」
「え?」
 突然の申し出に、誰もが少年に注目する。
「マリオ、お金なんか何に使うんだよ」
「何か欲しい物があるんですか?」
 コートミールとイスフェルの質問を相次いで受け、ファンマリオは一度顔を俯けると、首から下げた貝を差し出した。
「これを……あと九個」
「え?」
「イスフェルとシダとセディスとユーセットと、セフィと、リエーラ・フォノイと、クレスティナと、パウルスと、あとエルスモンドの分」
 呆然と立ち竦む青年たちに、ファンマリオはにこっと笑った。
「ボクたちだけじゃなくて、みんなに良いことがありますように」
「マリオ様……」
 心がぽおっと熱くなるのを、イスフェルは感じた。ファンマリオの優しさは、イスフェルの心を確実に虜にしていた。
「ぼうず、おまえ、えらいなあ」
 わしわしとファンマリオの頭を撫でるボドリフに、イスフェルはファンマリオの言うとおりにするよう言った。すると、タルコスの水夫は、ファンマリオの九個を無料にすると言い出した。
「いいの……?」
「おう。ぼうずの心意気に免じてな。海の男は心も広いんだ。海のようにな」
「悪いな」
 イスフェルが申し訳なさそうに言うと、ボドリフはにかっと笑い、
「いーや。これだけあるんだ。わかりゃせん」
 水夫としてはあるまじき台詞を、飄々と言い放った。それから双子はイスフェルに道具の使い方を習うと、その場で九人の仲間のために貝殻の首飾りを作り始めた。時折、見かねたイスフェルたちが手を貸そうとするが、少年たちはそれを許さず、なんとしても自分たちだけで作るつもりだった。失敗して貝が割れると、落第水夫が気前よく代わりのものを箱から出した。
「……できた!」
 コートミールが最後の貝に紐を通し、それを宙にかざした。
「みんなお揃いだよ。はい、イスフェル」
 イスフェルがしてくれたように、少年たちは首飾りを青年たちの首にかけた。
「はい、シダ。――あれ、セディスは?」
 その時、隣の通路で派手な物音がした。五人が覗き込むと、セディスが床に転がっている。
「……何をしているんだ」
 顔をしかめるボドリフに、セディスは困ったような笑みを浮かべた。
「いや、珍しい商品が多いと思って見ていたら、足下が留守になって……」
「なんだ、そそっかしいな」
 実は急に名前を呼ばれ、慌てて奥から引き返してきたために、足下の荷物に足を取られてしまったのだった。
「さあ、上に戻ろう。これ以上長居されると、操舵長に雷を落とされちまう」
 ボドリフが踵を返したのを見て、セディスはイスフェルに首を振って見せた。奥に扉があったのだが、大きな錠前が付けられたうえ、それが鎖で二重三重に覆ってあったので、どうしても中に入ることができなかったのだ。
「入手不可能な商品は、確か難破船のあの場所にあった」
「まあいい。お二人もいることだし、無理はするまい」
 二人は小さく会話を交わすと、先に外に出た四人を追った。階段を登り、甲板に出ると、潮風が彼らの頬を優しく撫でた。
「本当にありがとう!」
 船を下り、双子がボドリフに礼を言う。
「航海の無事を祈る。また会えるといいな」
「あんたたちも良い旅を。じゃあな」
 ひとしきり手を振ってボドリフに別れを告げると、五人はようやく帰路に着いた。日は既に地平線に消え、辺りには夜の帳が降り始めていた。
「マリオ、おまえ、良いこと言うなあ」
「セフィたち、喜んでくれるかな?」
「もちろんさ!」
 意気揚々として、少年たちは青年たちの前を歩いた。しかし、そんな彼らを出迎えたのは、怒りの形相を浮かべた母レイミアであった。「夕食抜き」と宣告された彼らは、部屋で泣きべそをかいたが、イスフェルによって彼らの作った貝の首飾りが配られると、レイミアは果物を持って部屋へと戻っていった。

inserted by FC2 system